
京都ハレトケ学会 第4回『まぼろしの桂離宮記』
栄華を極めた道長の別荘に由来する桂離宮。その後、宮家の別業(別荘)となる。京都観光でも訪れる人は多くないが、四季折々の彩を見せてくれる庭園などその見所は多い。
【百足山】
「道濱の左方に連なる南北に長い丘を百足山といひ、また女松山とも稱してゐる。元この山から道濱の上に横はへて池中へ出た投松があつて景観の上に風情があつたが枯失したので、今その代木があるが昔日の観に通しとのことである」
"道濱"は現在の州浜にあたる。確かに松はあるが、池にまでせり出すほどではない(『桂宮御別荘全図』にそれらしき松はある)。"百足山"の呼称は今はなく、由来は不明である。
『風俗研究』134号に付属の林泉略図には、当時の灯籠および手水鉢の位置が示され、賞花亭・園林堂の南にある築山を"次郎兵衛山"と記すなど、管見のかぎり他書にはない貴重な記述もあり、『祇園会山鉾大鑑』と同じく未完であることが悔やまれる。
昭和9年(1934)、タウトは桂離宮を回想し、スケッチブックに「桂離宮では眼が思惟する」と綴っている。数年前、僕が5月上旬に訪れた際は、咲きほこる満開のツツジが美しかった。奇しくもタウトがはじめて桂離宮を訪れたのは5月4日であり、おそらくツツジもタウトの眼を奪ったものの一つであろう。
桂離宮は決して遠い場所でなく、よいものを見るのに理屈は要らないが、季節ごとに装いを変えるため、そう簡単に全貌を見せてはくれない。ぜひ改めて、訪れてみていただきたい。
◇参考文献◇
『桂宮御別荘全図』国立国会図書館デジタルコレクション西村兼文(1879)『(洛西)桂御別荘明細図』京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
京都市編纂部編(1895)『京華要誌』上巻 京都市参事会
若原史明(1924~1938)「祇園会山鉾の沿革(1)~(42)」『風俗研究』50~215号 風俗研究会
若原史明(1931~1936)「桂離宮記(1)~(16)」『風俗研究』134~189号 風俗研究会
高橋英男(1935)『桂御別業之記に就て』造園雑誌2巻1号
ブルーノ・タウト/篠田英雄 訳(1939)『日本美の再発見』岩波書店
森蘊(1951)『桂離宮』創元社
川瀬一馬(1959)『「桂離宮」管見-附、佐野紹益の贍草のこと』青山学院女子短期大学 紀要 第11号
梅棹忠夫・川添登(1961)『桂離宮』淡交新社
久恒秀治(1962)『桂御所』新潮社
若原史明(1982)『祇園会山鉾大鑑』八坂神社
井上章一(1986)『つくられた桂離宮神話』弘文堂
西和夫・荒井朝江(1987)『桂宮家の鷹峰御屋敷-位置と沿革そして御成の様相-』日本建築学会計画系論文報告集 第377号
西和夫・荒井朝江(1987)『桂宮家御陵村御茶屋と地蔵堂』日本建築学会計画系論文報告集 第380号
荒井朝江・西和夫(1988)『二条城本丸旧桂宮御殿とその造営年代について-桂宮家石薬師屋敷寛政度造営建物と今出川屋敷への移築-』
日本建築学会計画系論文報告集 第387号
小沢朝江(1994)『桂宮家の今出川屋敷における御茶屋について-その沿革・特色・使い方と桂離宮など洛外の別荘との比較-』
日本建築学会計画系論文集 第463号
(1993)『耽奇漫録(上)』(日本随筆大成・第一期 別巻) 吉川弘文館
ブルーノ・タウト/篠田英雄 訳(2004)『画帖 桂離宮』岩波書店
花田富二夫 編(2016)『仮名草子集成』第55巻 東京堂出版
金学淳(2016)『曲亭馬琴研究 ー 江戸出版文化と異国表象を通して』筑波大学 博士(文学)学位請求論文
【京のまつり文化】京都ハレトケ学会
▶︎第1回『都のまつり』▶︎第2回『百年前の宝探し(前編)』枕の下に忍ばせる宝船図
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京都ハレトケ学会 主宰。
京都六斎念仏保存団体連合会・京都中堂寺六斎会 会長付/公式カメラマン。
2006年に滋賀から京都市へ移住したことをきっかけにまつりの撮影を始める。
会社勤めのかたわら、ライフワークとして郷土史家の事績をたどっている。
作品展示
2014年 『中堂寺六斎念仏』展 京都市伏見青少年活動センター
2015年 『都の六斎念仏』展 京都府庁旧本館
2016年 惟喬親王1120年御遠忌・協賛展示『親王伝』 京都大原学院
2017年 『京のまつり文化』展 綾小路ギャラリー武
2018年 『京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定
2019年 『続・京のまつり文化』展 ごはん処矢尾定
|京都ハレトケ学会 主宰|宝船図/桜/桂離宮/祇園祭/御大礼
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