明智藪

光秀最後の地と伝えられる、小栗栖(京都市伏見区)の住宅街の一角に立つ明智藪の碑。
光秀は、坂本城へ敗走中に農民の落武者狩りに落命したとされる。

光秀最期の地と伝えられる明智藪の碑

光秀最期の地と伝えられる明智藪の碑

小来栖(京都市伏見区)の住宅地の一角に建つ。光秀は、坂本城に敗走中に農民の落武者狩りにあって落命した。

光秀の首塚

柳がゆれ、連なる町家の白川のほとりに首塚がある。三条白川下ル東側に「餅寅」が目印で、この筋に曲がって細い路地を入った所にある。永らく風雨に晒された五輪塔墓があり、塚の敷地内には「光秀公」の変額がかかった小さな祠。その奥には光秀の木像が鎮座している。初夏には桔梗が咲き乱れる。首塚は、江戸時代から250年間代々守ってきた和菓子屋「餅寅」の女将である。名物は桔梗紋の焼き印が入った「光秀饅頭」であり、絶品である。

光秀を祀る小さな祠と手前右側の光秀の五輪塔墓

光秀を祀る小さな祠と手前右側の光秀の五輪塔墓

紫と白の桔梗が咲き乱れていた
三条白川下ル東側(京都市東山区)

光秀の胴塚

明智藪の近くの伏見区勧修寺御所内町に碑がある。光秀の遺体(胴体)が埋葬されたと伝えられている。

明智光秀胴塚(京都市伏見区)

明智光秀胴塚(京都市伏見区)

光秀の胴が埋葬されたという

その他

妙心寺 明智風呂(浴室)

スチーム風呂 縁者が、汚名をきれいに洗い流す為に、お墓代わりに建てたともいわれている。本堂に明智光秀公の位牌が祀られている。
 
 

南禅寺塔頭 金地院 明智門

明智光秀の母の菩提を弔うために建てた大徳寺の唐門を明治に移築した。
 
 

蘆山寺 明智光秀の念持仏 地蔵菩薩像

信長の焼き討ちから光秀が蘆山寺を守った。
 

 

Twitter Facebook

この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

記事一覧
  

関連するキーワード

橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

|自称まちの歴史愛好家|北野天満宮/今宮神社/千本通/明智光秀/怖い話

アクセスランキング

人気のある記事ランキング