1.6kmの正面通にはエピソードがぎっしり!

正面通といっても地元の方以外はご存じないかもしれません。なにしろ東は大和大路通から西は千本通の手前までの全長1.6kmの短い道ですから。しかも途中3回も行き止まりで分断されています。でも、この1.6kmにはエピソードがぎっしり詰まっています。

まずもってギモンなのが、いったい何に対しての正面なのでしょうか。
 

 

神さまと仏さまにむかって…

文献をひもとくと2つの説に行きあたりました。
その2つともある人物と深い関わりのある神社と寺でした。その人物の名は太閤・豊臣秀吉、神社は豊国神社、お寺は方広寺です。

秀吉は死後、豊国大明神の名で神として祀られました。その神様にむかって正面の道だから正面通というわけです。

もう一つは豊国神社の北隣にある方広寺大仏殿に対しての正面という説です。この大仏殿は秀吉によって創建され、奈良東大寺の大仏のなんと3倍の大きさだったそうです。秀吉の財力がなせる業といえますね。

しかし、この大仏殿は開眼供養を前に大地震で倒壊してしまいます。国と民を護るべき大仏が倒れるとは何事だと怒った秀吉は倒れた大仏の眉間にむかって矢を放ったそうです。笑い話のようですが、自身を仏以上の存在であると思った秀吉晩年のゴーマンぶりの表れともいえます。
 
 

あなたは自分の悪口を放置できますか?

さて、この秀吉によって造営された方広寺は皮肉にも豊臣家滅亡へのキッカケとなってしまいます。秀吉の死後、その息子・豊臣秀頼が再建した方広寺には日本で三本の指に入るといわれる巨大な鐘がありました。しかし、この鐘に刻まれた文字がとんでもない事件を引き起こします。

その文字とは「国家安康 君臣豊楽」の8つの漢字です。
国家安康=家康の名前を分断=家康を呪い殺そうとするもの、君臣豊楽=豊臣を主君として楽しむもの、という超絶強引なこじつけでイチャモンをつけた徳川家康は、某北●鮮国委員長もビックリの強権っぷりを発揮し、本当に戦争を仕掛け豊臣家を滅亡に追い込みます。

豊臣家の滅亡そのものは、時代の流れで仕方ないとも思うのですが、そのやり口があまりにもエゲツない。なにがエグいかって、家康が激怒したといわれる「国家安康君臣豊楽」の8文字は現在も残されたままっていうことです。

たとえばの話、もし町内の掲示板にあなたの悪口が書かれたら、書いた人に抗議するとともに、その悪口を消すように求めますよね。犯人をつきとめ町内から追放したけど掲示板の悪口はそのまま、なんてことはしないですよね。

でも、家康は犯人の追及ばかりで、悪口自体はそのまま放置状態。つまり、家康は文言自体には何も怒っていなかったのです。ただただ、ケンカをふっかけるキッカケの粗探しをしていただけです。

目が合っただけで「なにメンチきってんねん!」という懐かしのセリフを吐くヤンキー中学生と大して変わりません。豊臣家滅亡という歴史に残る大事件が、子どものケンカレベルであった証が残されているのが方広寺なのです。

京都タワーの穴場スポット

さて、その方広寺を起点に正面通を西進すると、名勝・渉成園(枳殻邸)でいったん行き止まりになります。

「枳殻邸」とは、はてさて何と読むのでしょう?正解は「キコクテイ」です。造園当時、枳殻(からたち…ミカン科の植物)を生垣として植えたことから付けられた別称です。
 
渉成園は東本願寺の別邸として徳川家光から与えられたものですが、平安時代前期には左大臣・源融の別荘「六条河原院」であったという説があります。この源融は『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルではないかとも云われ、枳殻邸は源氏物語ゆかりの地としても知られています。

この枳殻邸の一番の見どころは、庭園から望む京都タワーです。池に映るタワーを見られるのはおそらくここだけでしょう。京都タワーの穴場スポットといえますね。

さて、この枳殻邸と東本願寺の間の道は中数珠屋町通ともよび、北の上数珠屋町通、南の下数珠屋町通の3本の通りをまとめて「東本願寺前三筋」とよばれています。その名のとおり数珠屋さんや法衣店が立ち並ぶ門前通りとしての風情を残しています。

また、東本願寺から西本願寺に至る道は本願寺への敬意として「御前通」とも呼ばれます。こうして両本願寺を貫いた後、京都市中央卸売市場で正面通はフィニッシュします。

いかがでしたか。神さま仏さまと正面から向きあう正面通には、豊臣家と徳川家、光源氏、大仏殿に枳殻邸、本願寺など、多彩なキャラと建造物が凝縮しています。正面通散策は、京都らしさが満喫できるお手軽コースかもしれませんね。
(KLK編集部)

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