文章の根っこにあるもの
文章とは「何かを伝える」ための手段であることは、皆さんご存じのとおりです。では、その「何か」とは何でしょうか?私なら、文章とは「ココロ」を伝えるための手段だと答えます。ここでいうココロとは、感情や気持ちはもちろん「自分はこうしたい」「自分はこう考える」などの意志や考えといった思考を含みます。究極、ココロのない文は存在しないとさえ思っているほどです。
たとえば「12月10日13時から営業会議を行います」というメールを送るとしましょう。文字に現れているのは、日時と何の会議か?の2点ですが、そこには会議に対するココロがあるはずです。「会議では、売上目標達成への課題を話しあいたい」と思っているならば「各自の課題と自分なりの対策を考えて臨んでください」というひと言が添えられてしかるべきです。あるいは「重要な会議なので、絶対に遅れないように」かもしれません。もし、そういった思いがないのであれば「参加することに意義のある会議です」がメッセージ、つまりココロとなります。あるいは「部長から『みんなに会議日程を伝えるように』言われたので、連絡しました。それ以上もそれ以下もありません」がココロなのかもしれません。言ってみれば「思いがないという思い」がメッセージといえます。
今あげたのは極端な例ですが、こんな短い事務連絡でもココロが存在することは、おわかりいただけたと思います。当然、企画書や業務レポート、イベントの案内状などのビジネス文書はもちろん、手紙やSNSでのつぶやきに至るまで、自分の思いすなわちココロは必ず存在します。ココロが無ければ、そこにある文字は単なる記号に過ぎません。無機質な記号で人の心を揺さぶることなど、できるわけもないので、相手の反応も機械的なものになります。「実のある会議になる」「企画が採用される」「投稿に共感してくれる」ことはありません。文章を作るためのムダな時間を費やしたという事実が残るだけです。皆さんならどうですか?同じ時間を費やすなら、意味のある文章を書きたいと思いませんか?そこにあるのは、文章が上手いかどうかではなくココロです。
ココロの伝え方
では、そのココロはどのように伝えればよいのでしょうか?私の場合は「書く動機」「伝える内容への思い」「読み手のメリット」の3つを大切にしています。
1.書く動機=なぜ書くのか?
読み手に期待する行動は何か?身もフタもない言い方をすれば「自分のメリットは何か?」を考えることです。これをそのまま文字として書くことは少ないと思いますが、大前提として意識すべきことになります。
2.伝える内容(対象)への思い
先ほど述べた会議の連絡であれば、会議の重要性や考えておいてほしいことなどです。企画書であれば企画や商品への思い入れや情熱であり、SNSでのつぶやきであれば出来事への気持ちそのものが、伝えたい対象への思いとなります。もし、これが無いとするならば、自分にとって「どうでもいいこと」を伝えるということです。これって相手に対して、とっても失礼なことだと思いませんか?
3.読み手のメリット
相手に「どんなイイコトがあるのか?」を考えることです。会議の例でいえば、事前に自分の考えを整理しておくことで、有意義な会議の時間を過ごすことができます。企画書であればその企画を採用することで「どんな効果」が得られるのか?イベントの案内であれば「どんな体験」ができるのか?それを伝えられるかどうかで、読み手の行動が変わってきます。また、ここでいう「読み手のメリットを考える」ことは、本シリーズで再三にわたってお話ししてきた「相手ファースト」つまり「おもてなし」の心がまえそのものだといえます。
「伝える内容」を通じて、書き手の動機と読み手のメリットがつながれば、両者の間に「win-win」の関係が成り立ちます。このように「動機、内容への思い、読み手のメリット」の3点が交わるポイントを探ることで伝わる文章を書くことができます。これら3つに共通しているのが書き手の思い、すなわち「ココロ」というわけです。
文章とは自分の分身
ところで、「ココロ」や「思い」は「主観」という言葉に置きかえることができます。主観とは「何を思い、何を考えているのか。何をしたいのか。何をしたくないのか。何を大事にしているのか」であり、その人の個性そのものです。ゆえに主観の入った文章は、その人にしか書けないものとなります。もちろん、その個性や考えに共感できない人も一定数いると思いますが、仮に反感を買ったとしてもいいじゃないですか!個性のカケラもない機械的な文章なんてスルーされるだけですから。もし、主観が全くない100%客観的な文章があったとしたら、それは誰が書いても同じということです。まさしく機械であるAIにお任せすればいいと思います。
ここで、唐突にクイズです。
「念う」は何と読むでしょうか?
正解は…
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「おも-う」です。
信念、念願、執念などの熟語があるように、念には「こうあってほしいと心の中で祈る」「いちずに思いをこめる」という意味があります。つまり「念い」とは、ココロそのものといえます。
数年前に『人は見た目が9割』という本がベストセラーになりました。かくいう私も、それにあやかり『文章は見た目が9割』のタイトルで本シリーズの第一稿を綴りました。しかし、人間の本質、つまり人間性は、見た目ではなく言葉と行動に現れます。自分のココロとアタマの中身を、言葉で紡ぎだしたものが文章であり、それゆえに文章とは「自分の分身」だと私は考えています。だからこそ、言葉に自分自身を託せるように、「自分が何を成し遂げたいのか、何を大事にしているのか」といった「念い」を常日ごろから意識すべきだと思います。
文章のトリセツ「最後のコツ」
さて、10回にわたって連載してきました『文章のトリセツ』を締めくくるにあたり、「最後のコツ」をお話しいたします。それは「伝わらないのは自分のせい」だと考えることです。せっかく書いた文章なのに、相手に理解してもらえなかった、共感してもらえなかった…といった悔しい思いをした経験は誰にでもあると思います。そのとき「理解しない相手が悪い」と考えるのか「自分の文章のどこがマズかったのか?」と考えるのかで、その後の明暗が分かれます。
例をあげてみます。AさんはBさんに仕事の依頼書を懇切丁寧に書きました。でも、残念ながら要領を得ない書き方となり、BさんはAさんの思う通りには動いてくれませんでした。Aさんは「ここに全部書いてあるのに、なんでできないんだ!」と怒るばかりで、自分に非はないと考えています。すると、どうなるか?別の仕事でAさんは、Cさんにも同じような依頼書を書いて、やっぱり伝わらずに不本意な結果に終わります。さらにDさんにもEさんにも依頼書を書きますが、その結果は…皆さんの想像されるとおりです。
ここで、Aさんが「なんで伝わらなかったんだろう?」「自分はどうすればよかったのだろう?」と考えていればどうなったでしょうか?たとえば、Bさんがどういう解釈をしたのか、どこがわかりにくかったのかを聞いてみるのも1つです。「なんだ、そういうことか。なら、ここを直せばいいんだな」となり、CさんDさんEさんには伝わる依頼書が書け、仕事も順調に進む…すべてがそうなるとは言いませんが、その可能性が高まるのは間違いないでしょう。
例にあげた前者の考え方を「他責思考」、後者を「自責思考」といいます。他責は「自分は悪くない」と考えるのですからパッと見はラクですが、同じ失敗をくり返すので何の進歩もありません。いっぽうの他責は、最初は手間ヒマと少々ココロの負担がかかりますが、繰り返すうちにどんどん状況はよくなります。長い目で見たときに、どっちが得なのかは言うまでもありませんよね。私はなにも「卑屈になれ」と言っているのではありません。他人を変えようとするより自分が変わる方が確実だし、結局ストレスも少なくて済むという、ものすごくシンプルな話をしているだけです。
この自責思考は、文章だけでなくあらゆる場面にあてはまります。文章の場合は「書いたもの」という具体的な対象があるので見直しがしやすく、より改善につながるということです。この失敗や経験から学ぶという行為は「学習能力」とも呼ばれていますよね。本を読んだり人に教えてもらったりすることも、もちろん学びですが、最高の教科書は「経験」だと思います。
「学問のまち」京都に関わる人たちへ
さて、学びと言えば、京都は平安の昔から「学問のまち」として知られています。それを法的に位置づけたのが、徳川家康が定めた「禁中並びに公家諸法度」だと私は考えています。第一条に書かれた「天子諸芸能之事、第一御学問也」は「天皇と公家は学問に専念すること」を意味しています。当時の天皇は京都にいましたので「京都は学問に専念せよ」ということになります。もちろん、そこには「政治のことは江戸の幕府に任せなさい」というホンネが隠されているのですが、戦後憲法の制定より300年以上も昔に、象徴天皇のあるべき姿を示しているとも解釈できます。ところで、この法度を定めた家康という人物は、織田信長のような天才でもなければ、豊臣秀吉のような天性の人たらし術も持ちあわせていません。では、なぜ徳川家康が最後の覇者になれたのか?家康は「学びの達人」だったことが大きいと私は考えます。家康が読書家であったことは有名ですが、それ以上に信長や秀吉、あるいは武田信玄などの先達、特に自分を苦しめた人たちから、その成功も失敗も含めて色んなことを学びとったことが、260年続く江戸幕府の礎を築いた。私はそう考えています。本稿は歴史を語る場ではないのでこれ以上は述べませんが、よろしければ拙著『戦国時代がわかれば京都がわかる』をお読みいただければ幸いです。
▶『戦国時代がわかれば日本がわかる』
最後に。
学びは文章に活かせるだけでなく「人生を豊かにしてくれる大きな武器」だと強く強く書き記して『文章のトリセツ』全10章の結びといたします。拙稿におつきあいいただき、ありがとうございました。