「鷹山」とは、祇園祭・後祭の山鉾の一つです。応仁の乱の前から巡行に参加していた記録のある山です。しかし、幕末の災害や動乱で焼失して以来、巡行への参加を見合わせておりました。
御神体は鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、中納言在原行平が光孝天皇の御供で鷹狩りをする場面を表しています。
鷹山は他の山鉾と同じように、幾多の災害にあいながらも復興し、その度に豪華になっていきました。元々は舁山でしたが、江戸中期には日覆の屋根を設けていました。江戸後期には、天明の大火(1788年)で焼失した後、約20年かけて大型の曳山になりました。屋根は、漆塗りで金の装飾が施されていたと古文書に記されています。1826年に災害に遭い翌年から休み山となっていたところ、幕末の混乱期、元治の大火(1864年)によって焼失してしまいました。しかし、御頭など御神体の一部だけは焼失を免れ、以来、御神体をお飾りする居祭を続けてきました。
休み山となってから、何度か復興の動きがありましたが、実現できずにおりました。この度、復興の気運が盛り上がっておりますが、まず2012年に「鷹山の歴史と未来を語る会」を立ち上げて、数ヶ月毎に勉強会を開催しました。江戸後期の鷹山は曳山でお囃子が上に乗っておりましたので、2014年に囃子方を結成しました。最初は少人数でしたが、現在は約50名の囃子方がおります。法人組織としては、2015年に鷹山保存会が設立され、2016年に公益財団法人となりました。また、山鉾連合会のもとに学識経験者による鷹山調査会が設けられ、2018年には「鷹山調査報告書」が作成される等、かつて江戸後期にあった大型の曳山を復興しようという機運が高まっております。
2015年からは宵山期間中に町内(三条新町東入ル)でお囃子を披露し、粽などの授与品を販売しています。毎年、見に来てくださる方が増えており、多くの皆様の期待を感じております。粽の他に授与品として鷹や犬のおみくじを製作したところ、好評をいただいております。
今年2019年からは、御神号の掛け軸を入れた木箱(唐櫃)を担いで、徒歩で、193年ぶりに山鉾巡行に参列いたします。京都市立芸術大学の授業の一環で、学生さんに毎年いくつかのデザインをしていただいておりますが、去年は囃子方の浴衣をデザインしてもらいました。今年の唐櫃巡行では、真新しい浴衣を着て巡行に参列します。
今年から3年後の2022年までには、大型の曳山を再建し、本格的に山鉾巡行に復帰したいと鋭意努力しております。
※2019年夏の記事です。
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