先日、知人との雑談で「昔はよく寺町で買い物をした」という話をすると「えっ、吉川さんってオタクだったんですか?」と言われてしまいました。その知人は平成生まれ。私のように昭和を謳歌した世代にとって寺町で買い物といえば「四条寺町の電気屋さんに行く」ことを意味したのですが…。オタクと間違えられたこと以上にジェネレーションギャップにショックを受けたのでした。
寺町通の特色
寺町通は豊臣秀吉が京都を大改造した際に、この通りに寺院を集中させたことから、寺が連なる通り→「寺町通」と名付けられました。寺町通は大まかに4つのゾーンに分けられ、場所によってそれぞれ異なる特色を見せています。
・鞍馬口通~丸太町通
閑静な住宅街にお寺が連なっています。特に今出川以北は「○○寺前町」と寺の字がつく町名が多く、もっとも寺町通らしいストリートといえます。
・丸太町通~御池通
古美術的な店が多くレトロな風景が見られます。梶井基次郎の「檸檬」に出てくる果物屋さんもこの地にありました。
・御池通~四条通
アーケード街として最も賑やかなゾーンです。修学旅行生をはじめ観光客のお買いものスポットとして有名です。
ここまでご紹介した鞍馬口通から四条通までの間は、この半世紀近くは、その様が大きく変わることがなかったと思います(おそらく)。しかし四条通から南のエリアは、ときに小刻みに、ときに大きくその姿を変えてきました。
寺町電気街の移りかわり
いつの頃からか寺町通の四条~高辻間には電気街としてのイメージが出来あがっていました。最初はいわゆる小売店が集中する地域といった趣だったのですが、次第に無線ラジオなどマニアックな電子部品を扱う店が増えはじめます。
1980年代に入ると大型量販店の進出とともに、パソコン系ショップが見られるようになります。パソコンといっても昭和のそれは「マニアが使う機械」とみなされ、今からは信じられないでしょうが、データのセーブをカセットテープで数十分もかけるような時代でした。
その後ファミコンが発売されると、ゲームショップが続々と立ちならび、子どもたちが通うようになります。今もある駄菓子屋さんは、その頃の名残りでしょうか?子どもが増えるとともにアニメ・マンガなどのコアなファンが集うオタク街としての顔が見えだしたのもこの頃からかもしれません。
そして時代は平成に入り1990年代半ばになると、windows95の発売とインターネットの爆発的普及により、パソコンが一般の人にとって身近なアイテムとなります。寺町電気街がもっとも賑わったのもこの頃だったように思います。
伝説の高橋電気
さて、寺町電気街を語るうえで避けては通れないのが、オールドファンには懐かしい高橋電気店でしょう。寺町電気街最盛期の80年代~90年代初頭において同店は他とは異なるポジションをとり、とにかく値段だけなら絶対的存在でした。ただし、この「だけ」というのがクセモノです。
ここからはしばし、私の思い出話にお付きあいください。
当時はSONYやAKAIのカセットデッキ、BOSEのスピーカーなど、高価なオーディオ機器は若者の憧れでした。私もカセットデッキ(メーカー希望小売価格80,000円相当)を買おうと寺町電気街に突撃したところ、大手の二ノミヤムセンが67,000円、タニヤマ無線が68,000円を提示。そんなものかと思っていると、赤い看板に「安」という文字がひときわ目を惹く高橋電気の看板が視界に入りました。ほとんどの電気屋さんがお客の購買心理をくすぐる派手なPOPや、デモ音源を大音量で流しているのに対して高橋電気は異彩を放っていました。商品の陳列もほとんどなく、店じまいか?と思わせるような殺風景かつ薄暗い店内。おそるおそる「すいませ~ん」と声をかけると、店の奥からジャンパー姿の兄ちゃんが迷惑そうな表情とともに登場。髪の毛が肩まで伸びた頭をボリボリ掻きながら無表情かつ抑揚のない声で「ソニーの〇〇〇〇(型番)ね…(電卓を叩きながら)ウチは62,600円やね」と商売っけなく言い放ってまた店の奥に消えてゆく。「うちより安い店はないと思うけど、買う気があるなら売ってあげるよ」的な割り切り感が妙に潔かったのが印象的でした。そんな高橋電気でのやりとりも含めて、みんな寺町での買い物を楽しんでいました。
※価格の相場は当時の記憶です
その高橋電気の一族が経営している医院がKLK編集部のご近所にありました。その名も高橋医院。インフルエンザの予防接種くらいしかお世話になっていませんが、その接客(?)態度には電気店と相通じるものを感じずにいられませんでした。
忍び寄る時代の波
と、ここまで大小の波はあったものの、電気街としてのイメージは変わることなく続いていたのですが、2000年代半ばあたりから京都駅近辺の再開発にともなって大型量販店が駅前に移転し始めます。さらにアマゾンをはじめとしたネット通販の台頭と、価格.comなどネット上で価格比較がカンタンにできるサービスが増え、電気店が連なる意味が希薄になります。昔ながらの小売店はもとより、家電量販店ですら経営が苦しくなり、寺町から撤退する店が増えだします。
決定的だったのが2009年のJ&Pの閉店と、最大の大型店であったタニヤマ無線がエディオン傘下となったことでした。そして、いつの間にやらいわゆるオタク系の店が増え始めます。現在ではスーパーなど生活系のお店が増えるとともにスイーツやカフェも出店し、電気街としての色はすっかり失われてしまいました。
実際に寺町を歩いてみた。
せっかくなので、業種ごとの店舗数をチェックしながら、四条~高辻を往復してみました。一番多かったのは飲食店で15。残念ながら「電気」と名のつく店は4つしか数えられませんでした。他には寺町通らしく寺社が7、仏壇仏具茶道具店が4、このあたりは納得です。意外だったのは理美容室が4、そして整体系の医院やマッサージ店が7を数えたことです。オタク街といわれて久しいですが、彼らは身体的癒しも求めているのでしょうか。そのオタク系の店は意外にも2。しかし、信長書店のビルは「信長TOYs」と名をあらため、1F~5Fまでアダルトやコスチューム、アニメなどオタクの総本山ともいえる存在感を放っていました。
あと個人的には国友銃砲火薬店。花火やライフルの火薬がメイン商品なのですが、昔はトランシーバーも扱っていました。当時の私はイベントの仕事が多く、大量のトランシーバーが必要になると、国友さんに相談にいったものでした。あとはやっぱりライブハウスの都雅都雅ですね。電気屋さん以上に懐かしいと思う方も多いでしょう。
いかがでしたか。寺町通は他の通りより比較的、変化の少ないストリートだと思いますが、この四条~高辻間だけは、時代の流れを鏡のように映しだしていることを実感しました。
ダーウィンの進化論によれば、変化に対応できないものは生き残れないそうです。ではあるものの、京都では「家具の街・夷川通」とともに明確な特色のある商店街が姿を変えていることに、一抹の寂しさを感じてしまうの私だけではないでしょう。
(編集部 吉川哲史)