新緑が美しい季節になり,近くの山に出かけたい気持ちですが,昨今のコロナ禍でそれもままならない日々です。ところでその山に気軽に登れる手段にケーブルカーがありますが,今回はそのケーブルカー,とりわけすれ違うしくみを京都洛北の2つのケーブルカーを通してお話ししましょう。ちなみにケーブルカーもレールの上を動くので鉄道の仲間です。

叡山ケーブル

左京区の八瀬から比叡山に上るのに「叡山ケーブル」があります。京都在住の人なら1度や2度は乗られたことがあるでしょう。1925(大14)年12月に,現在の叡山電鉄に通じる創業時の会社であった京都電燈によって開通しました。同年9月に開業した出町柳~八瀬間を平坦線と呼んだのに対し,ケーブルカーの部分は鋼索線と呼びました。文字通りワイヤーで引っ張るという意味です。このケーブルカーは延長1458m 高低差560m 最急こう配580‰(水平に1000m進んだら580m上るという意味)を2両の車両が「つるべ式」で行き来します。「つるべ」といってもピンとこない方もおいででしょう。井戸の水をくみ上げるのに滑車に2つの桶(バケツ)が紐でつながれ,1つが上がれば片方が下がるあれです。その桶の部分がケーブルカーの車体で,山ですから垂直に上がり下がりするわけではなく,斜面に沿って行き来します。車体は横から見たら傾斜に合わせて平行四辺形になっていますし,車内の通路や座席は階段状に作られています。

ふもと側半分が開放式だった三代目ケーブルカー(1955年製)

ふもと側半分が開放式だった三代目ケーブルカー(1955年製)

その2台の車両がロープで結ばれて動くので,一般的な電車のように運転台はなく,車輪を動かすモーターも付いていません。いわばただの箱です。もっともドアの開閉や案内,非常時の対応のために係員が一人乗務しているのが一般的です。したがって運転台はロープを巻き上げる機械がある山上側の駅にあります。ケーブルカーでは巻き上げるといいますが、山上の駅でロープをどんどん巻いて車両を引っ張り上げるのではなく,先ほどいいましたようにつるべ式ですから大きな滑車を回転させてロープを動かし,ロープの反対側につながっている片方の車両を下ろしていくわけです。もっとも井戸のつるべのように1つの滑車だけで動かすとロープが滑車から外れて制御でなくなりますから,いくつかの滑車を組み合わせてロープが滑り落ちないようになっています。

設計図も斜めに描かれているのがおもしろい (現在の4代目ケーブルカー 1987年製)

設計図も斜めに描かれているのがおもしろい (現在の4代目ケーブルカー 1987年製)

ということでロープが真ん中まで上下し、ちょうど互いの車両がすれ違う位置に線路が左右に分かれている離合線が設けられています。ロープは数年に1度は全部取り替えられますが、日ごろは使用とともに,また夏場の気温上昇などで伸びていきます。大きく伸びてしまったらちょうど離合線ですれ違うことができませんから,毎日ロープの伸び具合を測定し,一定基準を超えると少し短くする作業をします。そんなことどうして出来るのかとお思いでしょう。上下の駅に車両を止めてハンドブレーキで車両を固定し,車体を支える台枠につないであるロープをいったん緩め,少しだけロープをずらせてまた強く固定をすれば,その分2両を結ぶロープの長さを短くすることができます。

今度は2両の車両がすれ違う離合線の仕組みを見てみましょう。ここではすれ違いざまに乗客同士が手を振ったりしますが,レールの方は特殊な構造になっています。鉄道の線路は分かれ目にポイントと呼ばれる装置があって,レールの先端が左右に動いて車両の進行方向が決まりますが,ケーブルカーのポイントは動く部分はありません。

ロープが通るところはレールが切れていて、その上をローラー式の車輪が通過する

写真のように一見複雑ですが,よく見ると理にかなった構造になっています。何よりも車両を上下させるロープも通さねばなりません。実は図に示したように乗っていては見えない車輪に秘密があります。通常,鉄道車両の車輪はフランジとよばれる爪が車輪の内側についていてこれがレールから外れるのを防ぐわけですが,ケーブルカーの車輪は片方は滑車のように両側にフランジがあり,もう片方の車輪は単なるローラーなのです。

これを先の写真の上で考えてみてください。離合線を通過する際に,外側の車輪はフランジ付で脱線を防ぎ,内側の車輪はローラーですからロープを通すレールの切れ目も斜めにゴトゴトと通過することができるのです。したがって2両の車両はそれぞれ離合線では通過する側が決まっています。そうでなければロープがねじれて大変なことになりますよね。

なお,この叡山ケーブルは八瀬で「叡電」と接続しますから叡山電鉄の経営と思われがちですが、1986(昭61)年4月に叡山電車が独立した際に切り離され、引き続き京福電鉄「嵐電」が経営しています。

初代ケーブルカーが紹介されている絵葉書。どうやら昭和9年3月の乗車記念のようである。

初代ケーブルカーが紹介されている絵葉書。どうやら昭和9年3月の乗車記念のようである。

鞍馬山ケーブル

これまでお話したケーブルカーのしくみは線路の長さや勾配の違いこそあれ,全国のケーブルカーにおいて同じ仕組みですが,京都にはこれらとはいろいろな面で違うケーブルカーが1か所あります。それが1957(昭和32)年1月に開業した鞍馬山のケーブルカーです。そもそも鞍馬山にケーブルカーがあること自体ご存知ない方もおいででしょう。鞍馬寺の入口に当たる山門を入ってしばらく坂道を上ったところに「山門駅」があり,直線で191m,高低差89m上ったところに上の「多宝塔駅」があります。

初代「牛若号」(撮影 大西卓氏)

初代「牛若号」(撮影 大西卓氏)

もっとも特異なことは,ふつうケーブルカーは鉄道会社などの民間事業者が経営していますが,この鞍馬山ケーブルは文字通り宗教法人鞍馬寺によって設置され運転されているのです。おそらくお寺が経営している鉄道は他にはないでしょう。それはお年寄りなど足腰の弱い方でも鞍馬寺にお参りしやすいようにという思いで設けられました。したがって歩くとあのつづら折れの山道を20分ほどかかりますが、ケーブルカー(所要2分)を利用すると大幅に軽減されます。

そのため駅や乗務される方も作務衣姿ですし,そもそも運賃ではなくお寺の維持管理のための寄進という形で,1乗車200円集めておられます。つまり寄進のお礼にケーブルカーに乗っていただきますという考えなのです。以前はお寺らしく乗車証そのものが蓮の花びらの形をしていましたし、今も乗車記念に同じようなデザインのカードがもらえるようです。

線路の間を上下している錘

線路の間を上下している錘

技術的にも大きな特徴があります。叡山ケーブルでもお話しましたように普通は2台の車両が行き来しますが,鞍馬山ケーブルは小ぶりな車両が1両だけで、もう片方はローラーの付いた錘とつるべになっていて、互いが上下しているのです。よく観察しないと分かりませんが,線路の間を行く錘と車両が上下ですれ違う構造です。そして鞍馬山ケーブルの車両は代々「牛若号」と名付けられており,現在の車体は2016年にデビューした4代目の「牛若Ⅳ」です。また3代目以降は車輪もゴムタイヤ式にあらためられ,乗り心地も上々です。

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この記事を書いたKLKライター

鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長
島本 由紀

 
昭和30年京都市生まれ
京都市教育委員会学校指導課参与
鉄道友の会京都支部副支部長・事務局長

子どもの頃から鉄道が大好き。
もともと中学校社会科教員ということもあり鉄道を切り口にした地域史や鉄道文化を広めたいと思い、市民向けの講演などにも取り組んでいる。
 

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