賑やかな如月の京都
2月の京都は節分の賑わいに心浮き立つものがあります。市内各所の寺社で行われる節分の行事はどれも見応えがあり、どこへ行こうかと迷うほどです。京都市左京区聖護院の須賀神社の懸想文売りは節分の日に現れる恋文売りで、梅の枝を持っています。この数年は節分の日に懸想文(恋文)を買うのを楽しみにしており、懸想文を箪笥に入れておくと衣装が増えると言われていますので着物箪笥に大切にしまっています。2月の終わりには北野天満宮の梅花祭も待ち遠しく、冬の京都の2月はおすすめな事ばかりですが忘れてならないのは伏見稲荷大社の「初午詣」です。
稲荷信仰の原点、伏見深草
私の母は熱心に伏見稲荷に参拝しており私も子供の頃は母と弟と共に、毎月必ず頂上まで登っていました。子供の足でも大体2時間くらいで登って降りて来れます。月に2回登っていた頃もあり、いまだに「稲荷」の文字を見ると自分を守ってくれているような気がします。
伏見は言わずと知れた名水の土地で古代より水の里でした。深草遺跡には弥生時代の大規模な農耕遺跡があり、京都盆地の中でも早い時期から水田が広がっていたようです。水田での稲作は大陸より伝わりました。伏見深草では大陸から渡来した秦氏が栄え、伏見稲荷大社のご鎮座伝承にも関わっています。
「初午」とは2月初めの午の日のことで、2023年は2月5日です。「お稲荷さん」の神様は、和銅4年(711年)2月の初午の日に稲荷山にご鎮座されたので、この日には「初午詣」のご利益を信じて多くの人々が参拝します。宮廷の貴族からの崇敬も篤く、また民衆の信仰も盛んでした。『枕草子』には清少納言が早起きをして初午詣をしたことが詳細に書かれており、平安時代の貴族の女性たちが慣れない山登りに苦労していた様子が伺えます。古くは2月は本格的に田の仕事が始まる時期で、五穀豊穣を祈る意味合いもありました。「稲荷」の語源には諸説ありますが「稲が生る(なる)」というのが有力な説のようです。
狐は神の使い
「お稲荷さん」というと、やはり「狐」です。中には稲荷とは狐のことを指していると思われる方もいるかもしれませんが、狐は「神使(しんし)」と言って神様と人の間を行き来する神の使いです。本来、神様は人の目には見えない存在ですが、神仏を信じる人々の心は目に見える兆しを求めるものですから、山々に棲む鳥獣が「神使」であり神仏の手助けをしていると考えるようになったのでしょう。北野天満宮の牛、石清水八幡宮の鳩、護王神社の猪なども神仏の使いとして知られています。
さて、狐が「お稲荷さん」の神使になった経緯は諸説あります。狐の尻尾が稲穂に似ていることや狐は農耕にとって害獣となる野鼠などを退治するからとも言われていますが、東寺に伝わる『稲荷流記』に書かれているものが素敵なので私のお気に入りです。
昔、平安京の北、船岡山の辺りに年老いた夫婦の狐がいました。夫は銀の針を並べたかのような美しい毛並みを持ち、尾は密教で用いる五鈷杵(ごこしょ)を挟んだような形をしていました。妻は鹿の首に、狐の体を持っていました。夫婦には五匹の子供があり子供たちもそれぞれが不思議な姿をしていました。弘仁年中(810~824)の頃、夫婦狐は子供たちを連れて稲荷山へ行き、神前にひざまづいて、こう言いました。
「私たちはこのように獣の身ではありますが、生まれながらに霊智を備えています。世の中を守護し、人の役に立ちたいと願うのですが、この姿では思うようになりません。願わくばお社の眷属となり、ご神威をお借りしてこの誓願を果たしたいのです。」
これを聞き、稲荷明神は喜んで願いを聞き届け、夫婦狐は稲荷山へ支えることになりました。
狐の信仰
もともと日本の動物信仰は蛇や龍が根強く、狐を信仰するようになったのは平安時代からと言われています。陰陽師の安倍晴明が狐の子供であるという伝説は江戸時代に広まったようですが、実際に晴明の母の出身地周辺には狐の生息地があったそうです。狐は信じていれば災いを前もって知らせてくれる、災いを祓ってくれるなど、当時の貴族の間では霊的な力を持つものとされていました。その後、時代の移り変わりと共に狐は「あやしげな力を持つもの、妖狐」というイメージや「狐憑き」などが加わってゆきます。その後、商売繁盛、恋愛成就や縁結び、火事除けなど屋敷神としてのイメージも加わり善悪の両面を持つ今の狐のイメージが出来上がりました。伏見稲荷大社は五穀を司るとされる宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)が主な祭神ですが末社の白狐社では狐の信仰は単に「神使」に留まらず、霊狐として狐をお祀りしています。
また稲荷山の峰々には無数の神が祀られており、滝も多いことから、修験者の修行の場であったそうです。空海とも縁が深く、白狐の尻尾が宝珠の形をしているのは密教の法具を象っています。
出世、開運、延寿、子守り子育て、治病など人々の様々な願いを受け入れてきた稲荷と狐の信仰は現代もなお、廃れることなく崇敬を集めています。
験の杉
さて、初午詣に欠かせないのが「験の杉(しるしのすぎ)」です。ご神木を信仰することは古代からあることですが、平安時代の中期には熊野詣が盛んになり、その行き帰りに「お稲荷さん」に参詣し「験の杉」をいただいて身体につけるのが慣わしになっていました。「平治物語」には熊野詣の途中に火急に京へ戻らねばならなくなった平清盛の様子として「先ず稲荷の社に参り各々杉の枝を折って」と記されています。また「お稲荷さん」の初午詣については和歌も残っており、
きさらぎやけふ初午のしるしとて稲荷の杉はもとつ葉もなし
「初午に参詣した人々が、そのしるしとして、各々が杉の小枝をとっていくものだから、この日の稲荷山の杉はすっかり葉がなくなってしまった」
と詠まれた和歌が残っています。今も「験の杉」は伏見稲荷大社で授与されています。玄関や床の間に飾ると家が栄えるとも言われていますので是非手にしていただきたいです。
動物に願いを込める
伏見稲荷大社では狛犬の代わりに狐の像があり、口に玉や鍵、稲穂、巻物などを咥えています。玉は宝珠であり、宝珠は穀物の霊を表しているとか。興味深いのは鍵で、稲荷の宝蔵を開く秘鍵(秘密の鍵)または、お米の蔵の鍵を表しているとも言われています。密教の影響なのか呪術めいて神秘的なところも「お稲荷さん」の魅力です。
日本には八百万の神と言われるように沢山の神様が全国各地で信仰されていますが、その中でも全国に3万社あると言われている「お稲荷さん」の信仰はとても身近です。神社以外にも商店や自宅、ビルの屋上の小さな祠などあらゆるところで祀られており日本全国津々浦々まで浸透しています。そんな「お稲荷さん」の原点が京都の伏見稲荷大社であるというのはやはり京都人にとって誇らしいことです。
動物に願いを込めて縁起物としたり、吉祥のシンボルとして大切にしたりする心を私と夫は「動物吉祥」と名づけて、これまで沢山の作品を発表してきました。私がお取り扱いしている蛤貝殻も「動物吉祥」です。海の生き物である蛤や蛤貝殻で造られた貝合わせ、貝を入れる貝桶などは、夫婦円満、良縁祈願の縁起物として人々に長く信じられてきたものです。人が山や海の生き物に神秘を感じ、大切に思ってゆくことは人々の心を豊かにしていくように思います。
今では実物の狐を見かける機会はほとんどありませんが、人々が狐に願いを込めたりそのご利益を信じたりする心は、どんな未来になっても残ってゆけば良いなと思います。
『伏見の歴史と文化 京・伏見学 叢書 第一巻』聖母女学院短期大学 伏見学研究会 編 清文堂
『イチから知りたい日本の神さま2 稲荷大神 お稲荷さんの起源と信仰のすべて』中村陽 監修 戎光祥出版
『稲荷総本宮 伏見稲荷大社』京都新聞社
『稲荷信仰事典』山折哲雄 編 戎光祥出版
伏見稲荷大社ホームページ