京都にも家康の「東照宮」があった!?

徳川家康の京都ゆかりの場所と言えば、世界遺産の二条城をあげる人が多いでしょうが、皆さんはどこを思い出されますか?寄進した東本願寺や寄進したあと拡大した知恩院、今は無き伏見城(秀吉の築城)などでしょうか。実は、家康が遺した東照宮は日光東照宮だけではなく、京都にもあったのです。
 

東照宮とは

まず、東照宮の説明をします。東照宮とは「東から照らす神社」という意味だそうです。家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を主祭神として祀っており、日本全国の東照宮の総本社的存在が日光東照宮です。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」ですが、他の東照宮と区別するために「日光東照宮」と呼ばれているようです。
徳川時代に東照宮は全国に創建され、その数は700社にのぼったと言われていますが、現存するのは130社ほどではないでしょうか。なお、日本三大東照宮は日光東照宮と久能山東照宮、更に滝山東照宮と言われていますが、他の東照宮を指す場合もあるようです。因みに、滝山東照宮は家康の誕生地・岡崎城の鬼門封じとして、家光が創建したものです。
1616年、家康が駿府(現在の静岡市)で亡くなった後、遺言によって遺骸は直ちに久能山(現在の静岡市駿河区)に葬られ、同年中に久能山東照宮が完成します。その1年後には、日光に祀るようにとのことだったので、2代将軍の秀忠は翌年、天海僧正に命じて下野国日光に改葬しました。現在の主な社殿群は、3代将軍の家光の時代に完成したようです。
 

家康のブレーン

さて、家康が遺言で残した東照宮ですが、そのうちの一つは南禅寺の塔頭・金地院の境内にある東照宮と言われています。この金地院の以心崇伝が、家康のブレーンであり「黒衣の宰相」とも呼ばれ、上野の寛永寺を開いた天海僧正とともに家康の側近だったのです。崇伝は40歳で家康に呼ばれて幕府の政治に参加したそうです。幕府の法律の立案や外交関係の仕事を一切任せられるほど家康の信任が厚い人物だったようです。

諸説ありますが、徳川実紀によると家康は駿府城で臨終に際し、以心崇伝、天海僧正、もう一人の側近・本多正純を呼び、「遺体は久能山に納め、葬儀は江戸増上寺で行ない、靈牌は三州大樹寺に置くように」と言ったそうです。また「一周忌の後、下野国日光山に小堂を建て勧請し、京都の金地院にも小堂を建て、所司代を置くように」との事だったようです。1628年、崇伝は金地院に東照宮を造営し、家康の遺髪と念持仏を納めました。また、金地院東照宮を警護するために、京都所司代の番所が置かれたそうです。
 

金地院はどんなところ?

金地院の東照宮は重要文化財で、本殿、石ノ間、拝殿からなる権現造りです。本殿は総漆塗り、壁は極彩色で彩られ、拝殿の天井には狩野探幽の鳴龍が描かれています。

東照宮

現在の金地院は、大門を通り抜けると最初に明智門があります。名前の通り、明智光秀が母の菩提として大徳寺に建立したものですが、明治になってから金地院に移されました。

境内には崇伝を祀る開山堂があり、奥に崇伝像が置かれていて、後水尾天皇の勅願が掲げられています。方丈は、重要文化財に指定されており、鎌倉時代の仏師快慶作とも言われるご本尊の地蔵菩薩も祀られています。この方丈は、もとは伏見城に残されていた一部で、家光から頂いてこの金地院に移築させたものです。方丈という大きな建物が伏見城の一部だったということから、伏見城がいかに大きかったかが想像できます。

開山堂
方丈

この他にも、金地院の名称の由来となった「布金道場」の文字が掛けられた扁額は山岡鉄舟(勝海舟など三舟の一人)が書いたもので、狩野探幽、尚信兄弟の襖絵もあります。
小書院には重要文化財の長谷川等伯の襖絵「猿猴捉月図」があります。一匹の手長猿が枝を片手でつかみ、もう一方の手で水に映る月をつかもうとする様子を描いたもので、猿の毛並みも繊細に描かれています。
庭は小堀遠州が造営した枯山水庭園「鶴亀の庭」で、鶴と亀の間には畳で四畳くらいの大きな長方形の巨石があります。これは遥拝石と呼ばれ、東照宮を拝むために置かれたものです。当時は、ここから東照宮が見えたと伝わっています。崇伝は徳川の時代が長く続くことを願い、また三代将軍・家光に見てもらいたいという思いで、この庭を設計させました。しかし残念ながら、完成する一年前に崇伝は亡くなり、家光が訪れたという記録も見当たらないそうです。

鶴亀の庭
遥拝石

その他、遠州作の茶室「八窓席」も有名で、大徳寺孤篷庵、曼殊院の茶室と共に、京都三名席の1つに数えられています。家康が遺した東照宮が京都にもあったことに驚きましたが、金地院はそれ以外にもこんなに多くの見どころがあったのです。


(参考資料)
黒衣の宰相(火坂雅志著・朝日新聞出版)、日光東照宮ホームページ久能山東照宮ホームページWEBサイト「ニッポン旅マガジン」WEBサイト「京都ガイド」WEBサイト「伊藤久右衛門公式オンラインショップ」kyotopiWEBサイト「岡崎おでかけナビ」WEBサイト「西三河ぐるっとナビ」WEBサイト「神社と古事記」WEBサイト「中世歴史めぐり」WEBサイト「トリップアドバイザー」
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この記事を書いたライター

京都市左京区出身。
歴史に興味をもち、関西大学文学部史学科を卒業。
KBS京都(京都放送)に入社、現在は常勤監査役。
京都の史跡を多くの方に伝えたくて、京都史跡ガイドボランティア協会員として活動中。

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