京都盆地の北方に位置する小高い山で、京都を一望できる船岡山の南に走る鞍馬口通りに船岡温泉とカフェさらさ西陣がある。
船岡温泉は、平日なら午後3時から、日曜日・祭日なら午前8時から営業している。さらさ西陣は、正午から営業している。

近くの船岡山公園を散策し、少し汗ばんだ後に船岡温泉に浸かり、お腹が空いたころにさらさ西陣で寛ぐのは如何でしょうか!人出の多い観光地を避け、チョット贅沢な旅気分を味わえる時間の過ごし方である。報道機関にも度々紹介されている。

船岡温泉   レトロな銭湯

船岡温泉の創業は大正12年(1923年)、お風呂も楽しめる料理旅館「船岡楼」の付属浴場がルーツである。戦後、公衆浴場専業となり、文化庁の登録有形文化財にも指定された由緒ある唐破風造の建物が迎えてくれる。その立派な様相を見るだけでワクワクしてくる。鞍馬口通りに面して京都の名石である貴船石で組まれた豪華な石組が見えてくる。昔はその地が庭石置き場であり、活用したものと思われる。男湯と女湯は、日替わりである。

鞍馬口通りに面して、唐破風の入り口、貴船石やチャートの石組、立派な松の木が迎えてくれる

古いお風呂屋さんの建物を象徴するものに、反曲カーブが印象的な唐破風がある。「唐」と付くので、中国が起源と思われるが、日本独自のものである。
古くは唐破風屋根は鎌倉時代から現存し、安土桃山時代に最も隆盛を迎え、主に城郭や神社仏閣に使われてきた。側には立派な松の木が迎えてくれる。

脱衣場は、漆塗りの格天井の中心に鞍馬天狗と牛若丸をモチーフにした彫刻が据えられている。男湯と女湯を仕切る透かし彫りの欄間は、葵祭りや上海事件をモチーフにしている。京都のお祭りの様子や双眼鏡を覗く人、電話をかける人、空飛ぶ飛行機など見ていても飽きない。素晴らしい彫刻芸術を鑑賞することができる。現役で動いている古い掛け時計も見事である。

透かし彫りの欄間

鞍馬天狗と牛若丸

洗面場には、一面貼りめぐらされた花柄の鮮やかなマジョリカタイルがふんだんに使われていて、まるで万華鏡の中にいるようである。このタイルは、昭和7年(1932年)の改築時に取り付けられたものである。淡路島で焼かれ表面に凹凸がつけられた立体感が出ている。マジョリカタイルのいわれは、イギリスの陶磁器メーカーが「マジョリカタイル」という商品名で発売したことが始まりである。その源泉は、中世末期に地中海西部のマジョリカ島を経由して運ばれていた錫釉色絵陶器にある。

浴室へは、池の上を渡り廊下で進む趣向になっているが、花崗岩でつくられた橋の上を渡る。池には立派な鯉が泳いでいる。この橋は、元々千本鞍馬口に架かっていたのを、昭和8年(1933年)の改装時に、千本通りに市電が延伸され、道路拡張され不要になり払い下げてもらった。一本の橋は、縦に半分に分けられ、男湯と女湯に架けられている。その欄干の親柱には、「菊水橋」の文字が残っている。浴室には小さいが富士山のタイル絵が目を楽しませてくれる。

千本鞍馬口に流れていた「逆川」に架かっていた石橋。歴史の重みを感じる遺物である。

浴室は、男女日替わりの檜露天風呂や岩の露天風呂、遠赤外線サウナなど充実している。2日連続で行けば、両方楽しめる。外人さんも多く訪れている。
浴槽に浸かっている入浴客から、「ゴクラク…」「極楽…」と発せられている。
本当に、京都に船岡温泉があって良かったと思える銭湯である。

さらさ西陣   銭湯カフェ 銭湯再生

船岡温泉から、鞍馬口通りを東に5分ほど行くと、南側に唐破風のある町屋風銭湯が現れる。平成11年(1999年)廃業になった「藤森湯」という銭湯として営業していた建物が、現在は風呂・銭湯ではなくカフェ「さらさ西陣」として利用されている。
唐破風の上には「藤ノ森温泉」という銘の入った鬼瓦も残っている。こちらも文化庁の登録有形文化財になっている。

唐破風のある古い建物。
銭湯をカフェ「さらさ西陣」として再生

浴室をそのまま客席に改装し、船岡温泉と共通するマジョリカタイルをふんだんに使い、エキゾチックな雰囲気を楽しめる。それもその筈、船岡温泉初代が昭和5年(1930年)に建てたものだ。木造家屋の良さを活かした造りでとっても居心地が良い。ボリュームのある食事の美味しさにも定評があり、風呂上がりに飲みたい方には、もちろんビールもある。

洗面所部分は、スピーカー置き場に利用

建物の外観はそのままにし、浴室のつくりを残して改装され、浴湯当時の面影を偲ぶことができる。店内は、格天井と呼ばれる高い天井、和製マジョリカタイル全面張りの洗面場、浴室の壁面、男湯と女湯を隔てていた壁におおわれる。上を見ると、湯気抜きから注ぐ太陽の光、床下には浴槽が眠っている。まさに銭湯再生を果たした大正ロマンの心地よい空間である。

男湯と女湯との間仕切りがそのまま残っている

この独特な雰囲気の中で、アコーステイックバンドのコンサートが開かれたり、古書や新刊を発売するコーナーが設けられたりする。近くには、唐紙の専門店や小さなショップもあり、このエリアの文化発信基地になっている。京都にこんなホッコリする空間をあることに、京都人として誇りに思い、大切にしていきたい。

かって浴室だった客席は、一面マジョリカタイルに組まれている。
万華鏡の中にいるようだ

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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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