鉾建てを行わないので言葉が見つからない
令和2年7月10日、四条町大船鉾保存会では町内会所にて例年通り吉符入り式を執り行った。
この席での理事長挨拶の常套句は「例年通り、力を合わせ鉾を無事に渡しましょう。」である。
しかしながら、本年は鉾建てを行わないので言葉が見つからない。
「八坂の大神様に、大船鉾御神体4神(神功皇后・安曇磯良・住吉大明神・鹿嶋大明神)に手を合わせ、もう一度自分達がこの祇園祭でどのような立場でどんな役割を果たしているのかをそれぞれが考えながら、心の中に大船鉾を建てて渡しましょう。」
これが、振り絞った精一杯の言葉であった。
4月、でき得る限りの居祭りを
4月20日、山鉾連合会・八坂神社の共同記者会見で山鉾巡行の中止・宵山行事の中止・曳き初めの中止が発表された。
この件に関しては、当時新型コロナウィルスが未知の感染症であったこと、また、世界中で多大な感染者数・死者数が確認され始めた時期であったことから、連合会からの打診に対し私共も即座に承諾の意を示した。
同会見では八坂神社より、大神様が神輿は出ずとも神籬という形で7月17日に鴨川を超え御旅所にお越しになり、7月24日又旅社で奉還祭を行いお戻りになるとのことが発表された。
つまりは祇園祭の本義が固持される。
我々も鉾の建てきりを最大限にでき得る限りの居祭りを行わなければならないと考え、祭事の準備に取り掛かった。
5月上旬、鉾建て中止の要請
5月上旬に山鉾連合会から鉾建てを中止するようにとの要請があった。
鉾建てが町内行事である居祭りであり、何より要請が時期尚早と考え、5月30日の私共の総会まで待って頂くようにお願いした。
総会では激しく意見がぶつかり合った。
「緊急事態宣言が解除されたこの時点で鉾建てを止めると決めるのは時期尚早であり、我々のタイムリミットである6月末日までやる方向で準備するべきだ。」その一方で「ここで鉾建てを止める決定をしないのなら保存会の役員を辞める。」という者もいた。
理事会だけでなく評議員・審議員・参与役員27人で無記名投票を行った結果、15対11(白票1)で「鉾建てをする方向で準備し6月末日に判断する」事となった。
6月11日の連合会代表者会議では連合会理事長より「32ヶ町が山鉾建ての中止を承諾したので、大船鉾も早く承諾するように。」と再度申し入れがあった。
またその席で、近隣山鉾町より当町の居祭りである鉾建てに対し「するなら連合会を脱退してからにしろ。」という本来ならあり得ない口出し、暴言を頂いた。
6月15日、八坂神社の権禰宜様に鉾建ての賛否を相談致したところ、先ずは「現代社会は科学・医学の上で成り立っている」というお言葉を頂いた。
そして、我々の鉾建てについては、山鉾巡行自体が八坂神社の祇園祭とは別物との見解をお示しになり、連合会が新しく行う榊巡行についても山鉾巡行の本義を固持しているかどうかはわからないと仰った。
私自身、神輿は出ずとも大神様が市中にお出でになると聞いてから終始、鉾建てを行い居祭り神事を行わなければならないと思ってきたが、これら周囲の反応に失望感と同時に現実鉾を建てるのは難しいのではという思いが出てまいり、葛藤を繰り返す事となった。
確かに実際病気になれば医学に助けてもらう。
しかしながら、私は日本人が安心を得るためには先祖を敬い、神仏を畏れ敬う御信心が必要であると考える。
鉾町の人間に与えられた使命
山鉾巡行では山鉾風流や神賑わいの側面に目が行きがちだが、私共の本義は疫厄退散の神事を行い地域の安寧を守る事にあると考えている。
大船鉾は神功皇后様が渡海最強3神を従えて魔除けの龍を身に纏い巡行の殿を行き疫神厄神を集め川に流しあの世にお送りする役割がある。
これは一つの学説であるが、我々が実際に船型の鉾を渡し確信した事実であり、最後まで可能性を追いかけ鉾建てに拘った理由である。
最終判断まで残り一週間を切り、建てなければいけないとの強い思いと日増しする建てるなという同調圧力の間で揺れ動いた。
やはり諦めることが出来ず、「2日間だけ目をつぶって頂く事は出来ないか」と隣接山鉾町の代表に短縮簡素化した鉾建ての最後のお願いに参った。
我々の思いに一定の理解を示されながらも、皆さんが今年だけはダメだと仰った。
これは、伝統ある山鉾を先代から受け継ぎ次代に無事に引き継ぐためには一人の感染者も出してはいけないし、呼んでもいけないというお考えからであった。
また、地域住民の高齢者の中に新型コロナ感染が死を意味していると恐れられている方が沢山いらっしゃる事もお聴きした。鉾建てを断念するのに十分な理由であった。
但し、我々の御信心の総力がこれら隣接鉾町の思いに勝るなら鉾建ての強行もできる。
しかしながら、現状では我々の神、神事は疫神を退散できると確信しておる者が一定数いたとしても、保存会全体の御信心の総力としては不足している状態であると判断した。
本当に悔しい。
鉾町の人間には鉾町の人間に与えられた使命がある。
覚悟を決めその役割を果たすために精進潔斎し厚き御信心をもって祇園祭に挑む。
今後、我々はさらに御信心の総力を高め、いつの日か何が起こっても「大船鉾だけは鉾建てを行って欲しい」と言われる鉾になるよう大神様に手を合わせ日々精進に努めたい。