筆者は幼少の頃より動物をこよなく愛していた。写真は職場で飼育し、人気があったグリーンイグアナである。名前は「とおる」君、コンパニオンアニマルとして、私を和ませてくれていた。
天寿を全うし、天国で私と再会できるのを待ちに待っている。
神社仏閣を訪れ、神の使いとして動物たちを見るたびにイグアナ「とおる」君を思い出す。
動物とご利益
京都市内の神社数は300程・お寺は1600程ある。社寺を巡るとさまざまな動物に出会う。
その姿は、石像や青銅製像などで参拝者を迎えてくれる。そこに祀られる神仏との深い繋がりの中で、各所に鎮座していることが多い。神の使いや配下であったり、神話や伝説にちなむ動物たちである。
私達が神社に参拝するのは何故なのだろうか?神のご加護、つまりご利益をいただくためだろう。ご利益には、「厄除け」「病気平癒」「商売繁盛」「縁結び」「学業成就」「安産」「家内安全」「勝負運」など多種多様であり、神様も大変である。
そのパワーをいただけるスポットを紹介する。
神社の狛犬
対が原則であり、阿吽の組み合わせが多い。狛犬は獅子に似た獣の像であり、参道を歩く人に意識して配置されている。その役割は寺院の仁王さんと似ている。
貴船神社の[馬]
貴船神社は水の神様として有名であり、絵馬の発祥地でもある。
日照りや長雨には朝廷から勅使が来られ、祈雨には黒馬、止雨には白馬か赤馬が奉納された。絵馬の形は、今でも馬小屋を表している。
三宅八幡宮の[鳩]
神様の使いとしての狛鳩が迎えてくれる。子どもの守り神として大切にされ虫退治の神様として信心されている。疳の虫封じ、夜泣きにきくと言う。
玄武神社の[玄武の神]
京都の北方に位置し、王城北面の守護の社として鎮座している。亀と蛇が合体したような姿をしている。
四神相応の神として、白虎(西・山陰路)青龍(東・鴨川)玄武(北・北山)朱雀(南・巨椋池)があげられる。
東福寺塔頭 勝林寺の[鯰]
ナマズが暴れると地震がおこるという伝説がある。そのような事がおこらないようにと願い、眠った姿の鯰がつくられた。
櫟谷七野神社[鹿]
春日大社を奉祀したのが起源。斉内親王が身を清めて住んだ御所(齋院)のあった場所。
秀吉が諸大名に命じて石垣を修復したので石垣には刻印が残る。浮気封じ、縁切り、恋愛成就、復縁祈願に効くという。
西院 春日神社[鹿]
鹿は、神鹿(しんろく)として尊ばれている。建御雷神が鹿島神宮から遷る際に白鹿に乗って奈良の春日に来られた。
寿老人のお使いは鹿であり、鹿を使役とする春日大明神を祀る。
雌親子の陶器の鹿が迎えてくれる。
猿
都の北東方向を鬼門と言い、鬼が出入りするとして何事につけ忌み嫌われた。王城鎮護として屋根や屋根の下に御幣をかついだ猿を網などで囲み飾った。神猿は、「魔が去る」「勝る」にも通じるといわれ、魔よけの象徴とされている。
京都の鬼門を3匹の猿が守る!
・京都御所の北東角 猿ヶ辻
・出町 幸神社 烏帽子をかぶり、御幣を持ち、北東を向いている
・赤山禅院の屋根 都の人々を守っている
御所の北東角にある猿ヶ辻。猿は屋根の下に、北東の方向を向いて配置されている。北東の方角の塀を四角く欠いてつくることで、塀の角が鬼門の方向に当たらないように工夫した。築地屋根の下に鬼門を鎮護してくれる猿を配置。京都御所では、この場所を「猿ヶ辻」と呼んでいる。猿の姿は、禊のための御幣を持ち、烏帽子をかぶった正装である。
文久3年(1863)尊王攘夷派公家・姉小路公知が暗殺された場所でもある。
屋根には三猿の像。日光東照宮の彫刻で知られる「見ざる・聞かざる・言わざる」だ。庚申は「かのれさる」とも読み、60ある干支の組み合わせの一つ。本尊の青面金剛の使いも猿と言う。カラフルなお守りも「くくり猿」と呼ばれる。
北野天満宮の[牛]
「学問の神様」として菅原道真公が祀ってある。「なで牛」(臥牛)牛の頭をなでると「学業成就」、身体の悪い部分をなでると「病気平癒」のご利益があるという。
【関連記事】見どころがいっぱい!北野天満宮菅原院天満宮神社の[牛]
通称烏丸の天神さんという。道真公の先祖三代がお住まいになった地。青銅製の撫で牛が横たわっている。
錦天満宮の[牛]
繁華街にある唯一の鎮守杜。青銅製の撫で牛は、多くのお参りの方々が撫でて良く輝いている。
鞍馬寺の[虎(寅)]
御本尊の毘沙門天のお使いは神獣の虎である。
万物すべてを表す阿吽の虎は、南向きで都を守っている。
護王神社の[猪]
足腰の守護神 和気清麻呂、虫麻呂が祭神。 清麻呂公は、皇位を奪おうとした弓削道鏡の野望を阻み、皇統を守った忠臣。道教の企みにより足の腱を切られ、遠国へ配流となった際、300頭の猪が公を助け、足の負傷も癒えてという故事から足腰の守護神として信仰されている。
【関連記事】狛いのししが出迎える足腰の神様「護王神社」【なぜイノシシ神社なの?】【十円紙幣に護王神社が?】岡崎神社の[兎]
神社一帯野うさぎが生息していたので、うさぎが氏神様の使いと伝わる。平安遷都の王城鎮護のため建立された。子受け、子宝、安産の神様として信心深い。
哲学の路 大豊神社の[鼠]
平安時代初期に宇多天皇の病気平癒を願って創建された。大国主命が火攻めに遭遇した際に、ネズミが助けたことが古事記に書かれている。狛ネズミの吽形狛鼠は水玉を抱え、長寿を表し、阿形の狛鼠は巻物を抱え持っていて、学問を表している。
【関連記事】[大豊神社]狛ネズミが出迎える医薬の神様伏見稲荷大社の[狐]
お稲荷さんは五穀豊穣の神様であり、狐は神様の使いであり。蔵のカギや神様からの贈り物の玉、知恵の巻物を銜えている。
商売繁盛のご利益があり、多くの参拝者で賑わう。
伏見稲荷大社は、外国人にも最も人気のあるスポットである。
相国寺・宗旦稲荷の[狐]
宗旦狐の興味深い伝説が残されている。宗旦とは千宗旦のことで茶聖千利休の孫である。
この狐、相国寺の茶会で宗旦に代わってお点前をやってのけたことから宗旦狐と呼ばれた。この偽物の宗旦が茶を点てた後その場を去ると、もう一人の宗旦が遅刻したことを詫びながら登場するということが何度か起きた。
弟子たちは宗旦の偽物がいると考え、あらかじめ宗旦の居場所を確認し、茶会に現れた偽物の宗旦を問い詰めた。すると、偽物の宗旦は寺に住みついている狐であると白状し、狐の姿に戻り逃げ去っていったという。それからしばらく経つと宗旦狐は、僧堂で座禅をしたり、托鉢に行くようになり、寺のために尽くしたと言う。
出町柳 賀茂川飛び石の[亀石、蛙、千鳥]
賀茂川(鴨川)の河床の安定を図る主目的のために設けられた横断構造物(帯工)の上にいろいろな形に模したコンクリートブロックを配したものである。映画やアニメで度々登場する素敵なスポットである。
鳴滝 三寶寺 妙見堂の[犬(戌)]
犬は太古から人間の忠実な伴侶として、番犬として又、安産のシンボルとして愛されてきた。「子宝犬」も参詣者の魔を払い、ここ掘れワンワンと福を招いてくれる。
嵐山 法輪寺の[羊(未)]
十三参りで有名である。羊は虗空蔵菩薩の使いで、知恵や福徳を授けてくれる。
帰路、渡月橋を渡り切るまで法輪寺の方を振り向くと、授かったものが逃げると言われる。
虗空は丑寅生まれの人の守り本尊で、境内にはウシとトラの像も祀られている。
新京極 蛸薬師の[蛸]
薬師如来が本尊。タコは吸い寄せると吸い取る力があり、左手で蛸を触れるだけで病を治す。福娘童話集には仲の良い母子の話しが載っている。
南山城 蟹満寺の[蟹]
「蟹の恩返し」とは
昔、山城国に観音様を厚く信じる農家の父娘がいました。ある日、娘は村人がとった蟹を哀れみ逃がしてやりました。またある日、父は田で蛇にのまれんとしている蛙を助けるのに「娘を嫁にやるから蛙を助けて欲しい」とうっかり言ってしまいました。
その夜、立派な男性の姿をした蛇が娘を貰いに来ますが、「三日待ってくれ」と懇願しました。男性は一度、引き帰りました。
三日目、板を打ち付けた部屋の中で父娘は懸命に観音経普門品を唱え祈っていました。やがてきた蛇は約束が違うと怒りだし、家の周囲で暴れました。しかし突然、その音もやみました。
夜が明けて見ると、家の周囲には蟹の鋏で切り裂かれた蛇の死体が転がっていました。その時に死んだ蟹と蛇の屍を葬り、塚を作ってその上に観音堂を建てたのが、蟹満寺といわれている。現在、毎年4月に蟹供養がおこなわれている。
一乗寺 動院狸谷山不の[狸]
ガン封じ、交通安全のご利益がある。
信楽焼のタヌキが多く奉納されていて、タヌキは他を抜くから勝運があると言い、多くのスポーツ選手や俳優から信心がある。
出町 妙音弁財天の[白蛇]
白蛇は、弁天さんのお使い
本堂には蛇の絵馬や瓦が飾られている。芸能や音楽の神様である
ヘビは脱皮すると靴下を脱いだ時、裏返って脱げる様になる。一本にきれいになめし、寿の字に型どって貼り付けた作品である。我が書斎の宝である。(筆者 作製)
西院 春日神社の[蛙]
一願蛙といい、一願成就のご利益。
善い行いをしたら我が身に返る「見かえる」ことにかけて、三蛙は見かえる(ミカエル)につながり、縁起が良い。水をかけて一願祈る。
即成院の[鳳凰]
泉涌寺の塔頭のひとつで、門上には立派な鳳凰が宇治平等院鳳凰堂の方向に向かって羽根を広げて立っている。
人々は昔から動物や自然現象にも霊魂が宿ると信じて崇拝するアニミズム(精霊崇拝)を行っていた。
スフィンクスと狛犬との繋がりはあるのか?
古代エジプトでピラミッドを守るように配置されているスフィンクスは、ライオンをモデルとしている。ギリシャ神話では、ライオンの体を持つ美しい女性として描かれている。エジプトなどの古代文明では、ライオンは王の権威を守る役割りをしていたといわれ、ツタンカーメンの玉座にも獅子が刻まれている。
日本の神社に配置されている狛犬は、獅子といわれライオンがモデルとされている。仏教はインドが起源で、インドで作られた仏像の台座には、仏像を支えるように2体の獅子・ライオンが配置されている。獅子は仏教では文殊菩薩の乗り物とされている。その仏教は紀元前後、中央アジアを通って中国に伝えられた。中国では獅子には悪魔に対する霊力があると信じられ、門や扉に配置され大切なものを守るという風習があった。
仏教は中国・朝鮮半島を通って、6世紀に日本に伝わってきた。仏教の伝来により、仏像とともにこの獅子も日本に伝えられ、狛犬と呼ばれるようになった。一説にはライオン・獅子がいなかった日本では、この未知の動物を、当時「高麗(こま)」と呼ばれていた朝鮮半島からきた犬だと考え「狛犬」と呼ぶようになったといわれている。
遠く離れた地で、スフィンクスと狛犬が尊いものを守るように何故配置されているのか?
シルクロードを通じて繋がっていたのか? 考えるだけで興味がわく…
大学時代の思い出 余談だが…53年前の自分
大学近くの水田地帯で16年間にわたり蛇の野外調査が実施された。大学4回生時に、その1年間を担当した。調査地に行き、蛇を捕らえて捕獲場所・種類・標識・体温・気温・地温などを記録し、袋に入れて研究室に持ち帰る。研究室では体長(全長・尾長)・体重を測定し胃内容を吐き出させて食餌の有無や種類を調べた。標識の無い蛇には個体識別のため腹鱗3枚に切れ目を入れた。雄雌は尾のつけねを圧迫し半陰茎(ヘミペニス)が出るか否かで調べ、再び野外調査地に逃がした。捕獲できた蛇の種類は、ヤマカガシ・シマヘビ・アオダイショウ・ジムグリ・ヒバカリであり合計捕獲数は276個体であった。
卒論でお世話になった日本爬虫両棲類学会元会長の深田 祝京都教育大学名誉教授が、16年間の成果を英文で「蛇の生活史」として1992年(平成4年)発行された。日本の蛇の野外調査記録として今でも爬虫類研究者の参考にされている。
楽しい1年間であり、その後の自分の人生を左右した卒業論文であった。