あれ、そうゆうたら西陣ってどこなん?

「西陣ってどのへん?」と聞かれて答えられます?

♪まる たけ えびす に おし おいけ~(丸 竹 夷 ニ 押 御池)ではじまる京都の通り名の唄を聞かれた方も多いのでは。碁盤の目といわれる京都の地理を理解するには、まず通り名のインプットから。そのためにこの唄ができたんですよね。
で、「丸竹夷」は東西の通りを紹介しているのに対し、南北の通り編もあるのってご存知でした?こちらは、♪てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい~(寺 御幸 麩屋 富 柳 堺)ではじまり、どんどん西に向かっていきラストは、♪じょうふく せんぼん はてはにしじん~(浄福 千本 果ては西陣)で締めくくります。この最後の「西陣」だけが通り名ではありません。それだけ西陣が京都を代表する地名であるということですね。
そして西陣といえば西陣織。高級織物の代名詞であり長らく京都の基幹産業として栄えるとともに、「京の着だおれ」文化と観光を支えてきました。このように西陣は織物としても地名としても名を馳せているわけです。

でもですよ、京都の住所をすべて洗いだしても「西陣」の2文字はただの1つも見つかりません。他の有名な地名、たとえば「祗園」や「嵐山」はその名がしっかり入った住所があるのに、西陣のそれはありません。では西陣が単なる俗称かというとそうでもなく、「西陣郵便局」やごく最近まで「西陣警察署」があったように、オフィシャルに使用される不思議な地名です。

不思議といえば西陣とはいったい、どこからどこまでを指すのでしょうか。地元の方でも案外、答えられない方が多いのでは?それもそのはず、「ここからあそこまでが西陣だ!」と正式に定められている訳ではないからです。どこが西陣かは人によってバラバラ、つまりすご~く感覚的なものです。でも、それじゃ観光客に「西陣てどの辺ですか?」と聞かれても答えられないですよね。そこで、私なりの解釈を講じたいと思いますが、それを語るためにはまず西陣の歴史をひも解く必要があります。


どうして「西陣」って呼ばれているの?

そもそもナゼ「西陣」と呼ばれるようになったのか。その起源は応仁の乱にさかのぼります。キッカケは室町幕府の次期将軍の座を争った足利家のお家騒動でした。そこへ大物守護大名の細川氏と山名氏が介入したことで、それぞれ東軍と西軍に分かれての全国的な戦いに拡大します。その際、西軍総大将の山名氏は現在の堀川通今出川を北上したあたりに本陣をかまえました。「西」軍の「陣」、これが西陣誕生の瞬間です。現在もこの地は「山名町」としてその名残りを留めています。

西軍総大将・山名宗全邸宅跡

もともとこの辺りは、平安時代の末期から大蔵省織部司、つまり織物の役所が現在の黒門通上長者町あたりにおかれるなど織物が盛んな地域でした。応仁の乱で大坂の堺などに疎開(?)していた職人たちがこの地に戻った際に、西陣の名にちなんで「西陣織」と呼ばれるようになりました。西陣織は朝廷からも認められ、京都を代表する一大産業に発展。その最盛期には、一日で千両の売上をあげたといわれる今出川通大宮の一帯が「千両ヶ辻」と名づけられ、現在も京都市から景観整備地区に指定されています。


で、結局どこからどこまでが西陣なん?

ところで、私かつては宅配ドライバーとして西陣の大路小路を縦横無尽に駆けておりました。車が通れないような路地まで知り尽くしており、今でも通り名を聞けば往時の町並みが織物屋さんの看板とともによみがえります。その私であっても「西陣てどこなん?」の質問には、ウーム…とうなってしまいます。

織物屋さんの看板が並ぶ約20年前の千両ヶ辻。

私なりに悩みに悩みぬいた(大げさかもしれませんが、まあまあ真剣です)解釈はこうなりました。千両ヶ辻である大宮通今出川を中心に、東は堀川通、西は七本松通、南は中立売通、北は鞍馬口通。この4つの通りで囲まれた長方形を西陣とします。このあたりを歩くと町家が立ち並び、「○○織物」の看板が散見されます。20年くらい前までは「カシャン、カシャン」という機織の音が街のBGMでした。このエリアが私にとっての西陣エリアであり、おそらく狭義の西陣といえるでしょう。

もちろん、「いやいや、西陣はそんな狭ないで」とおっしゃる方も多いことでしょう。そこで西陣の範囲を拡げてみると、新町通~西大路通、丸太町通~北大路通、といったところでしょうか。今、西大路通と申しましたが、実際はその1筋東の紙屋川通が、その線引きラインでしょう。秀吉が築いた御土居の西端ですね。
また、千本北大路はギリギリ西陣かもですが、北大路堀川となると、当地に毎日通勤している私からしても、ここを西陣と呼ぶにはいささか抵抗があります。広義の西陣は長方形ではなく、デコボコした形になりそうです。
さらに、もっと広く「西陣≒上京区」とされる方もいらっしゃるようですが、さすがに少数派でしょう。御所界隈は、お公家衆の街ですから。私自身、西陣の境界を堀川通と申しましたがホントはもう少し東、まだまだ織物屋さんが見られる小川通までを入れてもいいかなと迷いました。でも小川通は茶道お家元が鎮座する地。西陣文化というよりは、公家文化の香りが漂うので、堀川通で線引きしました。

町名で読みとる西陣

現在の京都の街並みを造ったのは豊臣秀吉といわれています。その豊臣政権の最盛期、洛中ど真ん中に関白であった秀吉のオフィス兼自宅である「聚楽第」が造られました。黄金に輝く天守閣をはじめ内装にいたるまでキンピカに輝いていたそうです。その周辺には大名屋敷が立ち並びました。この聚楽第がほぼ西陣エリアと重なっており、現在も町名にその名残が見られます。たとえば黒門通一条東入の一帯を「如水町」といいますが、これは黒田如水(黒田官兵衛の法名=出家後の名前)の屋敷があったことにちなんでいます。もうひとつ、智恵光院通上長者町を西に入ると「高台院町」があります。ここは秀吉の糟糠の妻・寧々の屋敷があった場所であり、彼女の法名「高台院」が由来です。他にも福島町(福島正則)、直家町(宇喜多直家)※直家⇒直江=直江兼続説もあり、飛弾殿町(蒲生飛騨守氏郷)などなど至るところ大名が想起される町名を見ることがされます。

黒田如水邸址(黒門通一条東入ル如水町)
如水町の南には黒田如水の旧姓である小寺にちなんだ「小寺町」もある。

さて、町名の話でいえば、いかにも西陣らしいといえるのが大宮通中立売上ルの「糸屋町」です。この辺りには西陣織に用いる糸の商家が多かったそうです。また、智恵光院通上立売を上がった一帯を「紋屋町」といい、紋織(文様のある織物)を発明した織屋がいたことが由来だそうです。この紋屋町には、現在でも残る唯一の織元「三上家」路地があることで有名です。かつては職人たちが住んでいた長屋が築130年の歴史を誇っており、そのレトロな佇まいから観光客が訪れることも多いとか。近年では陶芸家や写真家の住居や、はちみつ専門店が並ぶなど独特の空間を形成しています。

三上家路地(智恵光院通五辻上ル紋屋町)
一番奥の三上家を軸に長屋がコの字型に形成されていた。
手織ミュージアム 織成舘(浄福寺通上立売上ル大黒町)
町家には石畳が映える。西陣では他に上七軒にも石畳が敷かれている。

西陣は伝え続けるべき先人の遺産

さて、かつては一大産業として隆盛を誇った西陣織にも、昭和の後期になると黄昏の時が忍び寄ります。私が現役宅配ドライバーであった30年近く前と比べると、西陣の地から織物関係の看板がずいぶんと少なくなったのは寂しい思いがします。もちろん産業に栄枯盛衰はつきもので仕方のないことです。しかし、文化は違います。文化は流行り廃れではなく、伝えるべきもの、遺すべきものです。

「上京区を代表するものが御所と西陣だとするなら、それはまさに京都の表徴である。上京は京都の町の典型であり、文化の原点であると言っても過言ではない」(京都市上京区ホームページより引用)と記されている通り、西陣織、そして西陣の町並みは京都の文化そのものであり財産だといってよいでしょう。不易流行、いつまでも変わらない本質的なものを大切にしながら、新しい変化も取りいれることを意味します。京都のあるべき姿を端的に表すコトバであり、西陣にはその「本質」があると思います。世の中は考えられないスピードで変化し、人々の暮らし方や働き方も大きく変わりました。しかし、京都人に不易流行の心持ちがある限り、西陣は守るべきもの、伝えるべきものとして、これからも京都の真ん中にあり続けることでしょう。

〈参考文献〉
京都の地名由来辞典/源城政好・下坂守
京都の大路小路/森谷尅久
京都を楽しむ地名・歴史事典/森谷尅久
謎解き京都/読売新聞大阪本社編集局
西陣織工業組合オフィシャルサイト
上京区精密住宅地図/京都吉田地図株式会社
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この記事を書いたライター

祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。

日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」

サンケイデザイン㈱専務取締役

|八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員|戦国/西陣/祇園祭/紅葉/パン/スタバ