本能寺の変は、信長と光秀の合作だった?

天正10年(1582年)6月2日、光秀は本能寺と二条新城を襲撃し、信長、信忠父子を倒した。様々なドラマの中でその様子が描かれ、脳裏に焼き付いている。

この本能寺の変は、信長も光秀もお互い了解済みのショーではなかったのか?


「伝えたい京都、知りたい京都」の編集部KLKより、大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公の明智光秀に期待すると題して、原稿依頼があった夜に見た夢である。

 読者の皆さんには、いままでの主殺しの悪人というイメージが光秀には強すぎて、私が夢に見た本能寺の変は、信長も光秀もお互い了解済みのショーだったという本能寺の変は思いつかないのではないだろうか?

本能寺の変が信長と光秀の合作のショーだったとまでは思わないが、本能寺の変については、諸説あり、いまだに日本史上最大の謎とも言われる所以である。私は見た夢をムダにせず、柔らか頭でドラマを見守っていこうと思っている。

 さて、「本能寺の変」の実行者である明智光秀が初めて大河ドラマの主人公となったのです。群雄が割拠する戦国時代に、突如、織田信長の重臣として頭角を現した智将・光秀です。その謎めいた前半生に光があてられ、戦国初期が描かれる壮大なドラマに期待するものである。

歴史は勝者が書いた、勝者のための歴史だとよく言われる。光秀と真っ向から向き合い、新しい光秀像が描写される事を大いに期待したい。光秀が築いた城郭の中で今でも築城当時のまま残っているのが周山城である。光秀に関する城郭研究の成果の紹介にも興味がわいてくる。

京都市右京区京北の森林に残る「周山城跡」光秀築城当時の石塁

京都市右京区京北の森林に残る「周山城跡」光秀築城当時の石塁

学生時代からの城仲間で友人の静岡大学名誉教授・小和田哲男氏が、今回も大河ドラマの時代考証を担当する。戦国史研究の第一人者であり、明智光秀に関する多くのコメントをしている。
 

ようやく興味関心から 研究対象へグレードアップしてきた光秀

最近の研究者は、古文書や公家の日記の資料を重視し、信長の天下取りを支えた有能な武将、あるいは茶人とか公家とのつき合いの深い教養人として描くようになってきた。

光秀は秀吉のライバルだったのに、山崎の戦いで敗れて死んだので、負けた光秀に光が当たらずに秀吉の武功だと宣伝して、手柄をひとり占めにした。死人に口なしだ、光秀に代わって歴史を見直したい。
 
 

信長と義昭の出会いに光秀が絡んでいることは、大きな業績

 信長と義昭との出会いが、戦国時代を大きく変えていった。越前の朝倉義景のもとにいた足利義昭を信長がいた岐阜に連れて行ったのは光秀である。

 信長の命令で光秀が大将を務めた丹波計略には4年という時間がかかったが、その難所を光秀に任せたのは、信長は光秀を高く評価していた証であろう。丹波攻略の拠点とした福知山や亀岡では今でも光秀の善政を評価している。
 
 

ドラマが始まる前に、どんどん新しい史料が出てくることを期待

本能寺の変には、まだまだ謎が多い。光秀自身がなぜ信長を討ったのか一言も残していない。それぞれの土地に埋もれている史料を捜し出し、土地の博物館や郷土資料館で特別展が開催される事を期待している。例えば、出生地は美濃の国と言われるが、滋賀県多賀町と提唱する説もある。

歴代の大河ドラマで、光秀のような「敗者」で、さらに悪人・謀反人と言われていた人物が主人公になったのは、初めてなのである。

 
 
小和田哲男氏が述べているこの3つのコメントに、光秀の魅力とドラマへの期待を感じて、毎週日曜日の放映を楽しみにしている。

大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公に明智光秀が決定し、その関係の地域の城跡が注目されている。しかし、明智光秀が築いた当時の城跡が現存するのは周山城が一番と言っても過言ではない。城跡を整備すれば但馬の竹田城跡に劣らない総石垣の山城である。

 地元住民中心の周山城址を守る会があることは、以前から知っていたが、その活動が数年停滞していた。最近、城跡での実地研修会や登城路の整備や歴史学者を招聘しての研修会やパネル展など活発に周山城址の保存の啓発に努めている。

山の森林に今でも残る「周山城址」研究の最前線

 私が初めて周山城を訪れたのは学生時代で、道なき道を登り、森林の中に残存する石垣群を目にし、感激したのを今でも鮮明に覚えている。

 当時は、縄張図もなく一度描いてみようかと?思いつつ60歳を超え退職した。しかし、再雇用で70歳まで教育界の仕事をお手伝いすることになった。ここ10年で5回再登城する機会はあった。私が休眠している間に、若い研究者たちが周山城址を訪れ、熱心に研究しその成果を発表している。

 ごく最近、京都市文化市民局 文化財保護課が、平成29年3月ヘリコプターによる航空レーザー測量をして、現地調査を繰り返し作成された周山城址縄張図を発表した。これからもこのような手法で新しい城跡が見つかり、現地調査されて縄張図ができることを期待している。

 令和元年9月現在、滋賀県立大学教授中井均氏、大山崎歴史資料館館長福島克彦氏、城郭談話会高橋成計氏、吹田市立博物館堀口健弐氏などが綿密な図面を発表している。またイラストレーターの伊藤展安氏が周山城復元絵図を発表している。

下山し、疲れを癒す亀屋廣清(京北駅バスターミナル北)の城山饅頭を食そう!

素晴らしい山城から下山し、少し疲れた体を癒すのは、美味しい「京北銘菓 城山」の饅頭で城跡に思いを馳せる、ほっこりと優しい乳果である。
その他、酒ケーキ、バームクーヘン、クッキー、みかさ、アイスクリーム等がある。お菓子づくりを漂う夫婦のおもてなしに人気がある。
 周山城址までの案内図も貰え、周山城跡の様子も学べます。

  
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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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