おまじないのクワバラ、クワバラの場所は京都にあった!?

雷よけのおまじない

おまじないで『くわばら、くわばら』という言葉があるのですが、50歳以上なら知っている人が多いでしょうか?おばあさんから聞いたとか、お母さんから聞いたという人もいるでしょう。答えは雷除けのおまじないの言葉です。雷だけは突然外で出くわすと避けようがないですよね。何しろ雨が困ります。
屋外だと濡れたくないから木の下などに避難しますが、高い木に雷は落ちやすく、走って逃げても金属製のものを身に付けていたり、金属製の物を持っていると、やはり落ちやすい。おまけに雷が落ちて人が死んだというニュースを聞くと一層不安をそそります。

私だけかも知れませんが、猛烈な雷雨の時の雷鳴は大変恐ろしく、いつも戦場を想像してしまいます。もちろん戦争に行ったことなんてありませんが、映画の戦場シーンを見た体験からくる想像です。上空からの凄まじい爆撃!また爆弾が落ちた、という場面の音と激しい雷鳴の音が似ているのです。実際このおまじないは、なぜ雷除けなのでしょうか?

 

天神さんと菅原道真

遡ること平安時代、菅原道真の時代。皆さんもご存知の学問の神様・菅原道真です。今や全国に約1万2千社もの天満宮、天神社があるそうです。中でも日本三大天神と呼ばれるのが太宰府天満宮と北野天満宮、これに防府天満宮を加えたものです。一般的に太宰府天満宮と北野天満宮の両社が総本社とされ、防府天満宮は日本最古と称されるために、加えられることが多いそうです。私は天神祭で有名な大阪の天満宮だと思っていましたが、そうではなさそうです。天神祭は日本三大祭の一つなのに……

私は京都なので、子供の頃から北野天満宮を天神さんと呼び、受験するごとにお参りに行っていました。また毎月25日は、『天神さん』で親しまれる縁日が今も行われています。年初めは『初天神』、年の終わりを『終い天神』と言い、京の風物詩になっています。この親しみのある天神さんも、平安時代では京の人々にとって恐ろしい存在となった道真公の怨霊を鎮めるために建立された神社だったのです。

 

道真の怨霊と雷

時は平安時代、菅原道真は845年に生まれます。この時代は藤原氏が巨大な権勢を誇っていましたが、宇多天皇は優秀な道真を右大臣として重用します。ところが宇多天皇は31歳の若さで次の天皇に譲位し、上皇となってしまいます。次の天皇は醍醐天皇でしたが、この政権交代をきっかけに藤原氏が勢力を再び巻き返すのでした。
道真は宇多天皇という後ろ盾を失うと同時に、藤原時平の陰謀にはまり、大宰府に左遷されます。この左遷は道真が貴族の多くから反感をもたれていたのも理由です。道真は、いわゆる中央官僚から地方の役所に飛ばされてしまうのです。しかも、太宰府での衣食住は悲惨なものだったようで、まるで死罪扱いだったようです。道真は失意の中、大宰府に赴任したものの体調を崩し、わずか2年ばかりでこの世を去ります。まだ59歳という若さでした。しかし、これで終わることはなかったのです。この死以降、藤原氏に次々と不幸が見舞われるのでした。

先ずは、藤原時平が暮らす京都の都に幾度となく雷が落ち、人々は恐怖に陥ります。そして、時平が39歳で突然の死を迎えます。更に、時平の思惑でその座についた醍醐天皇の皇子(保明親王)までもが21歳の若さで急死するのです(923年)。それだけでなく、その2年後、天皇を継ぐと目された次の皇子(慶頼王)までも、5歳で亡くなります(925年)。こうなると、誰もが『道真の祟り』と恐れ、騒ぎ立てますよね。無理のない話です。極めつけはその5年後です(930年)。京の都の空に突如として黒い雲が現れ、空を真っ黒におおいつくし、雷鳴が轟いたかと思うと、平安京の内裏のひとつ清涼殿に落雷して大火事となったのです。もちろん朝廷の多くの人たちも焼け死んでしまいました。

まだまだ悲劇は続きます。その年、清涼殿の落雷を目撃し、体調を崩してしまった醍醐天皇が、この3か月後にこの世を去ってしまうのです。さすがの藤原氏も道真の怨霊と恐れをなし、菅原道真を右大臣として名誉を回復させ、道真を祀ったとされます。これが現在の北野天満宮になっているのです。

 

くわばらとは何か

本題の「くわばら、くわばら」という雷除けの呪文に出て来る、このくわばらとは何ぞや? 実は地名なのです。約1100年後の今も存在する地名なのです。京の町中、あちらこちらに何度も雷が落ちたのですが、一ヵ所だけ落ちなかった場所があり、それが桑原=くわばら、だったのです。それ以来、町中の人たちは、雷が鳴るとこの「くわばら、くわばら」と唱えるようになり、おまじないが浸透していったのです。

桑原町

肝心の場所ですが、京都市中京区桑原町にあります。ところが摩訶不思議、誰も住んでいない、誰も住めない場所にあるのです。なぜなら、京都地方裁判所の前(バス停の横)にあり、大きな道路(丸太町通り)と歩道の一部のみが存在する地名なのです。縦横それぞれ20メートル位しかないのではないでしょうか。面白いですよ、グーグルマップで住所を打ち込んでください。ちゃんと場所が出てきますよ。たとえ小さくなっても無くすと祟りが起こると信じられて現在に至っているのでは・・・・・・郵便物を送ったら誰が受けとるのでしょうか?まさか道真公から返事が返って来たりとか?

(参考)北野天満宮ホームページ、天神様の正体(森公章著・吉川弘文館)、天神への道 菅原道真(松本徹著・試論社)、太宰府天満宮ホームページ、防府天満宮ホームページ、言の葉手帳ホームページ
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この記事を書いたライター

京都市左京区出身。
歴史に興味をもち、関西大学文学部史学科を卒業。
KBS京都(京都放送)に入社、現在は常勤監査役。
京都の史跡を多くの方に伝えたくて、京都史跡ガイドボランティア協会員として活動中。

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