童謡 通りゃんせ
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お礼を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも 通りゃんせ
通りゃんせ
天神様とは菅原道真公をさす。何と怖くて恐ろしいわらべうたなのかと?。青信号のメロディーでもよく使われているので、つい口ずさんでしまうが、歌詞の解釈を巡ってミステリーな点が多く、ある種不気味といえる独特な雰囲気の童謡の一つだ。
受験前には神頼みで筆者も親に連れられてお願いをしに行った記憶があるし、我が子の受験や、孫たちにも小さい時から「天神さん」にお参りに行こうと言ってきた。全国から多くの受験者が合格祈願に訪れ、願いを絵馬に書いて奉納している。
全国約1万2000社の天満宮 天神社の総本社であり、祭神は、菅原道真(845~903)である。御神木は松と梅で、撫牛が参道に多くある。境内に奉納された石灯籠と吊り灯籠がずらっと立ちならぶのは、人々の神徳の証である。
「雨降り弘法、日和天神」。昔から京都にはこんな言い伝えがある。東寺が21日、北野天満宮が25日、毎月の縁日のそれぞれの市は「弘法さん」「天神さん」と呼ばれる。「弘法さん」が雨なら、「天神さん」は晴れるという意味である。
菅原道真公を襲った悲劇
昌泰4年(901年)1月25日 菅原道真公を襲った悲劇とは? 何だったのであろうか?
境内東側にある「宝物殿」には、10メートル全9巻の北野天神縁起絵巻 承久本(国宝)があり、これには道真の生涯が描かれている。菅公は学者の家系に生まれ、幼少より詩歌に長けていた。その才能は、政治にも発揮され右大臣に任命される。並ぶ左大臣は藤原時平であり藤原氏が独占していた政務を朝廷は次第に道真公に任せるようになった。
時平は危機感を持ち、道真公を排除するために時の醍醐天皇に道真が謀反を企んでいると告げ口をした。1月25日、菅公は太宰府に左遷を言い渡された。道真にとって晴天の霹靂だったに違いない。無実を天皇に訴えたが、2年後 延喜3年(903年)太宰府で没した。
すると都では天変地異 貴族の死・疫病・洪水・干ばつが起こった。そして、藤原時平も没した。都の人々は菅公様(菅原道真)のなせるわざとうわさした。御所にも落雷があり多くの死傷者が出、醍醐天皇も崩御された。そこで天徳3年(959年)右大臣藤原師輔は菅公様(菅原道真)の御霊を鎮め、都を守護する神として 北野天満宮を創建した。その御霊を天満天神さんとしてお祀りしたのである。
左遷される前に梅の花をみて菅公様が詠んだ「東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ※」は有名である。本殿前には今でも梅の木を大切に守っている。境内では梅が多く植えられ、今でも2月の梅花祭や正月の大福茶など、菅公様と梅の結びつきが大切にされている。 ※(「春を忘るな」という説もある)
北野さん(北野天満宮の親しみを込めた呼称)の見どころのかずかず
1.狛犬
表参道入口では見上げるばかりの体長2ⅿもの狛犬が迎えてくれる。近畿一円での最大級の青銅製である。台座には、日本画家・竹内栖鳳の梅の絵も描かれている。原図が宝物殿で見られる。境内には十二対の狛犬が設置されており、表情もバラエティに富んでいる。
2.影向松(ようごうのまつ)
一ノ鳥居(大鳥居)をくぐった右手にあり、石の玉垣が巡らされている。初雪が降ると天神さまが降臨され、雪を愛でながら詩を詠まれるという伝説がある。
その日に初雪祭が行われる。
3.露の五郎の顕彰碑
昔、露の五郎兵衛という人がこの地で自作の笑い話を口演、都の名物男といわれ、日本の落語家第一号となった。
その偉業をたたえ、遺徳に感謝し顕彰碑が建てられている。
4.太閤井戸と北野大茶湯之址の石碑
天正15年(1587年)境内で豊臣秀吉が大規模な野点形式の茶会を催した。大勢の参加者が駆けつけ、戦国大名の大半も参加した。
使用された太閤井戸が今でも保存されている。
5.右近馬場
一の鳥居の東を走る南北一筋の馬場を言う。ここは、日本最初の競馬場である。古代から遊猟で知られ、平安時代には大宮人の遊宴の地であった。
出雲阿国が慶長8年(1603年)、はじめて歌舞伎踊りを披露したとも言われている。
北野さんの南東の警察敷地は北野右近馬場城跡と言われている。
6.伴氏社 道真公の母君
道真公の母君が大伴氏の出身であり、伴氏社と言う。暖かい愛情と厳しさで菅公を優秀な青年官吏に育て上げた母君を祀る。神前の石鳥居の台座には珍しい連弁が見られる。
大伴氏を供養する石造りの五輪塔が、南隣の東向観音寺にある。
明治維新の神仏分離政策により、ここに移された。
忌明塔ともいい、むかし父母をなくした人が49日喪に服し、忌明けの50日目にこの塔に詣る習慣があった。
7.楼門の扁額
楼門には「文道大祖・風月本主」の扁額が掲げられている。
菅公は「文道の大祖・風月の本主」と言われ、学問や芸能の神様であり、自然界の主であると讃えられている。牛は多くの信仰を集める菅原道真公のお使いである。
8.二の鳥居
新門辰五郎が寄進した石鳥居。
新門辰五郎は、江戸時代後期の町火消、とび職、香具師、浅草寺門番、侠客の元締め的存在であった。
石灯籠と松並木が並ぶ参道は、厳かな神道の雰囲気が漂う。
9.撫で牛
牛が菅原道真公のお使いとされるのは「菅原道真の墓所の位置は牛が決めた」「菅原道真が生まれたのは丑年」「菅原道真は牛車に乗って太宰府に行った」「牛が刺客から菅原道真を守った」などに由来している。
撫牛さんには、自分の悪い部分と牛の同じ部分を交互に撫でることによって、回復するという信仰がある。神牛像は20体ある。
母と子の像もあり、探すのも一興である。
10.筋違いに建立された本殿
一般的には神社の本殿は、楼門の正面に造営されている。北野天満宮が造営される前から、地元の氏神である地主神社があったことから、本殿は西側に逸らせて建てられている。
本殿の裏北東に地主神社がある。
11.星欠けの三光門
本殿の前にある中門。一般的には三光門には日・月・星が彫刻されているが、星が見当たらないので星欠けの三光門と言われている。
真北の北極星が輝いているので、彫刻されなかったとも言う。
彫刻に太陽と月は容易く見つけられる。しかし。上図の三日月もあるので、三つ目の図は星とも言える。
諸説ありなのか?
12.大黒天の燈籠
三光門前の東にあり、台座には大黒様が彫られている。大黒様の鼻に小石をのせて落ちなければ、お金に困らない。
落ちないことから、受験生に人気がある。
13.織部石灯籠
東廻廊の前に立つ。古田織部(安土桃山・江戸前期の武将、茶人織部流茶道の祖)創案の灯籠といわれ、下部正面にマリア像が刻まれている。別名、切支丹灯籠といわれている。
14.絵馬所
楼門を入った左手にある。
慶長年間の建造で、古い絵馬が奉納されている。
15.石燈籠
土蜘蛛を退治した渡辺綱が寄進した石燈籠。渡辺綱は平安時代中期の武将で、源頼光の四天王の一人。大江山の酒呑童子退治、一条戻り橋での鬼との戦いは特に有名である。
16.拝殿
拝殿は唐破風という桃山時代を象徴する多彩で絢爛な装飾が施されている。
拝殿前には、松と梅が植えられている。御神木の紅梅を飛梅と言い、今まで接ぎ木をして保存されてきた。