京町家の暮らし、そして母

「家」というのはこんなにも暖かいものなのか

幼いのころの記憶、と言われて思い出すことがある。
私は、築百五十年の京町家に生まれ育った。小さいころから木造住宅が嫌で仕方がなかった。
小学校に上がるころだろうか、私は「家が古いこと」に対する恥ずかしさをはっきりと覚えていた。

ある時、友人の家に遊びに行ったときのことだ。彼のマンションは新築で、あたらしい建物独特の香りがしていたことを覚えている。全自動食器洗浄機がうなりをあげ、ぴかぴかのシステムキッチンの向こう側には彼の母親がお茶の準備をしていた。床暖房の暖かさの記憶からして、きっと冬の寒い時期だったのだろう。

なんということだ。私以外のみなが住んでいる、「家」というのはこんなにも暖かく、便利なものなのか。驚きとともに沸き上がったのは、劣等感と気恥ずかしさの感情だった。

我が家に帰ると、彼の住宅環境とはほど遠い日常が広がっている。隙間風が入るせいで、暖房をいれても暖かくならず、母は火鉢に手を伸ばして暖を取っている。火鉢!床暖房がどうの、という世界の話ではない。うちの家と、ほかの家は決定的に違うのだ。

母親から友人の家はどうだったか、と聞かれたが、正直な感想は言えずに、何も答えることができなかった。

それからというもの、友人が私の家に遊びに来たい、と言われることがあっても、すべて断っていた。この旧時代的な生活を見られるのはあまりにも恥ずかしかったのだ。

ある日、母親と一緒に帰宅していた時に、ばったりと家の前で友人と会ってしまった。ここ、おまえの家なんだ。そう聞かれたときにとっさに口をついて出た。「ここは名字が一緒なだけで、別の人の家やの」そこからの記憶は薄いのだが、なんとか切り抜けたように思う。
私たちが話している間、母は黙って自転車のサドルに乗っていて、家には入らなかった。しかし、私の気持ちを汲んで、母はそこで待っていた。
きっと家に入ってから怒られるのだろうと思っていたが、母はいつもと変わらない様子で、しかし一言も話さず、家事をはじめた。母の心中を察した私は、自らが発した言葉を悔いていたが、いつか友人のような美しいマンションに住めたらいいのに、という気持ちは変わらなかった。
 
 

憧れのマンション生活!しかし母は…

時は過ぎ、私が大学生になったころ、我が家によく訪れてきた人たちがいる。土地開発のセールスマンだ。おめでとうございます!と場違いすぎるほど明るい挨拶とともに、この土地は今価値が上がっていて、大変な高値で売れることを熱弁する。
売らずとも、この古い京町家を取り壊してマンションにすれば、とてもよい収益物件になる。私たちオーナー家族はマンションの最上階に住んで、マンション管理をすればいい。そういった話だった。なんと、憧れのくらしが手に入るのだ。しかも最上階。きっと床暖房も入るだろう。ああ、わたしにもようやく便利で豊かな生活がやってくる!私は内心、小躍りをしていたが、母はやわらかに、そしてはっきりと、一切の勧誘を断っていったのだ。


それからしばらくして、近隣の町屋がいくつも解体され、マンションへと姿を変えていった。
熱血セールスマンの営業の賜物だろう。そんな中、我が家でも、やはりうちもマンションに建て替えて収益物件にするほうがいいのではないか、といった議論があがったが、ここでも、母だけが建て替えに反対していた。

「うちらは今、ご先祖さんからこの家をお預かりしてるだけ。時代に流されて、簡単に変えたらあかん。マンションを残すよりも、この町家をこのまま残すほうが、ずっといい。」

何度か話し合いを重ねた結果、母の強い意志に押し切られるようにして京町家保存のための大規模改修が決まった。伝統的工法で修繕するため、多額の費用がかかった。マンションを建てたほうがよっぽど安くつく。言葉には出さなかったが、母もつらい思いをしていたようだ。

改修費を捻出するために、株などの多くの私財を売却した。家族もみな、これが本当に正しい道なのかわからなかったが、母だけは強い自信を持っていた。
この京町家は、我が家の一番たいせつな財産になるのだから、と。

 

いま思う、京町家での暮らし

時は流れ、私も三十路が近づく大人になり、家の商売である扇子屋の手伝いをはじめた。結局、母の言う通り、この古い京町家はわたしたちの大きな財産になっている。

初夏に咲く百日紅の花々
夏の坪庭に輝く、木々の緑
厳冬の朝に凍り付いた手水鉢の水

この古い京町家には、季節が宿る。暮らしにくい部分はあるが、それ以上の喜びと発見に満ちている。誰に紹介しても恥ずかしくない、立派な日本の家屋である。
幼いころ、私があんなにも恥じていたこの家は、今、かけがえのない大切な宝物としてこの場所にある。母がそうしてくれたように、私も次の世代へのバトンをつないでいけたらいいな、と思いながら暮らしている。

そして、今では、多くのお客様が京町家の見学にいらしてくださるようになった。これを何より喜んでいるのは母自身である。身振り手振りを駆使しながら、国外のお客様に京町家の案内をしている。この町家を守ったのは、母である。

母がいてくれてよかった、と思う。

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この記事を書いたライター

 
立命館大学卒業後、通信会社に勤務。
扇子を彩る「和の色彩」と「伝統文様」に魅了され、家業の大西常商店に入社。
京都市の歴史的風致形成建造物に指定される店舗兼住宅は、扇子の製造や販売を行うほかにも、能や日本舞踊などの伝統芸能の稽古場としても開放している。
香りを保つ力が高い扇骨(竹)の特性と、京扇子の加工技術を活かした、新しいルームフレグランス「かざ」を開発。
平成29年度京ものユースコンペティショングランプリ、第12回文化ベンチャーコンペティション京都府知事優秀賞受賞。
第10回京都商工会議所知恵ビジネスプランコンテスト認定。

|株式会社 大西常商店|京町家/京の暮らし/習慣/家族/赤飯