「しまつせなあかんえ」

子ども心に覚えている祖母の口癖です。使いかけのノートを捨てようとしたか、お茶碗にご飯つぶを残したままにした時だったかと思います。「モノを大切にしなさい」という時に祖母はこの言葉を発していました。なので私にとっての「しまつする」とは「大事にする」という意味でした。この「しまつせなあかんえ」という祖母の言葉、幼いころは素直に聞けたのですが長じるにつれ、ひねくれてしまったのか、今風にいえば「ウザい」と思うようになりました。

「しまつする」=メンドクサイ、ケチクサイ、そんな意味で捉えていたんだと思います。孫の私ですらそう思っていたのですから、祖母にとっての嫁、つまり私の母はいろいろ大変だったんだろうなあと、今さらながらに思い(同情?)ます。しかし、その「しまつするココロ」が今や代表的な京料理の1つともいわれる「おばんざい」を育てたのでした。


なぜかイメージよくない「始末」というコトバ。

「しまつ」には色いろな意味があります。ためしに広辞苑で調べてみました。

し-まつ【始末】
①はじめと終わり。
②ことの次第、事情。特によくない結果。
③整理をする。しめくくり。
④浪費せず、つつましいこと。倹約

ちょっとハショりましたが、こんな感じです。
必殺の「ひ」の字も出てきませんね。③の「整理する」を拡大解釈すると必殺シリーズにつながるかもです。

閑話休題。
「始」と「末」、つまり①が本来の意味なのですが、特に②の意味でネガティブ感がありますよね。私にとっては人生で何枚か、いやいや両手を超える枚数を書いた「始末書」のイヤ~な思い出とセットになっていて、どうにも負のイメージが付きまといます。

と思いきや、もうひとつの意味がありました。④の「倹約」です。倹約や節約は大切なことではありますが、「ケチ」と重なるネガティブなイメージもありますよね。でも、京都人の「しまつ」には少し違う解釈があります。「少々古くなってきても使える間は使う」「最後までちゃんと使いきる」そんな意味が含まれています。ただの倹約ではなく、モノを有効に使うこと、無駄にしない、つまり「モノを大切にする」気持ちが「しまつせなあかんえ」に込められているのだと思います。

はい、国語の時間はここまで。
ここからは「しまつするココロ」がおばんざいと、どう結びついたのか?の話に入りますね。

そもそも「おばんざい」って?

大根とお揚げのたいたん、水菜とガンモの煮物、なすの揚げ浸し、ホウレンソウのごま汚しetc…。京都人にとっておなじみのメニューであるおばんざい。もともとは京都の普段のおかずをいいますが、市の無形文化遺産「京の食文化」に家庭のおかずが挙げられているように、おばんざいは今や京料理の一ジャンルとなっています。

ちなみに、おばんざいという言葉が使われだしたのはここ50~60年くらいだそうで、それ以前は「おぞよ」とか「おまわり」といった言葉がありました。おぞよは「御雑用」と書き、今でも使われることがあるようですが、「おまわり」は現在では西陣の一部でしか聞くことがない言葉だそうです。もともとは貴族が使う御所ことばで、なぜ「おまわり」かというと、おかずはごはんの「まわり」にあるからだとか。そのまんまですね。

さて、京都でおばんざいが広まった理由はその地形にあります。三方を山にかこまれた京都は、逆にいえば海とは縁遠いということになります。したがって、冷凍技術や流通が発達していなかった昔、京都では新鮮な魚介類を入手するのはとても困難なことでした。そこで日持ちのする野菜や乾物をつかう料理が発達し、おばんざいになったと言われています。

しかし、私はそれに加えてもうひとつ、京都人の「しまつのココロ」がおばんざいを発達させたのだと考えます。おばんざいを漢字で書くと「お番菜」となります。この場合の“番”は番茶の番と同じで「普段の」や「粗末な」という意味があるそうです。だからといって美味しくないというわけではありません。もしそうなら、おばんざい専門店ができるはずがないですよね。

お揚げさん

お揚げさん

海から離れた京都では、タンパク質が不足しがちでした。そこで活躍するのが「畑のお肉」ともいわれる大豆から作られた油揚げです。「油」というだけあって油っ気とコクを楽しむことができます。私はよい油揚げが手に入ると、そのままサッと焼いて醤油を垂らして食べます。ビールにも日本酒にもよく合う最高の「おとも」です。

主婦のお悩みを「しまつのココロ」で解決!

話変わりますが、主婦のアタマを悩ませているのが「今晩、何つくろう?」問題ですよね。ダンナに「何がいい?」と尋ねても「なんでもいい」というモチベーションゼロの答えしか返ってこずテンションダダ下がり…。日曜日のよくある光景です。

このあいだテレビでこの問題を脳内思考の側面からとりあげた番組がありました。「賢い主婦歴30年」を自称するオバサマが出演していて、彼女曰くメニュー決定の思考には2つのパターンがあるそうです。1つは「はじめにメニューありきで、それに必要な食材を買いそろえる」タイプ。もう1つは「冷蔵庫の中にある食材をみて、『あ、今晩は〇〇〇にしよう!』とひらめく」タイプです。多くの方は、いきなり正解をだそうとする前者のパターンにはまり袋小路に陥ります。それよりも答えに至る手前の道筋をみせてくれる後者の方がはるかにストレスが少なくて済む。でも、そのためには手持ちの豊富なレシピが必要となる。あなたはどちらのタイプですか?みたいな内容だったと思います。

おばんざいのココロはもちろん後者。手近な食材にひと手間かけたり、工夫を凝らしたりすることにあります。必然的に材料を効率よく使うようになり、大根の葉っぱやダシガラなどふつうなら捨ててしまうものを上手に活かします。たとえば昆布でダシをとって煮物をつくり、その昆布自体も佃煮として食べる。使いまわしの工夫ですね。

京都ではお祭りなどハレの日には贅を尽くした料理を楽しみ、常は質素倹約に努める、そんな文化があります。だからといって、日ごろの食事がいわゆる粗末なものという訳ではありません。安くても美味しく食べる工夫をしているのです。その最たるものが「その時期に安くておいしいもの」を選ぶこと。つまり「旬」のものを食べるということです。四季の移ろいを食卓に映し出しているわけですね。

これを「ケチくさい」と思われるでしょうか。そんなことないですよね。旬なんだから美味しいに決まっています。おばんざいの根底にあるものは、今ある限られた材料でいかに美味しいものを作るかであり、そこにあるのは倹約ではなく創意工夫の心です。そして、これこそが京都人の「しまつのココロ」を表わしています。私としては始末の意味の⑤番目に「モノを大切にするために創意工夫する京都人の心意気」を足してほしいと思っています。

しまつのココロが食品ロスを救う

先日、とある青果店のオーナーとお話しする機会がありました。コロナの影響で料飲店への卸しが激減し、大変な状況だそうです。青果店の売上が落ちるということは、その仕入先である農家の出荷も落ち込んでいるということ。つまり野菜余り現象が起きているようです。余った野菜はどうなるか。残念ながら廃棄するしかないそうです。なんだか心が痛みますね。

もっとも、以前から食品ロスは社会問題とされていました。それがコロナ禍で一気に表面化したわけです。語弊があるのを承知でいえば、コロナのおかげで食品ロスについてしっかりと向きあうことができるのではないでしょうか。であれば、今こそ「しまつのココロ」を活かすとき。私はそう考えます。余った野菜をどうすれば活かせるのか。そこに求められるのは、おばんざいに見られる創意工夫の智恵です。

また、曲がったキュウリや傷がついたトマトなどは流通しづらいそうです。でも、しまつのココロがあれば「キュウリが曲がっていても、安全と美味しさに変わりはない」というように考えられると思います。見ための姿かたちではなく、本質を見る。それが「京の目利き」ではないでしょうか。

さらに、おばんざいは材料を使いきることが多いため、ゴミ減量にもつながります。日持ちのしない料理は、食べ残しの出ない分だけ作り、もの足りない場合は作り置きのできる常備菜でまかなう。ムダなお金も時間もかけずに、ゴミも減らす。おばんざいには京都人の合理性が現れています。

いかがでしょう。
しまつのココロとは決して窮屈なものではないこと。むしろ京都人の創意工夫や合理性の象徴ともいえることが、おわかりいただけたでしょうか。今、コロナ禍で新しい暮らしのあり方が問われています。それは時に私たちに不便を強いることもあるでしょう。でも私は思います。不便なとき、困ったときこそ、創意工夫によるアイデアが生まれやすいのだと。「不便は発明の母」とでも言いましょうか。京都人の「しまつのココロ」はきっと新しい暮らしの価値を生みだしてくれると信じています。

(編集部/吉川哲史)

京都市による「しまつのこころ楽考(がっこう)」と題した、ごみ減量や食品ロス問題への取りくみ。

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この記事を書いたKLKライター

八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員
吉川 哲史

祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。

日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。

地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。

得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。

著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」

サンケイデザイン㈱専務取締役

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自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
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