「考える」を考えてみる

なぜ、考えることを考えてみるのか?

人は1日あたり平均12,000~60,000回の思考を行う。

2005年の米国国立科学財団の調査によるものです。とんでもない数ですね。もちろん「今日の昼ごはんは何にしよ?」といったことまでを含んでいるとは思いますが…。それにしても1日8時間睡眠として、1時間に最低1500回「考えている」ことになります。もはや、呼吸をするように考えているのが人間であり、人間と思考は切っても切り離せないものだといえます。

私たちは学校や職場で「よく考えなさい」と言われ続けてきました。つまり「考えることは大切なんだ」ということを昔から教えられてきたわけです。その思考の重要性が、昔とは比較にならないくらい高まっているのが現在であり、その傾向は今後ますます顕著になっていくと思われます。そこで、「考えることについて考えてみよう」というのが本稿のテーマです。

とはいえ、「考えることを考えた」ことのある人って少ないのではないでしょうか?それは「息を吸うことをわざわざ考える人がいない」のと同じようなものかもしれません。でも、呼吸が生きるために不可欠であるように、考えることも生きるために欠かせないものです。いや、「幸せに生きる」ためには、呼吸以上に大切なもの。私はそう考えています。ですから、縁あって本稿をお読みいただく皆さんにも、ぜひ「考えることの意味」を考える機会にしていただければ幸いです。

思考とは、自分の頭と心で考えること

考えること、すなわち思考とは何でしょう?私なりの解釈では「自分の頭と心で考えること」になります。「心で考える」ことの意味は後ほど述べるとして、まずは「自分の頭で」を強く意識してください。たとえば、ネットで調べたり、本を読んだりしただけでは考えたことにはなりません。それは「他人の考えを後追いした」だけで「考えたつもりになっている」に過ぎないからです。SNSに書き込まれたものを見て、さも自分の意見のように述べる人がいますが、それは「他人の意見のコピペ」といえます。その他人の意見について「本当にそうなのか?」「なぜ、そうなのか?」「自分なら○○と考える」というふうに思いを巡らせることが「自分の頭で考える」ということです。そういう私自身、あらためて振り返ってみると「考えたつもり」になっていたことがなんと多いことか…。

ところで、ある1つのテーマを深く考えるときに有効なのが「別のものと比べてみる」という方法です。たとえば「考える」と「思う」の違いを比べてみます。「考える」は主に脳への働きかけを指し、「思う」は主に心の反応を示します。こうしてみると、「思う」よりも「考える」の方が能動的であることがわかります。他の例でもみていきましょう。

「悩む」と「考える」の違い

「悩む」とはどんな状態でしょうか。ひと言でいえば「どうしていいか、わからない状態」です。別の言葉に置きかえると「困っているけど、行動ができていない状態」ともいえます。『ドラえもん』で、「明日テストがあるんだけど、全然自信がない!どうしよう!!」と頭を抱えているのび太に対して、ドラえもんが放った至極ごもっともなひと言が「悩んでる間に1つでも勉強しなよ」です。のび太にとっては「どうしていいか、わからない。ゆえに行動もできない。困ったなあ」が悩んでいる状態です。1ミリたりとも前に進みません。いっぽう、ドラえもんは「困っている状態への解決策を出している」ので、考えている状態といえます。

整理すると、「困った、嫌だなあ」といった感情が中心となって、頭の中でぐるぐるグルグルと堂々巡りをしている状態が「悩んでいる」です。その困っている問題を解決するために、具体的な方法を導こうとするのが「考えている」です。悩んでいる状態は、「何をすればいいのか」がわからないのですから、悩んでいる間は解決することはありません。

「知識」と「思考」の違い

知識をバッサリと言い切ると「単なる情報」ということになります。「○○とは□□である」を知っているか、知らないかのどちらかです。いっぽうの思考は、「その知識をどのように活用するか」です。「○○を活かして△△を作ってみよう」のように新しいものを生みだすことや、「□□であることが○○ならば、■■も○○といえるのでは?」と、似たような場面でも使えるように応用することなどです。その展開例は無限ともいえます。その活用の蓄積、つまり思考の積みかさねが「知恵」ということになります。つまり、「知識」と「知恵」も似て非なるものといえます。

人間の思考とAIの違い

プロの将棋士にAIが勝ったことは有名な話です。AIは過去のさまざまな差し手をデータ化し「最善の一手」を考え出します。そのデータ量は人間の脳の軽く100倍以上でしょう。過去のデータは膨大にあり、かつ常に増え続けます。年とともに記憶力が弱くなる人間がかなう訳がありません。では、人間にあってAIにないものは何か?その1つは感情や意志でしょう。「人は必ずしも論理に従って行動するわけでない」ことは、100均ショップの前に設置された、店内の1.5倍もの価格で売られている自販機で買う人がいることからも明らかでしょう。また、「100点の企画案だが担当者があまり乗り気でない場合と、50点の企画でも担当者が『絶対に成功させてやる!』という強い意気込みで臨む場合とでは、後者の方が成功確率は高い」という話を聞いたことがあります。やる気満々の担当者であれば、その想いに共感した人たちが協力してくれる可能性も高いでしょう。前節で述べた「心で考える」ことの意味はここにあります。人間の気持ちがもたらすパワーは、さまざまな相乗効果を生みだすことがあるからです。

ここから言えることは、AIは「過去」に視点を向けるのに対し、人間の意志は「未来」に目を向けるということであり、それが両者の大きな違いといえます。

思考とは、正解のない問題を解くこと

他にもまだまだある、私なりの「思考とは?」について述べてまいります。

気づきを得ること

「○○って、□□だったんだ!」となるのが、気づきです。別の言葉でいえば「発見」であり「アイデア」ともいえます。ニュートンの「万有引力の法則」の発見は、この気づきを体系化したものだと思います。また、「鉛筆と消しゴムをくっつけたら便利じゃね?」と気づいた人がいたから、消しゴム付き鉛筆というアイデアが発明されたわけです。

この気づきは、考えを巡らせていくうちに気づくこともあれば、気づきをキッカケに新たな考えが生まれることもあります。で、その気づきに必要なのは日ごろの「感度」や「アンテナ」ではないかと、たった今「気づいた」次第です。気の利く人は感度が高そうですものね。

工夫すること

広辞苑で「思考」をひくと、たくさんの意味が並んでいます。そのなかの1つに「工夫する」とありました。工夫するとは「良くなろうと、あれこれ考えること」です。困った状態から脱するために、あるいは今よりもより良い状態を目指すために、今までとは違う方法を考えてみることが工夫です。ある作業をするのに、工夫して自分なりのやり方を見つけた人は「自分なりの考え」を持っている人といえます。

正解のない問題を解くこと

学校の試験には「正解」があります。正解がなければ採点できませんから、あたりまえのことですよね。でも、社会に出るとどうでしょう?たとえば、「営業で新規開拓をする」という問題に、絶対的な正解なんてありません。「○○すればいいかもしれない」という選択肢が無数にあるだけです。営業に限らず、製造、企画開発、人事はもちろん、ルールがしっかりしている経理だって「この領収書は何の項目で落とせるのか?」は、ケースバイケースとなることが多いはずです。また、学生であっても、たとえば恋愛などは正解のない問題の最たるものでしょう。AIに恋愛問題を解かせるのと、巷に出回っている「恋愛マニュアル」とでは、何がどう違うのでしょうか?

すでに明確な答えがあるのなら、そもそも考える必要はありません。「正解のない問題を解くことが考えること」の意味がお分かりいただけるかと思います。

考えることは生きる証

ここまで述べてきた「思考とは?」を深堀りすることで、考えることの大切さが見えてきたのではないでしょうか。人間は考えることで人間らしく生きることができます。冒頭にも述べましたが、これからの時代は、この「人間ならではの思考」の重要性が加速度的に高まると私は予想しています。なぜなら、AIがどんどん進化していくことが確定しているからです。AIができることを人間がやったって、かなう訳もないし価値も低くなります。価値が低いということは、それに対する対価も低いということ。つまり、私たちの所得も下がるということになります。そうならないためにはAIにはできない、つまり「私たち人間ならではの思考」で勝負する必要があります。

戦後の日本が高度経済成長の時代を謳歌できたのは、物が少ない時代で大量生産が有効だったからです。同じものを大量に作るということは、「過去のやり方に従って同じことをすればいい」を意味します。これってAIや産業ロボットの得意なことですよね。20世紀の日本は、日本人の勤勉さや器用さと、大量生産がマッチしていたから世界第2位の経済大国になれました。しかし、1990年代以降は、ずーーーーーーーっと下り坂のままで、GDPで中国とインドに抜かれ4位に転落してしまいました。

この原因は、20世紀は「あまり考えなくてもいい」時代だったのが、21世紀は考えることが強く求められる時代となったのに、その流れについていけなくなっている状態にあると思います。

だからこそ!だからこそ!!
私たちは「考える力」を磨く必要があるのです。

日本人には、もともと考える力があるのに、「考えなくてもいい」というぬるま湯に浸かっていただけです。ここはアタマとココロを切りかえる必要があります。

本稿では今後も考えることの大切さ、考えるための方法を、読者と共有することで、少しでも皆さまのお役に立てればうれしく思うとともに、自分自身の思考力も磨いていきたいと思う次第です。次章からは具体的な考える方法について、述べてみたいと思います。

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この記事を書いたライター

祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。

日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」

サンケイデザイン㈱専務取締役

|八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員|戦国/西陣/祇園祭/紅葉/パン/スタバ