大豊神社について
狛ねずみの社と呼ばれていますが本殿には少彦名命(すくなひこなのみこと)、菅原道真公、応神天皇をお祀りしております。
少彦名命は大国主命と一緒に日本の国造りをされた神様として知られ医薬の神様とも言われています。
どうして医薬の神様なのかはのちほどお話しさせていただきたいと思いますが、そもそも大豊神社の創建は887年に宇多天皇の御脳平癒を祈願し、当時の尚侍(女官のトップ)であった藤原淑子が建てたことに起源がございます。
そのご本殿よりも有名になったのが境内にいくつもある末社でございます。
特に有名になったのが境内末社の大国社の狛犬ならぬ狛ねずみです。
12年に一度の子年には前年秋からマスコミの取材がたくさん来られ、初詣では長蛇の列ができてしまいます。
全国的にも狛ねずみがいる神社は珍しく、なぜ医薬の神様をお祀りする神社の末社にねずみがいるのか不思議に思われるようです。
ねずみと大国主命
少彦名命とともに国造りをされた大国主命は祇園祭で有名な素戔嗚尊(スサノヲノミコト)八坂神社の主祭神)の孫とも六代あとの子孫ともいわれています。
大国主命も2回亡くなり2回蘇ったといわれていますのでこのあたりの解釈の幅が日本神話の面白いところです。
その大国主命はあろうことか素戔嗚尊の娘のスセリヒメに恋をします。
素戔嗚尊は娘の愛するあまり、また娘に求婚する男は一体どんな奴なのかを試すためにムカデの部屋に閉じ込めたり様々な試練を大国主命に与えます。
ある時、素戔嗚尊は自らが野に放った矢を取りに行くように大国主命に命じます。
それを取りに行った大国主命のまわりに素戔嗚尊は火を放ちます。
この大国主命の窮地を救ったのがねずみでした。
ねずみが大国主命に呟きます。
「外はすぶすぶ、中はほらほら」。
つまり洞穴に逃げ口があるということでした。
大国主命が試しに地を強く踏んでみると足元に穴があいており、その中に隠れて火をやり過ごし、さらに穴から出てみると素戔嗚尊が放った矢をねずみが持って待っていたと言われています。
こうして大国主命は素戔嗚尊の許しを得てスセリヒメと結ばれたとのことです。
狛ねずみ~ねずみについて言われていること
古代の遺跡からねずみも発掘されるように、古来よりねずみは人間の生活にたいへん近いところにいました。
また利口で義理堅い生き物だと言われています。
ねずみ同士においてAというねずみがBというねずみに餌を分けてあげたとすると、BはAに恩義を感じて次に餌を得たときにAに分け与えようという習性があるといいます。
また災害を予知してねずみが集団で移動したりする話にもあるように、たいへん利口な生き物でもあります。
日本の昔話でも勤勉なねずみが登場したりしますが、このようなねずみの特性は生物学的にも研究が進んでいるようで、ねずみは繁殖能力が高く、共同生活を重んじること、ご縁を大切にすることから縁結びの縁起物と言われるようになったようです。
実は日本だけでなくヨーロッパでもねずみは縁起のよい生き物と考えられており、結婚祝いにねずみのマスコットなどを贈る習慣があるようです。
ねずみの繁殖力の強さや、長い歴史の中での人間とのかかわりの深さが結婚祝いにふさわしい縁起物と考えられたのではないでしょうか。
ミッキーマウスが世界で愛されるキャラクターになっているのも興味深いと思っています。
狛鳶・狛猿・狛蛇~蛇について言われていること
大豊神社にはそのほかにも末社がございまして狛鳶や狛猿もおられます。
天狗伝説のある愛宕社には狛鳶がおられます。
天狗といっても鼻の高い天狗ではなく羽の生えた天狗です。
その天狗が大空を飛ぶ鳶に習合され高いところ(山)を守る象徴と考えられたのだと思います。
また日吉社には狛猿がおられます。
これはよく魔去る(猿)と言われるところです。
そして狛蛇もおられます。
蛇は治病健康長寿、すなわち不老不死の象徴です。
へびが何度も脱皮を繰り返しながら成長し、自らの傷も脱皮とともに直してしまうことからそう言われています。
救急車のマークに蛇が使われている自治体もありますし、何よりWHO(世界保健機構)のマークにも蛇が使われているのが蛇が治病健康のシンボルである証です。
だから医薬の神様である少彦名命を祀る大豊神社に狛へびがおられるのです。
そしてへびは金運の神様でもあります。
漢字の川という字は3匹の蛇に見えます。
川は水、水は穀物の豊作の源、その豊作から金運につながっていると言われています。
大豊神社は縁結び、子授け安産、学業成就、治病健康のご利益を掲げていますが、ここに魔去ると豊作金運が加わり、人生と子孫繁栄の循環をお守りするお社であると言えると思います。
神社の宣伝ぽくなってしまいましたが天敵であるはずのねずみと蛇が同じ境内にいること自体がおもしろいと思われませんか。
神様と仏様の世界の大豊神社
大国社の大国主命は、神仏習合の考え方からすれば大黒天と同一神でもあります。
そういう意味でこの打ち出の小槌に乗ったねずみの置物はかなり面白い貴重なものだと思います。
また伊予風土記では少彦名命が病を患ったときに、大国主命が海(豊後水道)をわたって別府から愛媛に温泉を引いて少彦名命を癒したと言われています。
これが後の道後温泉になったということで、少彦名命は温泉の神様ともいわれています。
また少彦名命は小柄であったことから一寸法師のモデルとも言われています。
九州から四国まで海を渡って温泉をひくのも壮大な話ですが、温泉を引いてきた大国主命ではなく湯治をした少彦名命の方が温泉の神様になっているところが面白いですね。
そしてその少彦名命が一寸法師であることなど、神話の世界は1+1が2にならないところが奥深いですね。