清水の舞台から飛び降りる、大きな決断をすることを例えた有名なことわざだ。日に日に逼迫するコロナ騒動で政府や各地の知事が、今まさにこの舞台から飛び降りようとしている。
さて、この京都屈指の観光名所が10年以上もの年月をかけた大改修をしている。なかでもこの度、国宝である本堂の檜皮葺(ひわだぶき)屋根が約50年ぶりに葺き替えられたことは、ちょっとしたニュースになった。
私も何度か清水寺に参拝しているが、そのときは舞台に上って京都市内を眺めておしまいという典型的おのぼりさんスタイルであった。しかし、今回の大屋根工事がはじまると、清水寺への興味がムクムクと湧きだし、いろいろなサイトを見て回るようになった。そこでわかったことがいくつかある。たとえばこうだ。
・本堂は何度も火災に見舞われた。本堂前にせり出している舞台は、本堂の再建時に狭い土地を有効活用する手段として考え出されたということ。
・本堂に鎮座する観音様に、能楽などの芸能を奉納する際の舞台であること。
・舞台は檜の板で作られた立派なものであり、名誉ある発表の場に臨むことを意味する「檜舞台に立つ」という慣用句がここから生まれたこと。
と、このように調べるほどに清水の舞台の魅力に惹かれるようになった。そこでもう一度、舞台を観察してみたい気持ちにかられ、気がつけば再び檜舞台に立っていたのが3年前、2017年3月のことであった。
舞台のしくみと、崖を支える力
崖に建つ舞台の柱を見上げてその巨大で立派なことに圧倒された。
これは、懸造りと云って、柱と貫(ぬき)だけの組み合わせで、釘を使わず、筋交いも入れずに組み立てられている。柱の数は、一番前に6本2番目からは12本で長さは違うが、合計78本の柱に貫(ぬき)という横棒(角材)が左右に貫いている。この構造が、上からの重さの力が分散されて崖の崩れを防ぎ、地震にも強く、建造当時から今まで多くの地震に耐えてきたのだという。
清水の舞台の模型を造ってみたい
この舞台を下から観察しているうちに、これを模型で造ってみたくなった。
高さが約12メートル、幅約20メートル。これを50分の1で作るとなるとどうなるのかと考えた。
計算すると、舞台の高さは約25センチになるので。これをもとに柱の太さを割り出して仮の設計図を作って製作準備を始めた。
舞台は斜面に立っているので、まず計画に合わせて段ボールで階段状の崖を作ることにした。5月の連休すぎには基本になる横45センチ奥行き40センチ高さ25センチの崖ができた。
柱は、直径8ミリの木材の棒に2ミリ×5ミリの穴を図のように直角にあけて、2ミリ×5ミリの角材を通す。
この穴は彫刻刀を幅5ミリになるようにグラインダで削って作った平ノミと、時計修理用のドライバー2ミリ幅のものをグラインダと砥石で研いで作ったノミを使って開けていく。穴を直角に彫るのと、一直線にそろうように彫るのが大変だった。
5月17日から始めて、柱の整形が全部そろったのが7月15日。先ず横並びになるひと組の柱に横材を通して組み立て、それを並べて、縦の角材を通して行くのだが、無理なく真直ぐに通るかやってみないと判らない。何とか調整しながら全ての柱建てが終わったのが7月21日だった。
出来上がった柱組はすごく頑丈でどこから力を加えてもびくともしなかった。
檜舞台は少し前に傾斜している
この後、いよいよ舞台の完成に取りかかるのだが、舞台と本堂の隣接部分が写真ではわからないので、8月1日に2回目の清水寺参拝をした。
このときにわかったことは、舞台になっている部分がわずかに傾斜していることだった。これは、舞台に雨水がたまらないように工夫された仕組みであった。
先人の知恵のすばらしさに改めて感動した。
舞台は8月5日に完成。この後、本堂を作り上げることになるが、本堂の内部でよくわからないところが沢山あるので、8月10日に3回目の拝観に訪れた。完成した舞台の模型の大きさは。横幅45センチ、高さ24センチ、奥行き42センチになった。
舞台の補修はどうするの?
一度造り上げた舞台の柱や貫は解体できないから、古くなって崩れてきた部分は少しずつ、古くから伝わる日本の宮大工のすばらしい伝統技術で部分的に現在も補修されている。
清水の舞台から飛び降りる!
資料によると、江戸時代から実際に234人の人が飛び降りて、85%の人が途中の樹木に引っかかったりして助かったようで、本堂で願掛けの修行の後、許可を受けた人たちだったようである。実際に舞台の欄干まで云ってみたが、とてもとても飛び降りてみようと思うどころでなかった。現在は、全く禁止されている。
詳しくは、インターネットサイトで、「清水の舞台から飛び降りる」で検索してください。
こうして書いているうちに、また清水寺が私を誘っていることに気づいてしまった。コロナ騒動が落ち着いたら、何をおいても清水の舞台へ直行だ。