信長を倒した光秀の心中は「エライコトやってもーた。どないしよ?」ではないかというのが、編集部の解釈でした。そう、彼の「しでかしたこと」はうまくやれば天下をモノにすることができる反面、秀吉をはじめとした織田家の重臣たちからは命を狙われるという立場に自らを追い込んだのでした。シリーズ最終回は「本能寺の変」後の光秀の行動を、その心中を推しはかりながら追ってみたいと思います。なお、例によって光秀の心境は編集部やぶにらみ解釈であることを注記いたします。

 

戦略なき光秀の迷走

さて、ここは本能寺焼け跡前。光秀と重臣たちの密談が始まっています。どうやら今後の作戦会議のようです。重臣たちは光秀がこの後どうしようと思っているのか、固唾をのんで見守っています。なにしろ信長襲撃を打ち明けられたのは昨晩です。詳しいことは何も聞いていません。しかし、光秀は沈黙を保ったままじっと目を開けようとしません。シビレをきらした重臣Aが上目遣いに光秀に尋ねます。

重臣A 「殿、そろそろご存念をお聞かせくださいませ」
光秀 「ボソボソ・・・」
重臣B 「は?何とおっしゃいましたか?」
光秀 「のーぷらん・・・」
重臣C 「恐れながら、それがし耳が遠うございまして。今一度お願いできませぬか」
光秀 「ノープランじゃ」
重臣D 「はっはっはっ、この一大事に我らの心を和まそうとお戯れとは、さすがは我らが殿。ま、それはさておき、まずは朝廷に献金をなさいますか。それとも信長の居城である安土城を占拠しますか」
光秀 「だーかーら!ノープランつってんだよ!ノーといったらノー。ナッシングだ、コノヤロー」
みんな「殿!ご乱心あそばしたか!!」

ま、ここまでヒドくはないと思いますが十分な準備もないまま、いきあたりばったりな作戦で進む明智軍団。信長本拠の安土城を乗っとろうにも、城へつながる橋が壊されたらしく中に入れません。味方になってくれると信じていた盟友の細川藤孝や筒井順慶など各地の大名たちに連絡するも「明智軍の大勝利、誠にめでたい。このうえは我らも光秀殿とともに戦い、新しい時代を切り開こうではないか!…という気がしないでもない今日このごろ…」みたいな玉虫色の返事をする者、「ごめん、ちょっと風邪をひいちゃってね、ゴホゴホッ」とバレバレの仮病でお茶を濁す者、中には「ただいま居留守中」と今でいう既読スルーをする者など、誰一人味方になってくれません。することなすこと裏目裏目の光秀に、追い打ちをかける驚きの一報が入ります。



光秀生涯最大の誤算

「殿!一大事にござりまする。サルめが京を目指して進軍中とのことです。しかも一行の総勢は4万なり!」
サル…そう羽柴秀吉、後の豊臣秀吉です。遠く備中の国(岡山県西部)で大敵毛利と向きあったまま身動きとれないはずの秀吉が、天下取り絶好のチャンスとばかりにやってくるのです。今、光秀を倒せば信長の敵討ちを果たした者として大きな顔ができ、場合によっては天下を手にするのも夢ではありません。言ってみれば光秀は賞金首のようなもの。しかも賞金は億単位。機をみるに敏な秀吉がこのチャンスを逃すわけがありません。光秀最大の誤算は秀吉が常識外のスピードで京都に戻ってきたことでした。一説には一日で55kmも走破したともいわれています。

「ありえへん・・・」

光秀、精いっぱいの力で絞り出した声なのでした。

光秀vs秀吉の戦いは、大阪と京都の境にある山崎(現在の長岡京市内)で口火を切りました。はじめは両軍一進一退の攻防が続きましたが、次第に兵力士気ともに劣る光秀軍が押され、ついには秀吉軍の圧勝に終わります。これを「山崎の戦い」といいます。なぜ、山崎の地が戦場となったのか、もちろん戦術的な意味あいが大きいとは思いますが、光秀の京都への想いから洛中での戦闘を避けたのではないかと私は考えます。これについては改めて述べたいと思います。
 

非業の最期

本能寺の変からわずか11日後の6月13日。秀吉にコテンパンにやられた明智勢は散り散りバラバラになり、16,000人いたはずの軍勢も今や10数名が光秀の供をするばかりに。それでもなんとか本拠の近江坂本まで逃げのびようと敗走の途につきます。
「うー、こんなはずではなかった。てゆうか、なんであんなことしてしもんたやろ…」あんなこととは言うまでもなく本能寺の変。一時の気の迷いで起こした行動に後悔アリアリの光秀。と、そのとき竹藪から飛び出し竹槍が光秀を突き刺しました。戦場の近辺には「落ち武者狩り」といって、負け組の武将たちの首をとって手柄にする者、ヨロイや武器を奪って売り飛ばす者など、血も涙もない農民たちが待ちかまえているのが戦国の常でした。光秀はその落ち武者狩りにあい、あっけない最期を遂げます。

氏素性のしれない生い立ちから、信長との出会いによってジェットコースターのように乱高下した人生を歩んだ光秀。その生涯の幕はやはり氏素性のしれぬ農民雑兵によって閉じられたのでした。その地は現在の京都市伏見区小栗栖にあり「明智藪」と呼ばれています。

いかがでしたか。あらためて光秀の生涯をふり返ると、本能寺の変までの光秀はハイスペック男子としての才能を余すところなく発揮し大出世をとげました。しかし、その功績も天下を握った秀吉によって塗りつぶされてしまいます。功績や才能だけでなく、人柄や数々のエピソードも葬られ「裏切者・光秀」のレッテルだけが残されました。そんな光秀の真の姿を世に知らしめようと、亀岡市や福知山市、岐阜県など光秀にまつわる各地の関係者の努力が実り「麒麟がくる」のドラマ化が決定したわけです。間違いなくこれまでとは一味も二味も違う明智光秀像が描かれることでしょう。ドラマが本格化するこれからが楽しみですね。


さて、これにて全5回にわたる「明智光秀がサクッとわかるシリーズ」が完結しました。次回はシリーズエピローグとして、本編ではとりあげられなかったいくつかのエピソードについてご紹介したいと思います。


(編集部/吉川哲史)

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この記事を書いたKLKライター

八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員
吉川 哲史

祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。

日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」

サンケイデザイン㈱専務取締役

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