後藤氏累代の墓碑

後藤氏累代の墓碑

時代が移り変わると共に、蓮台野での葬送の地としての機能が薄れていきました。
火葬場は明治3年に廃せられ、龍安寺周辺の山麓に移されました。その後、金閣寺の裏山山麓の蓮華谷で長らく市民に活用されました。昭和の中頃に京都市都市計画に基づき東山の鳥辺野に統合され、終止符を打ちました。今でも、蓮台野付近を散策すると住宅密集地に囲まれ「墓地」「天皇陵」「寺院」が点在し、昔の葬送の地を彷彿とさせられます。私たちの歩いている地下に無数の無縁仏が眠っているかと思うと、今一度心を新たにし、敬虔なる気持ちになります。



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この記事を書いたKLKライター

自称まちの歴史愛好家
橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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橋本 楯夫

 
昭和19年京都市北区生まれ。
理科の中学校教諭として勤めながら、まちの歴史を研究し続ける。
得意分野は「怖い話」。
全国連合退職校長会近畿地区協議会会長。

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