絣は染めと織りのハイブリッド
この秋も奈良の国立博物館で「正倉院展」を観てきました。染織品も毎年数点は出品されていて、人はこんな時代から染めたり織ったりを高いレベルで行っていたんだなと、毎回ほれぼれ眺めています。天平時代から数えて1300年近い歳月が過ぎ、染料は天然素材から化学染料に変わったし、織り機も進化しました。けれど、自然のものから糸をつくり、それを染めて織ったり、布に色や模様を染めつけたりという営みの根本は全く変わることがなくて、「現代に生きる職人さんたちは、間違いなく天平時代の職人さんたちの末裔なのだなぁ……」と感慨深くなるのです。
まとめて「染織」と呼ばれ、一般の人からすると結局はどっちも「布」ではあるのですが、染物と織物はそれぞれに魅力が違います。取材していると分かるのですが、関わる人たちは、はっきりと「別物」の意識を持っています。それを明確に語ったのが、ある織物職人さんの言葉でした。
「染物が絵画なら、織物は建築や」
一枚の白生地をキャンパスに、さまざまな技法を尽くして色や模様を染めつける染物は、確かに絵画的です。そして先染めの色糸を交差させて色や模様を生み出していく織物は、絵柄重視の染物に比べると糸という素材が主役であり糸が全体を構築しています。思わずなるほど、と膝を打ちました。
では「西陣絣」はどうでしょうか。一本の糸にいろんな色を染めて、並べ替えたりずらしたりした結果、ぱっとみると経糸は模様を染めつけたような仕上がりになっています。色数は違いますが他産地の経絣も同じです。そう、「絣は染物の要素もちょっと持っている織物」なのです。つまり、染めと織りの中間的な存在、あるいは染めと織りのハイブリッドといったところでしょうか。
さらに面白いのは、緯糸を入れることで経糸と緯糸が交互に重なりあい色糸が立体化するのです。シンプルに織るだけでもよいですが、緯糸にも絣をしたり、緯糸で華やかな紋織りを織って経糸の絣を下地にしてしまったり、凝りに凝ったこともできます。そうして、染物でもないし、単なる織物でもない、素敵な布ができあがるというわけです。
徳永師匠のアンティークコレクションより
技術的なことはさておき、西陣絣の布としての魅力はやはり色とりどりの文様だと思います。わたしが一番初めに心を射抜かれたのも、西陣絣職人の徳永弘師匠がお持ちの見本裂でした。師匠が若い頃にお勤めしていた織屋さんのもので、戦前や戦後すぐの御召の織出しや残り部分を縫いつないであります。それらはどれも着物地ですが、とてもモダンで自由で華やかで、なんともいえないパワーをたたえていて、令和のいま身につけてもお洒落だと思えるものばかり。師匠の工房にはそんな見本裂がたくさん飾られています。また、師匠はアンティークの絣着物を集めておられるので、工房に伺うと着物に仕立てられた当時の西陣絣も見ることができます。そのなかから代表的な文様をご紹介しましょう。
矢絣
西陣絣職人の葛西郁子さんいわく、「西陣絣といえば矢絣」なのだとか。矢羽根を文様化したもので、中央に縞を通してあるものが一般的です。なかでも白地に紫の矢絣は定番で、御召や銘仙などで大流行しました。大和和紀先生の人気漫画『はいからさんが通る』の主人公・紅緒さんも着ていますね。
手元の染織事典(泰流社 中江克巳編 1993年)で矢絣をひくと、「とくに明治から大正、太平洋戦争前までは女学生の制服として愛用されたほか、若い女性なら一度は手を通す着物といわれるほど一般化した」と記述されています。定番模様だけにバリエーションも豊富で、大きさや色を変えたり縞をなくしたりするのはもちろん、いろんな矢絣や線を組み合わせた凝ったものもあります。どうしても女学生のイメージが強いので大人の女性は着こなしにくいイメージもありますが、色がシックだったり凝ったものなら現代でも案外おしゃれに楽しめるのではないかと思っています。
山道
ギザギザ三角がグラフィカルな印象的の柄で、山の大きさも大小さまざまなバリエーションがあります。師匠宅にある山道の着物はとても大胆でカッコイイのですが、ここまで大きな模様がつくれるのも西陣絣のすごいところです。アンティーク着物では赤と黒のものがときどき見つかります。師匠によれば、西陣のなかには山道を「ケンペイ」と呼ぶ工房もあるのだそう。
壷垂れ
陶器にかけた釉薬が流れる様子をパターン化したもので、おおらかでリズミカルな曲線が魅力。友禅では訪問着や付け下げの裾模様などに使われることが多いのですが、西陣絣では全面柄が見つかります。一本いっぽん経糸をずらして柔らかな曲線をつくり出すのも職人技。大きさもさまざま、多色のものも素敵です。
ハケ柄
徳永師匠が若い頃に働いていた織屋さんのヒット作。徳島から出てきた井上茂さんという職人が親方と相談して昭和32年頃に生み出した柄だそうです。いまでも通用するモダン柄で、配色を変えると印象もガラリと変わります。シックな紺地に赤いポイントを入れた配色がわたしのお気に入りで、(着物も良いけどスカートにしたら可愛いのでは……)と妄想しています。
師匠によるとこのハケ柄はかなり売れたそうで、「みんな気張って真似しはったで」とのこと。当時は新しく生み出した柄は人気が出ると他所の織屋さんもこぞって真似をしたそうで、やがて行き渡って価格が下がってしまうのだそう。そして、またどこかの誰かが新しい柄を考案するのだそうです。西陣絣の文様が多種多様なのは、そうした先人たちの努力の繰り返しによるのでしょう。
現代物の西陣絣
アンティークだけが西陣絣ではありません。当時ほどの量はありませんが、令和の現在もセンスのよい西陣絣がつくられています。唯一の若手職人である葛西さんは若いクライアントさんとともに新しい絣を生み出しており、ファンを獲得しています。
一見すると山道や格子柄の変形に見えますが、よくよく眺めると驚くほど凝ったつくりなのも特徴で、織屋さんと葛西さんの情熱が伝わってくるよう。これから生まれる西陣絣からも、目が離せそうにありません。