今年も残すところあと10日あまり。誰もが気忙しくなる年末ですが、今まちがいなく私たちより忙しくしているのが、大河ドラマ「麒麟がくる」の関係者でしょう。沢尻エリカのアレによって初回放送分から再編集に追われ、現場はドラマ以上にドラマティックな戦場なのではないかと推察します。でも、かえって世間の注目が集まり視聴率も期待できるんじゃないでしょうか。思わぬお鉢が回ってきた川口春奈の濃姫ぶりにも期待ですね。
さて、「麒麟がくる」の主人公は、明智光秀です。光秀といえば、本能寺の変とセットで記憶される裏切り者として有名です。しかし、本能寺のインパクトがあまりにも強すぎて、じゃあ光秀がどんな人物でどんな人生を送ったのかを知る人は意外と多くありません。大河ドラマって、舞台の背景を知っているかどうかで、楽しめる度が全然違いますよね。だからといって今さら小説などを読むのもメンド―なもの。そこで、サクっと読んでおーまかにザックリと光秀のことを知ってもらえれば、との思いから歴史家でもない私=一般人の視点で光秀の生涯について書いてみたいと思います。とはいえ、さすがに1回では書ききれないのでザックリ4~5回の連載を予定です。
また、ドラマの舞台の多くが京都であり、京都市内はもちろん、亀岡や福知山など京都の各所で光秀は活躍します。そこで、ドラマに便乗して「Kyoto Love.Kyoto」も盛りあがっちゃえ!という編集部の目論みにまんまとハマっていただければ幸いです。これがホンネです、すみません(汗)
さあ、それではKLK編集部による明智光秀物語をサクッとお楽しみください。
怪しさ満点の生い立ち
有名な明智光秀ですが、実は年齢不詳。1516年生まれ説をはじめ、1526年、1528年、いやいやちょっと待って、ひょっとしたら1540年かもしれない説など、MAX24の年の差というテキトーっぷりです。また、父親についても、候補が3人もいるらしいんですよ。念のためですが、光秀の母親が多情な女性だったため判別できないという訳ではありません。史料によってバラバラで誰の子かわからないようです。あと、出身地については、美濃(今の岐阜県)であることは、ほぼ確定なのですが、じゃあ美濃のどの辺?と聞かれるとやっぱり候補地があっちこっちにあるようです。つまり生年も父親も出身地も何ひとつハッキリしないわけで、今でいえば戸籍がないようなものでしょうか。
高スペック男子光秀
このように氏素性まことに不明瞭な光秀ではありますが、どこで身につけたのか文武両道、おまけに教養もバッチリ。さらにイケメン説もあるなど、かなりのハイスペック男子だったようです。婚活市場で女性が望む条件をほぼ揃えている感じですね。ただしハイスペ光秀にも欠点が2つありました。1つは生い立ちがナゾの割りに、自分のことをエリートだと信じていること。2つめはシャレがまったく通じないこと。なんとなく霞ヶ関あたりにいそうなキャラですが、問題は2つ目の欠点です。シャレが通じない性格が結果的に本能寺の悲劇を招いたともいわれています。やっぱり笑いのセンスって大事なんですね。
「辛酸なめ男」だった前半生
しかし、光秀の人生前半はそのスペックをあまり活かせず、諸国を放浪し極貧の日々を送っていたようです。そして流れ着いた地が越前、今の福井県あたりでしょうか。ここでしばらくの間、朝倉義景という大名に仕えていました。と、ここまでを見るかぎり後にあんな大それた事件をしでかすような男には見えません。しかし、ある時から彼の人生が一変、歴史の表舞台に登場することになります。そのキッカケは、今でいうヘッドハンティング、もしくは人材マッチング、いやいや政略結婚の仲人かな…。なんのこっちゃ?
光秀の生涯のターニングポイントとなった「なんのこっちゃ?」とは何なのか? 次回またお会いしましょう。
(編集部 吉川哲史)