2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公に明智光秀

 大河ドラマ「麒麟がくる」で、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、知将・明智光秀を主役として、その謎めいた生涯に光があてられる。「麒麟」とは、王が仁のあるある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣。応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか…そして、麒麟はいつ、来るのか? 戦国時代に終止符を打ち、今 日本の平和の礎をつくったのは、明智光秀の功績が大きいのではないか?

 私怨により本能寺で信長を討った謀反人のイメージを覆す、勇猛果敢かつ理知的な天才・明智光秀。歴史上の英雄たちは、時代によってその人物評が変わってゆきます。光の当て方により、光秀の別の顔が明らかになるのではないか…
 
 

山麓から見た周山城の山容

山麓から見た周山城の山容

 ドラマの時代考証は、静岡大学名誉教授の小和田哲男氏が担当する。戦国史研究の第一人者であり、筆者とは学生時代からの友人でもある。彼ならばきっと素晴らしい活躍の麒麟像を描いてくれることを期待している。


周山城の歴史

 周山城は京都市右京区京北周山町の城山一帯に位置する大規模な山城である。織田信長の命で丹波一国を与えられた明智光秀が、丹波支配の拠点城郭として天正9年(1581)標高480mの丘陵上に築いた。京都と若狭を結ぶ周山街道を一望した。翌年、光秀は本能寺で信長を自刃に追い込んだが、秀吉との山崎の戦いで敗北し、非業の死を遂げる。

 秀吉は周山城の立地と要害性を評価し、継続して整備を行ったが、その後周山城は歴史から消え城跡の破壊が始まったようだ。光秀がこの地に侵略してきた当時、地域の人々は激しく抵抗したが、戦いの末従わざるを得なかったようだ。そして、地域住民は周山城築城に駆り出された事は、暗に想像できる。主君信長を討ち果たした光秀が秀吉に敗れ去った当時、地域住民の手により、城跡の破壊が始まったのではないかと思われる。光秀が、周山城に在住したのは短期間で、地域住民に善政を施したとは考えにくい。山麓の慈眼寺には光秀の木造座像が今でも保管されているが、黒く塗りつぶされているのが何をか語らんである。

曲輪5に残る石垣。 

曲輪5に残る石垣。 

曲輪とは、城内部の区画のこと、郭・丸ともいう。

周山城の特徴

 国道162号(周山街道)登城口から徒歩約40分で主郭へ、主郭の東の城(石の城)尾根上に残る破壊された石垣跡。土壇が残る天守台。西側の曲輪群には保存状態の良い石垣が残る。壮大なる総石垣の城だった往時の姿を想像できる。

 登山口より急な九十九折の坂を上ると、土塁が現れ、次第に石垣群が目の前に現れる。頂上の「城山」から8方向に伸びる支尾根の全てに曲輪が築かれている。

 西側の二重の大堀切を越え、尾根沿いに西に進むと西の城(土の城)が現れる。西の城は、詰城であり物見として使用されたようで、S字にのびる曲輪には土塁や堀切などの土の遺構が残る。

曲輪6に残る石垣

曲輪6に残る石垣

保存活動

京都市文化財保護課が「航空レーザー測量」と目視調査で、詳細な城跡の配置図(縄張図)を作成中である。保存には地元との連携が必要である。

編集部VIEW!

今回の記事では光秀の人物像には深く切り込まれていませんでしたが
次回は謀反人の悪評を覆すような光秀像のお話を期待したいところです。
ところが次回テーマは「船岡山の光と影」にすでに決まっているようです。
次々回以降もご期待ください。

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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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