書くのが苦手なワケは、国語の時間にあった!
「話すように書きなさい」
作文の時間によく聞いた、先生のテッパンアドバイスですよね。でも、それでスラスラと書けた経験のある人はごく少数派でしょう。「話すように書けたら、誰も苦労せんわ」これが、多くの生徒たちの心のつぶやきだったと思います。それどころか、私のように先生のアドバイスにバカ正直に従って、まさしく話すがごとく関西弁丸出しで書いたら「きちんとした言葉を使いなさい!」とダメ出しをくらって先生不信に陥る素直な子だっていることでしょう。
俗に「読み書きそろばん」といわれるように、書くことは超基本スキルとされています。でも、ふりかえってみると小中高の12年を通じて「書き」に関しては「漢字の書き取り」だけで終わっていたように思います。もちろん作文という課題はあったものの「書き方」そのものを教わった経験は、少なくとも私の記憶にはありません。国語の時間って、言葉は教えてくれるけど、言葉の使い方は教えてくれないんですよね。
そう、これが多くの人にとって「文章がニガテ」「書くって、なんかメンドウ…」と思ってしまう大きな原因だったのです。考えてみれば当たり前のことなんですが、何ごとにも「やり方」ってのがありますよね。スポーツやゲームでは「体が覚える」といいますが、あれだって「やり方」を体が覚えたってだけのこと。
文章にも「やり方」があるんです。言ってみれば「文章のトリセツ」のようなものです。それさえマスターすれば、スラスラと書けるように…な~んて調子のいいことは言いませんが、少なくとも「これまでよりは、書くときのストレスが少なくなった」と思ってもらえるような「やり方」を公開してまいります。
失敗から学んだ「文章のトリセツ」
ごあいさつが遅れました。私は、当サイト「Kyoto Love. Kyoto」を主宰する吉川哲史と申します。サイト運営のかたわら、自らも記事をアップしております。
ではありますが、記事を書きはじめたころは、悪戦苦闘の日々でした。だって、これまで世間様に読んでいただく文章なんて書いたことがなかったからです。くわえて奥深き魅力を放つ京都を語ろうとすると、どうしても歴史や文化といった堅苦しい文章になりがちです。すると、文章も迷走することになります。
自分でも何が言いたいのか、よくわからなくなっていた文。はじめと終わりで、言ってることが真逆になってしまった文。などなど失敗だらけで、自分がイヤになる毎日でしたが「京都の魅力をもっと知ってほしい」という想いのもと、めげずに書きました。いや、書き倒しました。
そうするうちに、だんだんと自分なりの「やり方」が見えてくるようになりました。書くことがラクになったという感じです。なので、これから紹介する「文章のトリセツ」は、私自身の失敗と経験から体得したノウハウの「おすそ分け」といった感じで読んでもらえるとうれしいです。
なお、本稿は全10回くらいの連載予定です。トリセツの項目は、以下のような感じにしようかなって思ってます。
【INDEX】
・文章は見た目が9割。文章の第一印象は、思った以上に重要。
・いきなり書いてはいけない。
・ゴールなきマラソンは走れない。あなたの文章にゴールはあるか?
・「相手ファースト」が文章の決め手。「伝える」と「伝わる」の間には巨大なミゾがある。
・わかりにくい文章は、相手の時間ドロボー。わかりやすさは、誠実の証。
・ココロで書ききり、アタマで見なおす。
・文章の質は、推敲の数に比例する
・うまい書き手はダンドリ上手。
・わかりやすい文章は、正しい文法で書かれている。
・ネット社会でも語彙力って必要なの?
とりあえず思いついた分だけ挙げてみました。他にもあると思いますので、思いだしたらどんどん加えていきます。あと、本サイト「Kyoto Love. Kyoto」は、「京都に関わる人の役に立ちたい」を理念としておりますゆえ、例文にはふんだんに、時には強引に、京都ネタを取り入れてまいりますので、ご了承くださいませ。
では、さっそく第1回目のテーマ「文章は見た目が9割!」についてお話しいたします。
と、その前にドサクサにまぎれて恐縮ですが、悪銭苦闘から生まれた拙著を紹介します。↓↓↓
文章は、見た目が9割!
まずは、次の2つの文章を比べてみてください。あ、読まなくてもいいです。むしろ、パッと見の印象のほうが大切です。ちなみに、文のテーマは「なぜ京都は全国有数のパンの町なのか?」です。
どちらの文を読んでみようと思いますか?断然、Aのほうですよね。念のためですが、書いてある内容はどちらも同じです。AとBの違いには2つのポイントがあります。
1.余白とメリハリ
Aは、行と行の間隔はもちろん、適度に余白の行を入れることで、読み手に視線の余裕を与えています。いっぽうのBは窮屈で読むのがツラそうです。また、Aはタイトルを太字にするなどメリハリをつけているのもポイントです。
2.漢字の比率
Aは文全体の28%が漢字なのに対し、Bは45%もの漢字が含まれています。漢字が多いと、とたんに窮屈さが倍増します。例文はちょっと極端な文にしましたが、似たようなことは結構やっちゃってます。
たとえば…
「できます」→「出来ます」
「ありがとう」→「有難う」
などなど、手書きとちがってパソコンやスマホが勝手に変換してくれるので、ついつい漢字が多くなりがちです。また、若いころの私は「漢字が多い文のほうがイけてる」というカン違いで、いちびって漢字を多くしてました。「読んでもらう」という目的とは真逆のことをしてたわけです。
参考までに、一般に漢字の比率は30%以下が読みやすいとされています。ちなみに、本稿の場合は約25%です。
このように、文章の第一印象は思った以上に大切です。「絶対に読まなければならない理由」がある文章を除くと、つまり世の中のほとんどの文章は「読むか読まないかは、読み手に委ねられている」ということになります。では、読む読まないの判断基準は何か?もちろん「テーマやタイトルに興味があるか」「誰が書いているか」も大きな要素ですが、それと同じくらい「パッと見た感じ」に左右されていませんか?「なんとなく読みにくそう」「難しそう」と感じた文章は反射的にスルーしているはずです。実際に読んでみれば、とても面白い内容であったとしてもです。だから「文章は、見た目が9割」なんです。
読まれない文章は存在しないのと同じ
いくら頑張って書いた文章でも、読まれなければ意味がありません。たとえ100時間かけて書いた大作でも、読まれない文章は存在しないのと同じことになります。ブログやSNSあるいは企画書など、あらゆる文章に共通していえることは、「そもそも読んでもらえるか?」の壁を突破できるかどうかにあります。皆さんも自分が読み手の立場になれば、「文章は見た目が9割」の意味を実感していただけると思います。
あらためて詳しく述べますが、「書く」ということは何らかの目的があるはずです。日記などを除いて、そのほとんどは「誰かに何かを伝える」ことが目的となります。苦労して書いたんだから、ちゃんと読んでほしいですよね?そのためには、読んでもらえるかの「壁」を越えなければなりません。壁を越えるためのポイントは、文章の内容そのものよりも「見た感じ」にあります。
話がぶっとびますが、「外見?それとも人柄?」というホンネとタテマエが複雑に入りくんだ恋愛論をふっかけてくるメンドクサイさんがいますよね。でも、人柄を知ってもらうためにも清潔感など最低限の見ためは重要って結論に落ちつきます。文章だって同じこと。どんなに素晴らしい内容であっても、たとえ人類未踏の発見を書いたとしても、「読みにくそうな文章は読まれない」残念ながらこれが冷酷な現実です。
でも、逆にココさえ押さえれば、少々つまんなくても読んでもらえる確率があがるってことです。しかも、それはほんの少しの気配りでできること。そう考えると、文章って案外カンタンなもんです。
いかがでしたか?ちょっとした「やり方」を知るだけで、文を書くのがきっとラクになります。次回はもっといろいろな紹介してまいります。それでは、このへんで「文章のトリセツ」第1章を終わりたいと思います。第2章でまたお会いしましょう!