ある鉄道会社の電車に乗っていたらそのまま他社の路線に入っていく「相互乗り入れ」は乗り換える必要がなく大変便利で,今では大都市圏では珍しくなくなりましたが,その走りのような事例が京都でもありました。「三条発奈良行」っと聞かれていかがですか。三条は京阪電車の三条駅です。奈良は近鉄電車の奈良駅です。今なら丹波橋駅で乗り換えて(それもそれぞれの改札口を通って)三条から奈良まで行くのですが,1945(昭20)年12月から20年余り 直通で行くことができる電車が走っていました。

四条京阪を1両で行く奈良電

四条京阪を1両で行く奈良電

(1952年 撮影:大西卓氏)

京阪電車はずーっと京阪電車ですが,近鉄京都線は前身の奈良電鉄(通称奈良電)が1914(昭3)年に,昭和のご大典に間に合わせるべく京都~西大寺間を開業した路線です。奈良電は当初は京阪の伏見桃山から京阪に乗り入れる計画もありましたがそれはかなわず現在の路線で開業します。そして戦争末期の1945(昭20)年,丹波橋駅の線路配置を図のように改良し,両社の電車が相互に乗り入れることができるようになりました。その背景には戦時中のことゆえ緊急時の車両の相互援助が目的でしたが、完成したのは終戦後の同年12月でした。また奈良電の丹波橋駅に相当する堀内駅は貨物用のホームとして残され、桃山御陵前駅とは単線で結ばれてました。ところで当時はレールなどの資材が不足した時代ですから,この一連の接続工事はもともと複線だった新京阪(現阪急)嵐山線を単線にし,そこから撤去したレールや機器類などを使って完成したものです。阪急嵐山線が今も単線なのはそのような理由があったのです。

技術的にも、そもそも両社のレールの幅(1435mm)と架線の電圧(直流600V)が同じなので実現したのです。信号のしくみも今のように各社ごとに独自のものが加味されたものでなく,信号機に従って運転すればよかった時代ですから線路がつながったら乗入れができたのです。
その結果奈良電は三条京阪-丹波橋-奈良間の直通電車を,京阪は奈良電京都-丹波橋-中書島-宇治間の直通電車を設定しました。つまり京阪の三条にも奈良電の電車がやってきましたし,奈良電の京都にも京阪の電車が入っていたのです。それぞれ乗り入れる列車の本数は限られていました。当時の時刻表にあるように三条~奈良間の急行は朝夕1時間に1本ずつでした。一方、京阪による京都~宇治も普通が1時間に1本ずつ走っていました。とりわけ京阪から奈良電への乗り入れは戦後の買い出し客などで混雑したようです。

1951年の時刻表より

1951年の時刻表より

その後近鉄は路線網の拡充を図るために系列会社の路線を合併していきます。奈良電も1963(昭38)年10月に近鉄に合併され,京阪と近鉄が相互乗り入れする形になります。高度経済成長とともに沿線が開発されて乗客が増え,列車の本数や編成両数も増えていくとこの丹波橋駅の線路配置では無理が生じてきました。あらためて線路の配線図を見てください。特に京阪の大阪方面行き電車と近鉄の京都・三条方面行き電車が平面で交差するためダイヤが乱れるとどちらかが待たねばなりません。また近鉄の電車が②③のホームに止まっているときは京阪は自社の電車同士で追抜きができません。さらには①から発車する京阪の三条行きと②から発車する近鉄の京都行きが同時に出発できないのもお判りでしょうか。こうしてこの線路配置は列車が増えればダイヤ編成上大きな制約になっていったのです。

一方で近鉄は電車の大型化や特急などの増発に対応するために京都線をはじめ奈良線や橿原線の架線電圧を1969(昭44)年に1500Vに昇圧することになり,そうなると技術的に乗入れができなくなります。このように様々な要因が重なって前年の1968年12月にこの相互乗り入れは取りやめになりました。
その後,現在のように京阪と近鉄の丹波橋駅は独立しますが両線の連絡線だった線路跡を今も垣間見ることができます。上の写真は近鉄桃山御陵前駅の京都側です。架線柱の幅が広いのがその名残で向かって左側に丹波橋駅への線路がありました。左手前の住宅の位置が線路があった位置で、北に向かって住宅が少しずつ位置を下げて並んでいます。同じことが京阪丹波橋駅のホーム端からも見て取れます。下の写真はすぐ南側の踏切付近ですが、右の線路はかつて奈良電に乗り入れる連絡線の位置にあたります。

なお,京阪も1983(昭58)年12月に1500Vに昇圧されます。それなら「今も京阪と近鉄が相互乗り入れしていたら便利なのに」とおっしゃる方がおられますが,現在の列車本数や編成の長さを考えるととても無理です。あの両駅を結ぶ約100mの連絡通路を頑張って歩いてください。もっとも京阪出町柳駅に京阪特急と近鉄特急「しまかぜ」が並ぶシーンを夢みるのもまた楽しいですが。

(2020.4)

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この記事を書いたKLKライター

鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長
島本 由紀

 
昭和30年京都市生まれ
京都市教育委員会学校指導課参与
鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

子どもの頃から鉄道が大好き。
もともと中学校社会科教員ということもあり鉄道を切り口にした地域史や鉄道文化を広めたいと思い、市民向けの講演などにも取り組んでいる。
 

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