茶室は、茶の湯を執り行うことに特化した特殊な建築物です。茶道に関わる方々にとっては、お稽古の場所であり、お茶会の場所。
さしあたって言い換えると、ギタリストにとっての練習場所であるスタジオであったり、本番のライブハウスであったり。
何もライブハウスを引合いに出す事もないのですが、関係ある人には馴染みのある場所であっても、関係ない人には近寄る事もない場所、という事が言いたくて。。。
茶道に縁のない僕ではあるのですが、銘竹問屋にとっては、茶室は仕事に深く関わる場所であり、数年前より月1回の茶室建築講座を受講する中で、興味が強くなっている場所でもあります。茶室での竹の役割を知るにつれ、竹が「銘竹」へとアップグレードされる由縁は茶室であるように考えを巡らしているからです。
「茶室」をテーマにするには知識も経験も足りないとは知りつつ、「銘竹問屋から見た茶室」にフォーカスを絞って書き進めたいと思っています。
これを読まれている茶道文化論や茶室建築に造詣のある方へ。あくまで“銘竹問屋から見た”であるので、間違ったことを書いていても眼をつぶって、ね。
茶室はライブハウス
茶室を定義づけしようとすると、「“茶事”を行う為の部屋(建物)」になるようです。
一期一会という言葉がありますが、これは千利休の教えに由来するものです。その場に集う一時を一生に一度きりの大切な時間と捉え、亭主が客へ細心の気配りでもてなした“茶事”を行います。
茶事とは、初炭・懐石・中立・濃茶・後炭・薄茶という二刻(4時間程)の一連の流れであり、その茶事を行う場所として、茶室は存在するのです。
「茶室という建築物そのものだけでは、少し物足りないもの」と講義の中で教わりました。床の間の掛け軸や季節の草花、道具が加わり、亭主と客が対面する事で、“茶事を行う為だけに存在する茶室”は、ようやく空間として成立する、という訳です。
さしあたって言い換えると、ライブハウスのステージだけではどこか物寂しさがあり、そこにアンプやギターなどの機材が置かれ、ライトが照り、客席が埋まり、バンドが音を出して初めてライブハウスという空間になる、といった所でしょうか。
四畳半の茶室
鎌倉時代に栄西が再興した喫茶の風習は、禅宗を中心に広まりました。当初は、床の間・書院・棚等を備えた書院造の部屋で行われていた事から「書院の茶」とされ、「唐物」や「名物」と呼ばれる中国から持ち込まれた高価で豪華な道具が使われていました。
茶室の大きさは、基本が「四畳半」であり、そして「小間」と「広間」、特殊な形式の「広間の小間据え」という4つに区分されます。
茶室の始まりとされる書院造の慈照寺(銀閣寺)の国宝・東求堂・『同仁斎』も四畳半。
なぜ四畳半なのでしょうか?4畳でもなく、8畳でもなく、わざわざハーフサイズの畳を入れてまで、何故ゆえに四畳半?
禅宗の住職の住居は、「方丈」の部屋。「丈」とは長さの単位であり、今でいう約3m。つまり畳の長辺の1枚半の長さになります。四辺が「丈」である「方丈」の正方形を作ろうとすると必然的に四畳半になる、という事です。このことからも、お茶と禅宗の密接な関係性が理解できます。
「わび茶」の精神
時代が移り、室町時代。村田珠光が提唱した『わび茶』により、「書院の茶」は「草庵の茶」へと変化していきます。
岩波書店・広辞苑第二版によると、『わび』とは“閑寂な風趣”。その動詞形の『わぶ』は“容易にそれがなしかねて、気落ちがする”という意味を持つ言葉です。わぶる事の「足りなさ」の境地としての、余計なものから逃れた先の簡素さや静寂さにある枯淡。「名物」と呼ばれる中国からの高価な舶来品を排し、質素な道具を用いる事が「美」であるとするのが、珠光が思い至った「草庵の茶」である『わび茶』の精神です。
その弟子である武野紹鴎は、掛物・置物や亭主と客の導線など、茶の湯を行う為だけの部屋の、もっとも理に適った間取りとして完成させたのが「四畳半の茶室」。
珠光の養子の村田宗珠が下京に構えた茶亭は「市中の山居」と評されました。京都の街中ではあるのに、隠者の住居のような人里離れた草庵で自然を慈しむ風情。茶室に草庵のコンセプトが取り入れられました。
二畳のステージ
そして、『わび茶』を大成し、四畳半の茶室から更に余分なものを排した狭い空間の小間に『わび』の精神を表現した「草庵の茶室」を完成させたのが千利休。
利休が建てたとされている京都大山崎・妙喜庵の『国宝・待庵』は、二畳の茶室。その狭さと、光の些少な暗さが、向かい合う亭主と客の心の通いを成すためのステージとして成立していたのだという気がします。
このように、『わび茶』の精神により、名物から質素な道具に、書院造から草庵茶室に変遷する中で、茶室や茶道具の材料として、竹が重用されていく事になります。
あれ?竹の話は?次回から登場します。 さしあたって言い換えると、今回はライブの前説です。
写真協力:東京・森田知実様/M邸茶室