旅行業界に二十数年勤めていた僕は、ある日、父の後を継ぐため、「ちょぼや」三代目になりました。何の仕事かというと、舞妓さんの履物を作っています。はじめは、知らないことばかりでしたが、次第に祇園のおかみさんやおかあさん、芸舞妓と積極的に話をさせていただけるようになりました。そして、花街の面白い話をみなさまに知っていただこうと筆を執る決意をしたのです。

舞妓のデビュー

舞妓イメージです。

花街により舞妓になる年齢は異なりますが、大体は中学を卒業し、置屋(おきや)に入ります。置屋とは、舞妓や芸妓が所属する家のことです。そこで約一年の仕込期間を経て、一人前の舞妓として店出し(デビュー)をします。
仕込とは修行のことです。そもそも舞妓とは、芸妓になるために修行している少女のことをいい、京都特有のものです。
芸妓になれば三味線や舞を酒席で披露します。また、お茶やお花もたしなむ必要があり、色んなこころを身につけなければなりません。そうして舞妓は20歳前後で芸妓になる「襟替え(えりかえ)」をします。 

舞妓の時だけしか履けないモノが『おこぼ(こっぽり)』です。おこぼには二種類あり、白木の台はオールシーズン用、側面に漆が塗られた黒色の台は夏用のものです。いずれも台には畳表が貼られています。
こぽ、こぽ。とおこぼを履いた舞妓さんが歩くと、なんともいえない可愛らしい足音がすることから「おこぼ」と名前がついたといわれています。

一年目の舞妓が履くおこぼの花緒は赤色で、台の裏には鈴をつけます。おこぼは元々、子供が履く下駄。何処にいるかがわかりやすいように鈴がつけられたとの説もあります。そういえば昔の子供の「つっかけ」には、鈴の音やピーピーとなるモノがありましたね。
 
二年目からはピンクやひわ色(黄緑色)、水色など、花緒の色を変えていかれます。
ちなみに「おこぼ」はとても重い履物で、片足だけでも日曜大工ができる程の工具の重さに匹敵するのです。修行中の舞妓にふさわしい履物といえる気もします。

履物屋により異なりますが、うちのおこぼは4寸(約12㎝)の高さです。高くなるほど花緒を挿げる(付ける)のが大変になります。おこぼの台の裏には、深さ約10㎝の穴があり、その中で花緒が緩まないように色々な道具を駆使して固く結びます。
 

いよいよ舞妓卒業

芸妓イメージです。

舞妓と芸妓の違いって何だと思いますか?
容姿が異なるので見分けはすぐにつきます。違いは、髪・着物・下駄の三カ所あります。舞妓は地毛を結いあげ季節に応じたかんざしを頭にさします。着物も明るく華やかなものが多いです。履物は上記で述べたように「おこぼ」を履きます。
一方、芸妓は地毛ではなく、飾りのほとんどないカツラをかぶり、着物は黒や無地のもの、履物も下駄や草履といった違いがあります。
大体20歳頃、芸妓になります。20歳を過ぎても芸妓になれない娘たちは、辞めてしまうのだそうです。
 
舞妓が芸妓になる儀式を「襟替え(えりかえ)」といいます。
舞妓の店出しか芸妓の襟替えがおこなわれる日取りが決まられたら、お得意先の置屋さんから、名前入りの手ぬぐいが届きます。こちらからは大安や友引など、佳い日にお祝いをお持ちします。このやり取りが花街らしいなぁと感じます。
 

仕事の楽しみ

履き物の仕事は分業制で、台や花緒は、それぞれの専門の業者があります。うちでは、最後の仕上げ、花緒をすげるところを担っています。花緒は、きついと足が痛くなり、緩いと歩きにくいため、お客様の足にあった調整を心がけています。「履きやすいなぁ」と言って頂くと本当に嬉しく、やりがいを感じます。

  
Twitter Facebook

この記事を書いたKLKライター

ヽや(ちょぼや)店主
櫻井 功一

 
1966年京都市生まれ。
2013年より三代目に。
おこぼに代表される舞妓の履き物から、さまざまなジャンルの方々とのコラボレーションによる斬新な履き物まで、『和と伝統』を大切にしながら、革新に取り組んでいます。

東京・浅草生まれの祖父が、奉公先の履物店のお嬢さんと恋に落ち、祇園・花見小路に店を構えたのは、今から六十五年前。昭和二十九年のことでした。さて店の名前は、と考えてつけたのが「ちょぼや」。文字を書くために筆を置くとき、必ず ヽ(ちょぼ)から始まります。「初心忘るべからず」という意味が込められています。
祖父の跡を継いだ父から、履き物の花緒のすげ方を学びながらも、日本中を電車に乗って旅していた学生時代から、スーツを着て仕事をすることに憧れていた私は、旅行業界の営業職に二十数年間携わっておりました。
高齢になった父の跡を継ごうと覚悟を決めて店に入ったものの、じっとしていること、手仕事を究めることに苦手意識を持っていました。また、花街ならではの習わしは知らないことばかり。それでも、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と、おかみさんやおかあさん、芸舞妓と積極的に話をさせて頂き、いろんなことを聞けるようになりました。

記事一覧
  

関連するキーワード

櫻井 功一

 
1966年京都市生まれ。
2013年より三代目に。
おこぼに代表される舞妓の履き物から、さまざまなジャンルの方々とのコラボレーションによる斬新な履き物まで、『和と伝統』を大切にしながら、革新に取り組んでいます。

東京・浅草生まれの祖父が、奉公先の履物店のお嬢さんと恋に落ち、祇園・花見小路に店を構えたのは、今から六十五年前。昭和二十九年のことでした。さて店の名前は、と考えてつけたのが「ちょぼや」。文字を書くために筆を置くとき、必ず ヽ(ちょぼ)から始まります。「初心忘るべからず」という意味が込められています。
祖父の跡を継いだ父から、履き物の花緒のすげ方を学びながらも、日本中を電車に乗って旅していた学生時代から、スーツを着て仕事をすることに憧れていた私は、旅行業界の営業職に二十数年間携わっておりました。
高齢になった父の跡を継ごうと覚悟を決めて店に入ったものの、じっとしていること、手仕事を究めることに苦手意識を持っていました。また、花街ならではの習わしは知らないことばかり。それでも、「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と、おかみさんやおかあさん、芸舞妓と積極的に話をさせて頂き、いろんなことを聞けるようになりました。

|ヽや(ちょぼや)店主|おこぼ/舞妓/芸妓/花街/花緒

アクセスランキング

人気のある記事ランキング