京都の夏を彩る祇園祭の中で、山鉾巡行は京都市民の誇りとあこがれである。特に7月10日頃から、鉾建てから16日の巡行の日にかけて、四条通りや室町通・新町通付近では、いろいろな鉾や山が立ち並び子どもも大人もこれをわくわくして眺めて歩くのである。
私も、子どもの頃、親に連れられて見に行った。そしてお店に並ぶ鉾や山の小さな模型を見て魅力を感じ、とてもほしかったのを覚えている。でも、とても高くて買ってほしいと言えなかった。
月日が経ち、定年を過ぎ幾つかの勤めを終えて余裕が出来た頃、再び鉾の模型がほしい思いがわいてきた。幸い鉾町の近くで勤務していた次期もあり、祇園祭の季節には鉾建ての現場も見られ、ますますその欲望が強くなり、My鉾を造ろうと鉾の研究を始めた。すると、今まで知らなかった鉾についてのいろいろの頃がわかってきたのだ。その幾つかを、鉾の模型の制作過程を交えながら紹介しよう。
どの鉾も曳山も、ほぼ同じところは?
6基の鉾と2基の船型鉾、3基の曳山は共通しているところと、違うところがある。勿論外観は皆違うが、車輪の大きさは直径約2メートルで同じ。だから、大船鉾は復元当初は、菊水鉾から貸してもらっていた。
そして、もう一つ大切なことは車幅がどれも約3メートルになっている。これは、巡行する道幅にあわせたもので当初は三条通りを巡行していたのでその道幅にあわせたものと云われている。ただ、前輪と後輪の感覚の長さは全部同じではない。台車に載せる屋台の部分は鉾によって大きさは少しずつ違っているからで、基本の木組みはほぼ同じで釘は使わず、わら縄で絞め込んでいる。
網隠しに付いている紋章は?
真木の根本の網隠しには前後に紋章が付いている。進行方向には祇園神社の紋章が(菊水鉾は菊の紋)、後方に巴紋が付いているのだが、長刀鉾だけは前後とも祇園神社の紋章が付いている。これは鉾の巡行当日でなければ見られない。是非あなたの眼で確かめてみては。
いつでも見られる祇園祭の山鉾
祇園祭の山鉾は1年に1度しか見ることが出来ない。そこで、鉾の模型(縮尺50分の1)を造るために、5年間観察と資料集めに真夏の暑いさなか通い詰めた。そして、1年目に長刀鉾が、2年目に船鉾が出来た。すると、残り全部の鉾と曳山を造りたくなって後2年がかりで5基のを作り上げた。鉾と曳山の模型がそろったところで、いつでも全部が見てもらえるようにしたくなって、京都市教育委員会に寄付を申し出た。快く引き受けて頂いて、鉾町近くの下京図書館(新町通り高辻下がる)で展示して頂くことになった。これで、模型ではあるが、いつでも鉾と曳山が観察できるようになった。
北観音山と南観音山の真松を飾る鳥の木彫
3基ある曳山のうち、北観音山と南観音山は四条新町を北に上がった新町通の放下鉾の北側に位置している。山には鉾でなくて真木の先に松の木(真松という)をくくりつけている。観音山にはこの真松の枝に、北観音山にはオナガドリが、南観音山にはハトの木彫が据えられている。この鳥の木彫は鉾立の最後に若衆が命綱なしで登って据え付ける。とても勇ましくてすごいので是非見てほしい。圧巻である。
山鉾は「やまほこ」ですか「やまぼこ」ですか?
長刀鉾を「なぎなたほこ」と読むのか「なぎなたぼこ」と読むのか、これは、どちらでもよいのですが、外国人観光客のために「なぎなたほこ」と濁点をつけずに表記するようにしたもので、最近では、日本古来の習慣に戻して「なぎなたぼこ」と表記されるようになってきている。
コロナ禍の影響で山鉾巡行が今年は見られませんが、ぜひ、この記事を参考に来年を楽しみにしてほしい。
(2020年7月の記事です)