正月がすみ、おせち太りをなんとかせなあかん、と悩みながらも残ったお餅を食べているあなた。そんなことやってるうちに1月もあとわずか。そしてやってくるのが節分です。
「節分」ていうたら豆をまく行事ですよね。はい、それはなんで豆をまくんでしたか?
そうですね、季節が変わる前の日に厄払いをするためですね。
季節が変わる日、まず一年の最初の季節「春」が来るのが「立春」です。春が来る前に、疫病はじめもろもろの災厄の象徴である「鬼」を退散させるため、「鬼は~外!福は~内!」と豆まきをしますが、昔々からの京都の節分行事は、ちょっと変わったことをやるんですよ。
京都人度チェック 節分の行事
はいここで「京都人度チェック」!
・節分の行事として、あなたは何をやりますか?
もちろん1つ目は
「豆まき」
これは必須ですね。これやらんと節分とちゃう。
そして2つ目は大体1つめと一緒に行いますが
「豆を食べる」
食べ方によってはおなか一杯になったりしますが、またこれはあとでご説明します。
3つ目は?
これ、やったはるところはもうかなり少ない~
「イワシを食べて、頭をヒイラギに刺して玄関に飾る」
うちは、毎年やってます。
ヒイラギはちゃんとスーパーに置いてありますよね。
え、ありますよね?こんなふうに。
まず、塩焼きにして
これをヒイラギに刺します。
うちの見せましょか?
かなりシュールかも。
食べる前に頭取っといて、ヒイラギに刺してみたんですけど。
「双頭のイワシ!」とか言うて家族に見せてたら
「もう!そんなんしてんと、飾るのやったら早よ玄関飾って来て!!」
てえらい怒られました。なんで?
まぁ2日くらい飾っといたら厄除け効果あるかなと思ったら
次の朝にはイワシが無くなってました。
あ、鬼祓いせんと、猫呼んだんです、たぶん。
4つ目の行事は暗い夜道で…
3つ目のは決してふざけてるやってるわけやないんですが、
家族の評判はイマイチです。
そやけど、厄除けですしねぇ!やることやらんと!
さて気をとり直して。
4つ目と5つ目は、ホンマに珍しい、今はほぼ廃れてしまった行事です。
まず、4つ目は…
「道の四辻(交差点)に、夜中に豆を置いてくる!」
夜、暗くなってから、人が通ってへん交差点に豆を包んで置いて来るのです。
そして振り返らず必死で走って帰る…!
寒い時に暗いところ、怖いですよ。鬼いるかもしれんし。
ほんで、そもそもなんで四辻なん?
四辻は道の真ん中なので、まず私有地ではありませんね。誰の土地でもないので、厄落としもしやすいのでしょう。しかもこれは他の地方でもあるということで、豆どころかお餅にお金、草履や衣服やふんどし(?!)まで落としてくるらしい。いやちょっとそれアカンものも混じってへんかと… 理由はあるんでしょうが、できたら豆かお金ぐらいにしといてほしいもんです。
豆にしても今はアスファルトなので、朝まで置きっぱなしやったら大変!車が轢いていったら潰れた豆だらけになりますしね。だれが掃除するねん!て言いたいです。しかし、今京都では「早朝道路が豆だらけ!」とか見出しのついた新聞記事が無いところを見ると、やったはるところはほとんどないということなんでしょう。
余談ですが折角なので、鬼が出たという伝説のある「宴の松原」あたりの写真を貼ってみました。(注1)
で、うちはこれやってるか、って?
すみません、実はうちの家ではやったことありません。これ、とある有名京菓子屋さんにお聞きしたのです。その方は小さい頃やったはったと。この風習は室町時代からあるということでしたが、「そのころでも朝になったら掃除したはったのかな?」と違うところが気になってしまう私でした。
5つ目の行事はポーンと放り投げる!
そしたら私とこがやってるのは何かというと、5つ目のやつです。
それは
「豆の入ったおひねりを頭越しにポーンと放り投げる!」
「え、どこに?」「どっちに?」「なんで?」
と、これを説明した方にはいつも矢継ぎ早に聞かれます。普通そんなことしませんしねぇ。やらはったことない方がほとんどやと思うので、作法を説明していきましょうね。
1.まず年の数だけ豆を用意します。この日までの一年間の厄落としなのですが、うちでは今年中になる満年齢の数にしています。
節分までにお誕生日が来ている人は今の年齢、節分以降のお誕生日の人は、お誕生日が来たらなる年齢、ということです。
2.ちゃんと満年齢の数があるのを確認して、おひねりにします。
父は93才まで生きたので、晩年はなんと半紙1枚では包めなくて、2枚ずらして重ねたものを使いました。ビックリするほどのかさでしたが、よう考えたらありがたい事やったなぁと。
3.おひねりができたらそれを手に持って恵方を向きます。そして頭から順番に、身体の
各部分をそのおひねりでさすりながら、こんなふうに願掛けします。
「頭が痛うなりませんように、目がずっと良う見えますように、花粉症がひどくなりませんように…」
途中で顔さすって
「シワがいっぱいできませんように…」
とか健康と関係ないことも挟みながら、足のつま先まで進んでいきます。
そしてもちろん最後には
「感染症にかかりませんように。」
これ一番大事ですね!
若い頃、両親がいつまで経っても終わらへんので「遅いなぁ」と思ってましたが、最近私も長うなってきました。そら年いったらいくほどしんどいこと増えてきますしね。
4.全部さすり終わったら、そのおひねりを恵方のほうへ向いたまま、ポーンと頭越しに後ろへ投げます。そして、できるだけ後ろを向かんようにして豆を回収。他の人がいたら、代わりに拾ってもらいます。全員終わったら、豆を四角に包みなおして、名前と生年月日、年齢を書いておきます。丁寧な方は住所まで書かはるようです。
後ろを向いたらあかん、てところは、豆を四辻に置いてくる習わしの動作と似てますね。払った厄をまた拾わんようにするのが大事なんです。
5.包んで書き終わったら、氏神さんのところへ行きますよ。
私が行く北野天満宮さんには豆入れがあるのです。
そちらに納めてお詣りをして終了!
とうとう謎が解けてきた!
長いこと、これをやったことある方を見つけられへんかったのですが、ある日ついに見つけました!なんと、西陣和装学院学長の毛利ゆき子先生!毛利先生の著作「京都西陣 きもの町」の中で見つけたのでした。(注2)
…おばあちゃんは「足が痛うならんように」、お母ちゃんは「家中が仲良く、元気で暮らせますように」と、家族みんなが思い思いの願いを託しながら「西の海へさらり」と言いながら頭の上を越してポイと後ろに放ります。…
「うわぁ、やったはる人がやはった!」
うちだけの行事やと思ってたので、見つけたときはホンマに嬉しかったですね。後になって、お茶を習っていた先生や西陣の織元さんもやったはると聞いて、やっぱりこれは京都の習わしなんや、と確信したのでした。これはよその地方ではほとんど聞きませんし、調べても出てきません。しかも、やったはるお家は京都でもほぼ上京区の方でした。
ちなみに、この文中に出てくる「西の海へさらり」という言葉、私の家では言わないので調べてみたのですが、江戸後期にあった厄払い行事にこの言葉が出てきました。
江戸時代、京都や大阪、江戸でも「厄払い」というような言葉で呼ばれる門付け芸人が、節分の日にはこんな呼び声をかけて、それぞれのお家で厄払いしたお豆さんを小銭とともに回収していたそうです。(注3)
「あぁらめでたいなめでたいな… いかなる悪魔が来るとも此厄はらひがひつとらへ
西の海とはおもへどもちりらが沖へさらり」
「西の海」も「さらり」も出てきます。言葉一つにしても歴史があってとても興味深いですね。
古くから京都にやはるお家がこの行事をやったはるのですが、こういった習わしは、よく御所の行事を真似していることが多いです。例えば以前書いた「根引松」(注4)も平安時代・貴族のお正月の行事を真似たものでした。そんな記録が残ってへんかなと思って探してたら、ありましたよ。
久邇邦明さんが書かはった「少年皇族の見た戦争」のなかにあった一文。
…半紙のような紙に年齢に一つ足した数を包み、それで体を擦る。きっと「鬼は外」で、身体の悪いものを摂るというおまじないなのだろう。擦った後、その豆が入った紙包みを後ろに放る。…(注5)
久邇邦明さんは、戦前は皇族だったので、これは皇室の習わしだったのでしょうか。これも昔、京都の御所から漏れ出た習わしを町衆が真似をしたのではないかな、と思っています。
ところで、最初2つ目のところで「豆を食べる」と書きましたが、この豆の数は「満年齢」ではなく「数え年」の分だけ食べます。次の日、立春に「年をとる」という考え方です。母はいつも、豆を投げたあと、「さぁ、はよ年取ろ!」って言うて豆を食べ始めました。
ということで、今年まだお誕生日が来てなくて節分の時点で20才の人は、満年齢が21才なので数え年が22才となります。一気に年がいった気分になるので、数を数えるときビックリ、私くらいになるとガックリくることになります。また、もう30代40代以上になってくると、年の数だけ食べるって大変になってくるので、ここは省略した食べ方をします。
例えば数え年50才なら、5+0=5個、5個食べたら終わり。70才でも7個。これなら食べられますね!そやけど、私はもっと年がいって入れ歯になったらしんどいかなと思うので、そのときにはきな粉でも食べとこかなって思ってます!
あ、そうそう、今は恵方巻をまるごと食べるっていうのもありますが、あれは京都の習わしではありませんので、うちでは全部「切って」いただいてますよ!
節分に美味しい巻きずしが買えて晩御飯作らんでも良いので、一家の主婦としては、これはこれで有難いです!
例年は各神社へのお詣りや、千本ゑんま堂や千本釈迦堂、壬生寺の狂言を見て楽しんでいる方たちも、今年はお家でも厄払い・鬼払いをしっかり、そして楽しんでやりましょうね!
注2:「京都西陣 きもの町」毛利ゆき子著 p.16「豆まき」
注3:「近世風俗志」喜多川森貞著(天保8=1837年~)
注4:KYOTO LOVE KYOTO「歳神様へのご挨拶 ~お正月の習わし~」鳴橋明美
注5:「少年皇族の見た戦争」久邇邦明著 p.54