京都の中心の「洛中」って、正確にいうとどこからどこまでなのでしょうか?京都のエリアごとのヒエラルキー(いわゆる「京都カースト」)なんて、そのエリアが「洛中であるかどうか」が主題ですよね。いざ本気で調べようと様々な本に当たった結果、どうやら明確には定まっていないのではないかということに気づきました。
わたしは京都メディアの編集部員ですが、京都学や歴史や地理の専門家ではありません。ただの京都好きとしてどこまで調べることができるか、できるだけ証拠をそろえて考えていきたいと思います。今回は江戸時代の京都ガイドブック「都名所図会(みやこめいしょずえ)」のスポットをひたすら全部GoogleMapに落とし込みました!2024年8月に着手して12月までかかった内容ですので、ぜひぜひご笑覧ください。
※京都人のもつ繊細なヒエラルキー意識については、下記の記事を参考にしてください。
洛中洛外はどのように考えられているのか
洛中洛外の境目は京都人の頭の中に確実に存在しますが、実際に京都のまちの中がエリア分けされているというわけではありません。上京区、下京区、左京区など京都市の11行政区の区切りはありますが、○京区=洛中というかぎりでもなく、平安京から積み重なってきた千年以上の歴史がややこしく絡まっています。
揺るぎない象徴としては「御所(正確には京都御苑)」、このまわりは確実に上位の場所であり、限りなく洛中である場所だといえます。平安京というエリア、御土居というエリア、元学区というエリア、はたまた最近出てきた田の字地区など……いろんなエリアのレイヤーが積み重なった京都から、真実を発見したいという想いで26個のエリア分けを想定しました。今回はこの中から「都名所図会」で示されているエリア分けと向き合います。
都名所図会エリアマップ
都名所図会とは
都名所図会は安永9年(1780)に出版された京都ガイドブックです。絵入りの京都紹介で一世を風靡しました。この本では京都を「平安城(首+尾)」「左青龍」「右白虎」「前朱雀」「後玄武」というエリアに区分しているんです。洛中、洛東、洛西、洛南、洛北みたいな感じですよね。この分け方が面白いので、それぞれのエリアのスポットをGoogleマップにピン止めして、どのような広がり方をしているのか見てみたいと思います。(この作業に5か月かかりました)
これが都名所図会に出てくる京都の名所で、当時と場所がほぼ変わっていないと思われるものをマッピングした地図です。ちなみに新修 京都叢書 第六巻 臨川書店、新修 京都叢書 第十一巻 都名所図会 光彩社の2冊を参考にしました。
目録のページと本文の内容をもとにリストを作り、そのスポットの公式ホームページなどから住所を確認し、1780年以降も場所が変わっていないところのみをマッピングしました。移転が確実である、もしくは当時の場所が不明なものはマッピングしていません。
ちなみに、このために作成したスプレッドシートを数えたら796行ありました……!
都名所図会マッピングからわかること
それぞれのエリアの比較
都名所図会で見られるエリア分けは「平安城」と青龍(東)・白虎(西)・朱雀(南)・玄武(北)という4つの方位です。つまり平安城は中心、イコール洛中というふうに考えられます。平安城首は黄色、平安城尾はオレンジ、左青龍は青色、右白虎はグレー、前朱雀は赤、後玄武は緑色であらわしました。また大体の平安京範囲を紫の四角形で示し、大体の御土居の場所を茶色の線で囲んでいます。
それでは地図を見ていきましょう。平安京(紫)と比較すると、平安城エリアは名前に反して平安京そのものではないことが分かります。平安城首(黄)はだいたい今の上京区・中京区、平安城尾(オレンジ)はだいたい今の下京区ですね。祇園周辺を除けばほとんどが御土居の中におさまっているともいえます。
御土居の中といっても上のほうは玄武エリア(緑)だったりもしますし、都名所図会出版当時1780年ごろの方たちが思う「洛中」はやはりこの平安城エリアだったのでしょう。
玄武エリア(緑)はいわゆる洛北、京都市北区・右京区・左京区にわたっています。
白虎エリア(グレー)は洛西、この地図では主に右京区で、西京区はほとんどありません。観光スポットということで嵯峨嵐山がメインになっています。
朱雀エリア(赤)は洛南、南区はほとんどなく、伏見区のスポットが多いです。宇治、木津などさらに南の方まで含まれます。京都市を超えてのびのびと広がっているあたり、自由で面白いです。
青龍エリア(青)は洛東です。東山区、山科区、左京区にわたっています。行きすぎて滋賀のほうまで浸食していますね。
都名所図会マッピングをして分かったこと
京都人は、京都の各エリアに自分なりの様々なイメージや順位づけをもっています。これは、育ってきた環境やまわりからの影響で形成されていくものです。もちろん、自分の出身地への愛着もあります。このような中で明確には定義されていない「洛中」を推し量るヒントのひとつが、都名所図会であると思います。
京都市・京都府という区切りがない状態の江戸時代の洛中洛外は、いまのイメージよりのびのびとしている気がします。また、当時の観光スポットが、今まで同じ場所で残っている場所が多いのにびっくりしました!皆さんも京都観光がブームになっていった頃の江戸時代を感じてみてください。