時代祭に込められたもの ー行列がない年に知っていただきたいー

毎年10月22日は時代祭の日です。
京都が都であった延暦時代(平安時代)より明治維新に至るまでの1,000年以上にもわたる期間を8の時代20の列に分けて、約2,000名の京都市民と牛馬70頭以上が錦秋の都大路を闊歩する一大ページェントであり、5月の賀茂祭(葵祭)、7月の祇園祭と並び、京都三大祭の一つとして行われる平安神宮の祭礼です。

維新勤王隊列

令和2年、行列の巡行は中止…

令和2年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点により、残念ながら行列の巡行が中止となりました。
神事に限らず、全国的にも様々な行事が縮小・中止・延期となっているこの時勢で、毎年多くの入洛者を迎える当祭も、奉仕者や観覧者の安全を保障できるとはとても言えず、苦渋の決断となりました。
行列巡行中止に伴い、10月15日に行列の奉仕者への宣状(任命書)授与式の中止や、他にも縮小を余儀なくされたものもあります。

本来であれば私たち神職は、前日から参籠(さんろう:身を清めて外出せずに斎館にこもる事)し、当日の午前7時に平安神宮で祭儀が行われ、御祭神である平安京創始の桓武天皇と、同じく有終の孝明天皇の御神霊をお遷しした鳳輦が午前9時に平安神宮を出発、京都御所南面正門である建礼門前に行在所(あんざいしょ:天皇の一時的な滞在場所)に安置され、行在所祭を斎行の後に正午行列が進発、約4㎞の道のりを練り歩いて平安神宮に到着します。
その先は非公開ですが大極殿祭を行い、延暦文官参朝列の三位(さんみ)が全列を代表して祭文を奏上、そして両御祭神の御神霊を本殿にお遷し申し上げ、午後6時頃に全日程が終了します。

大極殿祭

祭儀は必ず執行。京都への想い

過去にも戦争や震災によって、行列の中止は126年の歴史の中で11回を数えます。
しかし時代祭は、平安神宮本殿での祭儀としては毎年必ず執行されています。
そこには京都に対する市民の誇りがあるからです。

明治維新の後、京都の人々には共通の想いがありました。
「京都復興」です。
元治元年(1864)、京都は蛤御門の変で「鉄砲焼け」「どんどん焼け」と呼ばれる戦火に見舞われ、街の中心部811町、27,500軒余りを焼失、さらには4年後の明治2年に明治天皇の東京行幸(東京奠都)に伴い、公家、有力町人の東京への集団移動がありました。
事実上の首都機能の移転です。
これにより京都は政治的・経済的地盤の急激な沈下によって衰亡の危機にさらされました。
その状況下で京都を救ったのは、市民の「情熱」と全国民の京都に対する「思い入れ」でした。
京都を死なせてはならない、素晴らしき京都を後世へ伝えなければならない、という危機感・使命感・愛郷心など、様々な思いが見事に結集し、凄まじいエネルギーとなって数々の復興事業を展開しました。
教育・文化・産業・生活など全ての面において新しい京都が模索され、同時に古き良き京都の維持継承に力が注がれたのです。

平安神宮地鎮祭余興

そして、それら一連の復興事業の集大成として平安京遷都から1100年にあたる明治28年(1895)3月15日に、四海平安の祈りを込めて名付けられた平安京を偲ばせる社殿を造営し、京都総鎮守のお社として平安神宮が創建されました。
そこには千年の都で培われた日本文化のおや神さまとして、京都復興にかけた多くの人々の遺志を未来永劫伝えていくためのものでした。

平安神宮外観

時代祭の誕生

時代祭もまた同じ志を持って生まれた祭です。
同年10月22日に平安遷都千百年紀念祭が盛大に行われました。
10月22日という日は、延暦13年(794)に桓武天皇が長岡京より平安京に入御された日です。
『日本後紀』には「辛酉 車駕遷于新京」(22日、天皇が新京に遷った)との記録があり、この日をもって京都の誕生日としたのです。
多くの人が京都に訪れる「観光都市・京都」に相応しい祭にしようと様々な行事が企画され、その内の一つとして時代祭が誕生しました。

平安遷都1100年紀念祭

時代祭の構想は平安神宮創建後、明治28年6月17日に八坂神社の門前、中村楼で行われた平安遷都千百年紀念協賛会の会議中に初めて提唱されたものです。

協賛会幹事である西村捨三(第6代大阪府知事・農商務次官)は世界でもまれに見る、千年間以上もの長い間国の首都として続いた文化・風俗を一つの行列で表し、「他所では真似のできない京都の伝統産業技術の精華を内外に披露するとともに、京都発展の象徴として京都市民の熱意によって永遠に継続する」ことが申し合わされ、平安神宮と時代祭を市民自らの手によって維持継承するために全京都市民による平安講社が組織されました。

世界でも有数の市民組織です。
まさに全市民が京都の誇りを体現する祭であり、幾度もの戦争や震災を経験し、社会が大きく変革した後にも現在に至るまで発展継承されています。

平成19年新たに加わった室町洛中風俗列

今年は本殿での居祭(いまつり)として時代祭を奉仕申し上げます。
行列巡行が無い年ではありますが、幕末の混乱を乗り越え、世界に冠たる京都をつくり上げてきた市民の熱い想いを継承し、京都の誕生を奉祝すると同時にこれからの発展を願う、守らなければならない大切な祭です。
皆様にはこのような時だからこそ、平安神宮と時代祭に想いを寄せて頂きたいと思います。
京都では比較的歴史の浅いものですが、全市民の心意気を体現した神社と祭です。
伝統を無くす事は簡単ですが、継承していく事は本当に難しいものです。
私も先達から受け継がれたバトンを、受け取った時以上に大きなものとして後世に繋いでいくために、微力ではありますが相応の覚悟をもって臨みたいと思います。

※こちらは2020年に書かれた記事です。
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この記事を書いたライター

 
昭和51年生まれ。大阪府出身。
國學院大學神道学専攻科を修了後、ご縁により平安神宮に奉職。
日々の奉仕と共に、御祭神の神徳宣揚の為に神社の魅力を発信している。

|平安神宮 権禰宜|時代祭/平安時代/伝統/御所