17.唯一の立ち牛
唯一の立ち牛は、本殿の欄間に彫刻されている。なぜなのかはわかっていない。
菅原道真公が太宰府で亡くなった際、遺体を運ぶ牛が突然座り込んで動かなくなったことから境内にある牛は、座った姿をしている。
18.拝殿の擬宝珠 寄進者 豊臣秀頼の銘文
豊臣秀吉は大茶会をするなど北野天満宮に寄進し、復興に努めた。
その遺子である秀頼も多くの寄進をし、拝殿の高欄擬宝珠には秀頼の銘が刻まれている。
19.権現造り 背面には
拝殿と本殿を石の間でつなぐ複合社殿であり、権現造り(八棟造り)と言い、日本最古である。
入母屋造り、檜皮葺の本殿拝殿は国宝に指定されている。
本殿の裏側を「御后三柱」と言い菅公さんの先祖神、祖父、父が祀られている。
20.天狗山
小高い丘に烏天狗が住むと言う
境内の一番奥 北西に「牛舎」の「一願成就のお牛さん」がある。
この牛の像を撫でると一つだけ願いが叶うと言われ、受験生に人気があるスポットである。
21.宝物殿
鬼切丸と言われる名刀や令和と命名された梅にまつわる万葉集が展示されている。道真公の生涯が描かれた北野天神縁起絵巻伝説が見られる。
22.土蜘蛛
源頼光を悩ませた土蜘蛛が住んでいたと伝わる祠。平家物語にも記され、その話が謡曲や歌舞伎で演じられている。南隣の東向観音寺にある。
23.御土居 都を守った土塁と堀
天下人になった秀吉が、天正19年(1591年)戦乱で荒廃した京の都の大改造に着手した。その一環として総延長22.5㎞の土塁と堀で町を囲んだ。
西は紙屋川沿いに築いたので境内にその土塁が残っている。
紙屋川沿いの土塁には、洛中に溜まった水を暗渠を施して、洛外に排出する「悪水抜き」の遺構が現存する
北門の北側の平野鳥居前町には、整備された御土居が見られる。
24.東門、北門
豊臣秀頼が慶長12年(1607年)に造営した。国の重要文化財に指定されていて、門の構造は四脚門、切妻造、銅板葺になっている。
東門・西門前では毎月25日の天神さんの縁日には、多くの古美術品店などの露天商で賑わう。
東門同様の造りである。門前には西陣織りの発展に貢献した五世伊達弥助を讃えた「西陣名技碑」が立っている。
25.明智の鳥居
東門を入った北側に、竃社がありその前の鳥居は明智の鳥居といわれ、「明智氏、光隆」の銘がある。鳥居は明智氏の末裔が奉納したものと思われる。
26.山国隊奉納の石燈籠
明治維新に際し、農民兵として錦の御旗を掲げて従軍し、幾多武勲を輝かしたのが、右京区京北山国町の山国隊である。今でも秋の時代祭りの先頭を鼓笛隊が行進する。
その山国隊が奉納した石燈籠が本殿の北東の隅にある。
27.北門から平野神社へ
北門から平野神社へ向かう道はかつてはお茶屋街であった。
桜橋の東麓にはその面影を残す家が残る。花街発祥の地とも言うが、詳細は不明である。
28.上七軒 花街
東門前にある花街、京都で最も古い。室町時代に北野天満宮の造営に使った残木で、七軒の水茶屋を作ったのが起こりとされている。
無柱化され風情のある雰囲気が人気である。毎年春、上七軒歌舞練場で芸舞妓たちによる北野をどりが催される。
29.チンチン電車
京都駅から北野天満宮の前までチンチン電車が走っていたが、昭和36年(1961年)に廃止になった。
中立売通りと七本松通りの交差点にはモニュメントが掲げられている。
30.月下氷人石
一の鳥居の東側に茶席松向軒がある。その庭内にある高さ1mの四角な石柱。月下氷人石とは迷子の道しるべで、今の街頭告知板にあたる。人の多い神社仏閣の境内に迷子の行方を求めたもので、八坂神社と新京極誓願寺のものとともに、都に於ける3石の一つである。茶席松向軒は非公開の茶屋であり、見ることはできない。
31.大福梅
境内で冬に咲いた梅の実を6月に採取し、7月~8月にかけ天日干しする。11月には大福梅を調製し、12月13日からの終い天神の25日まで社頭で授与される。
元旦の朝にこの梅を入れたお茶を飲むと、邪気を払い、無病息災を願う縁起物であり、大梅茶として飲む。
梅雨の頃を「梅の雨」と書くのは、梅干を漬ける頃なのである。
32.主要祭礼
・歳旦祭 1月1日
・筆始祭 1月2日 天満書き初め
・そろばんはじき初め 1月5日
・節分祭と追儺式 2月立春の前日
参拝すると無病息災が叶うと言う。 茂山千五郎社中の狂言・上七軒の芸舞妓さんの日本舞踊の奉納と豆まきが執り行われる
・梅花祭 2月25日
2月初旬から3月下旬には梅苑が公開され、50種以上1500本の梅を楽しむことができる。2月25日には梅花祭と野点大茶湯が執り行われる。
・春 祭 3月15日
・明 祭 4月9日
・宮渡祭 6月9日
・御誕辰祭 6月25日 大茅の輪くぐり
道真公の誕生日にあたり、楼門前には直径5mの大茅の輪がかかげられる。
大茅の輪をくぐると1年中無病息災、特に夏の病気にかからないと伝える。
・七夕祭 7月7日
・御手洗祭 8月7日
・例 祭 9月4日
・瑞饋祭 10月1日~4日
天神さんを載せた神輿が御旅所を巡り、献茶祭などを執り行った後に北野天満宮に戻ってくる。五穀豊穣に感謝する秋季大祭。ずいき神輿は里芋の茎や野菜で飾られ、四面に取りつけられた人形は、謡曲や昔話を主題にしている。
・余香祭 10月29日
・新穀感謝祭 11月23日
・御茶壷奉献祭 11月26日
・献茶祭 12月1日
・ご縁日 毎月25日
道真公のお誕生日と、亡くなられた日が25日であり、毎月25日には朝早くから縁日が開かれる。特に古美術品の露天が多く並び買い物客でごった返す。
33.味処や周辺のみどころ
・とうよけ茶屋
贅沢な気持ちになる生湯葉丼
・たわらや
ぶっとい麺が一本だけ入ったうどん
・長五郎餅
餅にこしあんが入った上品な甘さの餅
・粟餅所・澤屋
餅の中にツブツブとしたあわの食感の餅
・船屋秋月
北野梅林 梅の香りがする甘酸っぱいお菓子
・天神堂・やきもち
あぶり焼いた餅
北野天満宮を訪れたら、その近辺で訪れて欲しい所を以下に紹介する。
北門から西へ行くと、桜で有名な平野神社がある。歴史は古く平城京に祀られた神祠であったが、平安京遷都に伴って大内裏近くに移されたと推測されている。
本殿は平野造と称される独特の形式の造である。
東側に少し行くと、千本釈迦堂(大報恩寺)がある。応仁の乱で多くの神社仏閣が焼却した中で、残った本堂がある。その柱には、矢や刀傷が残る。宝物館には素晴らしい仏像の数々を拝むことができる。
千本今出川北西角には、秀吉ゆかりの上善寺「湯たくさん茶くれんじ」その南側には喫茶「静香」があり、レトロな雰囲気の店である。
御前通一条通より西大路通間を妖怪ストリート言い、平安時代に鬼をはじめ奇々怪々な妖怪たちが夜の京都をさまよい歩いたと言う。この怪奇現象を「百鬼夜行」と呼んだ。大将軍商店街では店頭で妖怪がお出迎えする。
大将軍八神社や地蔵院(椿寺)も訪れたい。
御前通とは?
北野天満宮の前をほぼまっすぐに南下するのが御前通である。名前の由来も、天満宮の御前の道というところから、近代以後に通称されるようになった。