戦国時代の京都は、住みたくない街No.1?
また、町衆と呼ばれる裕福な商工業者たちが「自己責任」の名の通り自治的な社会を作りあげます。その典型が祇園祭です。応仁の乱で焼け野原と化したため、約30年間も中断していた祇園祭が復活できたのは、この町衆の力があればこそでした。特に1533年、祇園社が属していた延暦寺の圧力により、祇園祭の祭礼が中止に追い込まれましたが、町衆は「神事これ無くとも山鉾渡したし(神社の行事がなくても、山鉾巡行だけは行いたい)」という声明を出し、祭を存続させます。こうした町衆の熱意、そして西陣織などの織物技術があいまって絢爛豪華な山鉾巡行の原型ができあがりました。
このように戦国期の京都はとても住みにくい街ではありました。しかし、その一方で町衆を突き動かす何かが京都にはありました。彼ら町衆のエネルギーによって、京都に活気が戻りはじめます。そして、京都は次の時代への扉を開けるべく、稀代の風雲児・織田信長の登場を待つことになります。
(編集部/吉川哲史)
明智光秀シリーズ
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祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。
日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。
地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。
得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。
著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」
サンケイデザイン㈱専務取締役
|八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員|戦国/西陣/祇園祭/紅葉/パン/スタバ
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