
どっちが正解?堀川今出川or今出川堀川 西陣上ル下ル
このあいだ、烏丸夷川あたりを歩いていると外国人観光客と思しき方から、
「スミマセ~ン、ゴショハドコデスカ?」
と尋ねられました。英語がニガテな私ですが、日本語で話されたので安心して
「このまま200mほどあがっていけば御所ですよ」
と言いました。すると、その外国人の方は
「アガル・・・?UP・・・?」
と言ったあと、肩をすくめながら両方の手のひらを上にかざして
「OH NO!」
といわんばかりの落胆の表情をされました。
おそらく「あがって」を「上へ」つまり「空に向かえ」と解釈されたのでしょう。そら「どないせいっちゅうねん?!」となりますよね。相手の流ちょうな日本語につられて、ついつい京都流の「上ル下ル」で方向を示してしまった私が悪うございました。あわてて訂正しようとしたのですが、そのとき彼はすでに別の人に聞きにいってました・・・。とんだオモテナシをしてしまったわけですが、今回はこの京都独特のいいまわし「上ル下ル」について深堀りしてみたいと思います。
場所を表わす京都の公式。
京都市街は碁盤の目にたとえられるように、南北の通りと東西の通りによる交差点が無数にあります。その原型は平安京を造る際、中国の都市計画にならったことにあり、これを条坊制といいました。この交差点を基点に、北へ行くことを、上ル(あがる)といい、南に行くことは下ル(さがる)、東西は東入(ひがしいる)、西入(にしいる)といいます。京都人でも上ルを「のぼる」、下ルを「くだる」という人がいますが、それ間違いなんでこの機会に覚えといてくださいね。では、なぜ南北に行くことをわざわざ「上ル下ル」すなわちUpDownで表現するのか。そこにはやはり京都ならではの理由があったのでした。
平安時代、すなわち平安京では天皇が住まわれる内裏(御所)が北に位置していました。そのため北に向かうことは=天皇に向かうことを意味するので「上ル」といい、逆に南に向かう=天皇から遠ざかることを「下ル」といったことが語源とされています。昔は京都に行くことを「上洛」といいましたが、その「上」も同じ意味ですね。それとは別に「京都は北の方が標高が高い位置にあるから」という説も根強く残っていますが…。
ここまで見たように京都、特に上京区・中京区・下京区では、地点(住所)を表わすときに通り名を用い「通り名 × 通り名 + 方角(東西南北)」が公式となっています。
たとえば「烏丸丸太町上ル」といえば、烏丸通と丸太町通の交差点を北に行くことを指し「そこに行けば御所がありますよ」ということが、冒頭の外国人との会話で私が言いたかったことです。
2つの通り、どっちを先にいうの?
そこで問題になるのが交差する2つの通りの並べ方、つまりどちらの通りを先にいうかです。実はこれ、けっこう難問です。ひと言でいえばケースバイケース。とはいえ、いちおうの法則はあります。上京区の通りを例に見ていきましょう。ちなみに上京区を例にしたのは、住所を「上ル下ル」で表わしている率が上・中・下京区でもっとも高いのでは?という編集部体感値によるものです。
法則その① 南北の通りが先
「堀川今出川」「烏丸丸太町」「千本中立売」など道路標識の表示は、このパターンが一般的とされています。
地図で見れば南北がタテなので、縦の通りを優先したのでしょうかね。
法則その② 主要な通りを優先
しかし、法則①に当てはまらないケースもけっこうあります。たとえば「今出川新町」の交差点標識です。法則①にのっとるなら南北の通りである新町を先にして「新町今出川」となるはずが、逆になっています。これは道路の幅が「今出川通 > 新町通」という関係から、法則①よりも道路のメジャー感を優先させたということでしょう。


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「西陣がわかれば日本がわかる」という大胆な著書を上梓した京都と西陣をこよなく愛する生粋の京都人。
日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を取得した目的は、難解な都市・京都をわかりやすく伝えるためだとか。
地元広告代理店での勤務経験を活かし、JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、企業向けの広告講座、オンラインイベント「ひみつの京都案内」などのゲスト講師に招かれることも。
得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。自称・元敏腕宅配ドライバーとして、上京区の大路小路を知り尽くす。夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。
サンケイデザイン㈱専務取締役
|八坂神社中御座 三若神輿会 幹事|戦国/西陣/祇園祭/紅葉/パン/スタバ
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