時代祭をもっと楽しむ! ~維新勤王隊列にかける朱雀の想い~

テレビや現地で時代祭の行列を見たことがある人は多いと思いますが、それぞれの時代列の意味や、秘められた想いがあることをご存知ですか?今回は、時代祭の先頭を務める「維新勤王隊列」をピックアップしてインタビューさせてもらいました!時代祭を深掘りして、京都をもっと楽しみましょう。

時代祭とは

時代祭は京都三大祭のひとつで、京都の誕生日にあたる平安遷都の日、毎年10月22日に行われます。明治28年に創建された平安神宮の秋のお祭で、京都市民が主体的に祝うものなんですね。平安神宮と時代祭を支えるために平安講社という組織があり、市民は学区ごとなどでそれぞれのグループに属しています。約2,000人による明治から平安時代までの華やかな時代行列は、平安講社のそれぞれのグループが毎年交代制で務められているものです。

維新勤王隊列とは

山国村(現在の京都市右京区京北エリア)は、長い間にわたり皇室直轄の荘園で、木材を御所造営などに供しており皇室とゆかりの深い土地でした。山国村の人々は、明治維新が進む日本で激しく抵抗する人々を鎮圧する官軍に加勢し「山国隊」が誕生しました。戊辰戦争などで活躍した功績で、第1回の時代祭から行列に加わることになったんです。
ただ、毎年の農繁期に京北から京都に泊まりがけで出てくるのは負担が大きかったため、大正10年から朱雀エリアの方々が維新勤王隊列を受け継がれました。いまの平安講社第八社にあたります。平安講社第八社は「朱雀第一学区」から「朱雀第八学区」の8学区で構成されています。
朱雀が担当するようになった理由は、この時期に京都市に加入したこと、山国村で切り出した木材を商うお店が朱雀エリアに多くあり山国村出身の方も多かったこと、山国隊が北野天満宮に参拝していたので北野天満宮のある朱雀エリアなら安心だから、など様々な説があります。

平安講社第八社 太田理事インタビュー

平安講社第八社(朱雀学区)で時代祭に深く関わられている太田興理事にお話を伺いました。

太田理事

―太田さんはどういうきっかけで時代祭へのご奉仕を始められたんでしょうか。
太田「私は子供の頃からここの地域に住んでいたのですが、時代祭とは全く縁がなくて、さらに言うと、町内会というのにもあまりよくないイメージを持っていました。ところが結婚して西宮に住んで、そのあとすぐ阪神淡路地大震災が起こって被災しました。行政がパンクしてしまった時に地域の人たちが頑張って助け合っておられるのを見て、意識が変わりました。そこから京都に戻って地域のことをやりだすようになったんです。時代祭と自主防災会の活動ですね。

―防災の活動もされているんですね。
太田「自主防災会というのは、消防団とは違って地域の皆さんに災害時の対応や心構えを普及啓発する組織です。自分たちが制服を着て火を消すわけではなく、災害時にはこういうことが起こりますから、日頃からこんなことをしましょうね。と呼びかけたりしています。
そしてお祭には地域を再構築する役割があるんです。お祭のときに怒ったり目くじらを立てる人はいないわけで、みんなニコッとしてくださるわけです。人を和ませるというか、地域を結びつけるのに非常にいいツールです。わたしがお祭りを始めた時に平安神宮の神職さんに『お祭りっていうのは地域のわだかまりを解いていく機能があるんだ。』といわれました。地域でいろいろ揉め事があっていがみ合っていたとしても、せっかく神様がみんな元気でやってるかと見に来てくれはるから仲良くしようというようなものですね。」

―防災の活動もお祭りも、地域をつなげるという意味があるんですね。人間である以上揉め事などは起こってしまうものですが、それをも解消する役割がお祭りにはあると。

太田「お祭りと防災についてはいろいろな研究があります。京大の防災研に留学していたネパールの学生から聞いた話ですが、例えばお祭の寄付を集めに行くときに一軒一軒、家を回ります。そこでここの家族はみんな元気だなとか、こういう家族構成なんだなっていうのを確認するんです。街でお練りをした時にあそこのおばあちゃん今年も元気で見に来てくれてるなとか、あそこはどうしたんかなとか、そういう風にして街の様子を見られる、それが祭の防災機能という側面です。この話でいうと、『なまはげ』がまさにそうなんですよね。『泣く子はいねが~』とか言いながら家に入って、子供がいるな、おじいちゃんもいるなとか、家族構成を家にあがり込んで見るわけです。

―人を襲ってるように見せかけながら、そんなちゃんとしたチェック機能があったんですね!
太田「だから火事などがあったときに、消防団や村の若い衆が『この間なまはげで行った時におばあちゃんいたなあ、そこで寝てるはずやから助けよう!』とかね。お祭りっていうのは、現代的にはそういうふうな役割もあるんやなということですね。」

―防災とお祭りに意外な相互関係があってびっくりです。それでは維新勤王隊列の準備のようすや裏話など教えてくださいませんでしょうか?
太田「毎年9月20日に維新勤王隊の入隊式があります。日曜日以外は、1ヶ月間毎晩練習をするので練習期間中事故のないように、平安神宮から神職さんに来ていただいて神事をするんです。そこで時代祭で笛を吹くのはただのイベントじゃなくて神事の練習なんだということを肝に銘じます。練習の最初と最後には神棚を設けて二礼二拍手一礼して練習を始めます。練習が終わったらまた拝礼をします。」

―維新勤王隊に参加できるのは男の子だけなんですか?
太田「基本的には朱雀学区に住む中高生の男子ですね。今はもう子どもが少ないし、仕方がないから朱雀に住むという要件から朱雀にある学校に通っている子もOKにしようかと言って広げたりしています。ジェンダーの観点から学校での宣伝も難しくなっています。でも女の子を入れようとしても時代考証的にちょっと難しいんですよね。

―確かに女子もOKとなったらやりたい子は多いと思います。私もそうでしたが、歴史物の漫画や小説などの作品に興味をもつ子も多いし。私なら絶対やりたいですね!
太田「そういう時代もいつかは来るかもしれないですね。北海道神宮でも同じような維新勤王隊列があるんですが、女の子がいるんですよ。ただ京都の場合はそれよりも学区を広げる方が先になるかなと。朱雀学区に通えるんだったら学区以外に住んでいてもOKということにするのも一つの方法かなと思います。」

―時代祭は平日に行われることもありますが、中高生はどうしているんでしょう?
時代祭に出てくれた子には、この子は時代祭に出るんで学校休みますよという参加証明書を出します。公休にしてくださるかどうかは学校の先生にもよるんですけども。私が入った時には『これはアルバイトじゃなくてお祭りです。ズル休みじゃないんですよ。』みたいな文章だったんです。こんなんではあきませんと。この子は時代祭という京都の誕生日を祝うお祭りに代表として出るんですから、スポーツ全国大会に出るような子を送り出すような感じの文章にしましょうと言って。時代祭りの一翼を担うためにやってるんだから、学校としてもしっかり送り出してくださいとお願いしました。

時代祭 参加証明書

―誇りをもって奉仕するという気持ちは大事ですよね。時代祭の維新勤王隊列に参加するというのは大事なお役目ですもんね。
太田「やる人が誇りを持ってやれるように周りの大人がちゃんと環境を整えないといけませんよね。当日だけのことじゃなくて、1ヶ月間の練習をして当日を迎えてるわけですから。誇りを持って送り出してあげたいですね。」

―維新勤王隊の見どころはどこでしょうか?
太田「維新勤王隊が行進曲を演奏するんですが、『戊辰行進曲』と『朱雀行進曲』があって、戊辰行進曲が時代祭りといえばの『♪ピーヒャラ、ラッタッタ』という曲です。朱雀行進曲の方は行進せずに御所と平安神宮とで止まって行う特別な演奏なんですよ。これを知ってる人は少ないでしょうね。上手でないと演奏を教えてもらえないというか、上級者が選抜チームでやるのが朱雀行進曲なんです。そこで選ばれるっていうのはとても名誉なことですね。」

―御所の出発時にみんなが見てるところでやるのは緊張しそうですね。是非当日は拝見したいと思います。行進曲はどのように学ぶんですか?
太田「音楽指導員さんがいます。ずっと維新勤王隊であったベテランさんがやっていて、元々朱雀に住んでた人たちです。結婚してよそへ行ったりする人も多いんですけど、その時期はみんな帰ってくるんです。一般の隊士出身で、企業に入って海外赴任で香港に駐在してる方なんかも自費でお祭りには帰ってくる。やっぱり思い出のお祭りだからこれは見とかないといけないという感じですね。」

―関係者の皆さんの熱量がすごいですね!気になっていたことを質問させてください。行列では馬に乗る方もおられますが、いきなり当日でできるものなんでしょうか?
太田「馬に乗る方は何回か馬の練習があるんです。淀の京都競馬場で馬に乗らせてもらって練習をします。」

―ちなみにお化粧やカツラとかいうのは専門の着付けの方がいらっしゃるんですか?
太田「そうです。どこ時代はだれが担当するっていうのが全部、装束屋(しょうぞくや)さんで決まっているんです。衣装は前の晩に、当番学区の学校に搬入して一晩寝ずの番をします。全部合わせたら60億円分くらいの衣装ですから、何かあったら大変ですよね。」

―最後に、太田さんの時代祭への想いを教えてください。
太田「わしも馬に乗ったとか、わしも中学生の時に維新勤王隊として出してもらったとかね。そういう方が地域にいっぱいいらっしゃるんですよ。『子どもらにもああいう楽しい思いをさせてやってな』っていう風に言ってくれる人もいるし、責任がありますよね。地域の方のよかったなっていう思いをちゃんと次の世代に伝えていかなあかんなという思いはありますね。若い子にちゃんと伝えていかないなければいけない行事だと思います。
維新勤王隊はもちろんなんですけども時代祭全体というものが、明治に都が東京に移ってしまって街として少し元気がなくなった時にこんなことではいけない、街を盛り上げようということで始まったお祭りなので、そのコンセプトは京都の誕生日をお祝いすることです。そういう歴史を振り返って自分が京都の歴史に関わる一人として、どういう風に京都と付き合っていくのか何ができるのかということを考えてほしいですね。京都は夏暑いし、冬寒いし、道狭いし、とか言うててもたくさんの人が京都をこうやって続けてこられて、自分も続ける一員となる。そんなことを考える一日としてこの時代祭りの日を思ってほしいな、という風に思います。

―太田さん、ためになるお話を有難うございました!

おわりに

今回は維新勤王隊列だけに焦点を当てましたが、時代祭のそれぞれの列では同じように色んなドラマがあります。時代祭の行列を鑑賞されるときは、各時代の偉人たちだけでなく、京都市民がどういう気持ちで準備をして当日を迎えているか、なども考えていただくとより楽しめるのではないでしょうか?1年に1度の時代祭を是非しっかり味わってくださいね。

参考文献
・「平安講社第八社 時代祭とわれらの維新勤王隊」平安講社第八社・平安講社第八社立命班
(2020年度立命館大学シチズンシップ・スタディーズⅠ「時代祭応援プロジェクト」)
・「平安講社第八社 われらの維新勤王隊 魁」平安講社第八社
・「時代祭(パンフレット)」平安講社本部(平安神宮内)
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この記事を書いたライター

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