7月の京都といえば、やっぱり祇園祭ですよね。京都の夏はコンチキチンのお囃子の音とともに始まり、祭が終わると同時に「夏も終わり」といった感があり、京の街は祇園祭一色となる…はずでした。残念ながらコロナウイルスの感染拡大防止のため、今年は山鉾巡行ならびに神輿渡御が中止となり、寂しい夏となりました。なので、今年の夏は本サイト「Kyoto Love.Kyoto」の祇園祭特集で「おうち祇園祭」をお楽しみいただければと思います。

ところで私、いつもはこのKyoto Love.Kyotoで「上京区民はカフェ難民?」「なぜ京都はパンの街なのか?」「京都が生んだスーパースター沢田研二」などと脈絡も節操もなく色々なネタを披露していますが、多くは単なる好奇心から書いております。でも今回は私自身が実際に関わっていることを述べることとなりました。

申し遅れました、私儀、八坂神社中御座三若神輿会の役員を務めております吉川哲史と申します。たまたまではあるのですが先祖代々、祇園祭にご奉仕する家系に生まれたご縁で神輿渡御に長年お仕えしております。

私は主に裏方役として神輿に携わっており、ときには観光ツアーの方に神輿のガイド役を仰せつかるともありました。そのとき観光客の方から「へえ~そうなんだ」と興味をもっていただいたお話をいくつかご披露してみたいと思います。

そもそも祇園祭とは何か

やっぱり、まずはここからです。祇園祭は超メジャーではありますが、絢爛豪華な山鉾巡行を見て「ハイおしまい」みたいな感じに思っておられる方、けっこう多いです。この「そもそも祇園祭って何のお祭り?」については、京都市民でも意外とご存知ないようなので、ぜひ「おうち祇園祭」の今年にしっかりとインプットしていただきたいですね。

時は平安の昔、西暦869年にさかのぼります。この年の日本は東北で大震災が起こり、平安京では疫病が大流行します。当時の人々はこれを怨霊の仕業と信じ、この怨霊を鎮めるには神様のお力に頼るしかないと考えます。

日本にはたくさんの神様がいらっしゃいますが、悪霊を鎮めるには強い神様が必要だと、ヤマタノオロチを退治したことで有名な素戔嗚尊(スサノオミコト)にお出まし願うことになります。神輿にお乗りになった素戔嗚尊は、天皇家の庭園であった神泉苑までの道をお渡りになり、病気平癒と開運除災を祈ります。
これが祇園祭の始まりです。このとき、神様がお通りになる道に66本の矛を立てました。これが山鉾巡行の起源とされます。なぜ66本かというと、当時の日本の国(山城とか近江とか尾張とかです)の数が66だったから、だそうです。

神輿を力強く差しあげることで、神様も喜ばれ神威も高まります。

神輿と山鉾の関係って?

7/17当日は、先に山鉾が巡行したその後に神輿が市中を渡ります。神輿と山鉾の関係には2つの解釈があります。1つは神様が通られる道を山鉾によりお清めするというもの。もう1つは山鉾が巡行することで厄神たちを集め、そこに神輿に乗った神様がやってきて悪霊の怒りを鎮め町の外へ送り出すというものです。

おっと、言い忘れていました、本稿のすべてにおける注釈として「諸説ありますが…」という枕詞がありますことをご了承くださいませ。それを突き詰めようとすると学術論文のようになってしまい、私の脳みそがオーバーヒートを起こしてしまうのでご容赦ください。ここではあまり肩肘はらずに気軽に読んでいただければ幸いです。

いずれにしても、神輿に乗った神様がお出ましになることで、厄災を払うことができるわけです。この祇園祭本来の意味においては神輿が主で、山鉾が従の関係といえます。いっぽうで祇園祭が世界に誇れるお祭りであるのは、山鉾があってのこと。そのお蔭で多くの人の耳目を集めるなか勇壮な神輿ぶりを披露できるのです。神輿あっての山鉾であり、山鉾あっての神輿。祇園祭はこの両輪があってはじめて成り立つものだと思います。

八坂の神様たち

次に神輿に乗っておられる神様をご紹介しましょう。まずは先ほども述べましたスサノオミコトです。天照大神の弟神にあたります。「荒ぶる神様」とも呼ばれる、たいへん気性の激しいヤンチャ(乱暴者?)な神様として有名です。その一方で涙もろく情に厚い一面も持っていました。また、日本で最初に和歌を詠んだ神様としても知られています。乱暴だけど頼りになる人情家、そして歌…いま気づいたのですが、よく考えるとジャイアンそのものですね。

ところで、前述のヤマタノオロチを退治した時、いけにえにされそうになっていた姫君を救出したといわれています。この姫君の名を「櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)」といい、素戔嗚尊のお妃となられました。ロールプレイングゲームの王道、「悪者を退治した勇者が、さらわれた姫を助け2人は結ばれる」この原型は神話の世界にあったのですね。

さて、この2人はタイヘン仲睦まじく5人の男の子と3人の女の子をもうけます。この8人の子どもたちを八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)といいます。
以上ご紹介したスサノオミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミの神様ファミリーが神輿に乗って渡御されるのが祇園祭です。そして、これらの神様をお乗せした神輿を担いでいるのが三若神輿会、四若神輿会、錦神輿会の3つの神輿会です。こちらについては、Kyoto Love.Kyoto編集長の記事「三若、四若、錦って?」に詳しいのでご覧くださいませ。

左から東御座神輿/櫛稲田姫命(四若神輿会)、中御座神輿/素戔嗚尊(三若神輿会)、西御座神輿/八柱御子神(錦神輿会)

神輿を支える担ぎ手たち

神輿の担ぎ手を輿丁(よちょう)といいます。神輿の「輿」+男を意味する「丁」の2文字から成りました。彼らはイナセな法被姿で神輿を担ぎます。法被の色は地方や祭によって様々ですが、祇園祭では白と決まっています。白装束は死装束ともいわれますが、これは命を懸けて神輿を担ぐ彼らの心意気を表しているともいえます。

輿丁たちは信心深い者が多く、また心から神輿を愛してくれているので、祇園祭だけでなく京都の他のお祭の神輿はいうにおよばず、全国を遠征するツワモノも少なくありません。そのため肩や首が神輿のコブで完全に固まっている人もいます。街を歩いていて、もし首の後ろがボコッと盛りあがっている人がいれば「あ、神輿を担いだんやな」と思って間違いありません。
そうしてアチコチの神輿を担いでいる彼らですが、なかでもこの祇園祭にご奉仕することには大変な誇りを持っていて、「祇園祭のために1年を過ごしている」という人もいます。彼らのそんなプライドが祭を支えているのです。

念のためですが「首」です。Tシャツのえり首が迂回してますね。

神輿エトセトラ

ここからは神輿にまつわるエトセトラをご紹介します。

神霊を遷すと神輿が重くなる?

神輿とは神様の乗りもの。神輿に乗る際は「神霊遷し」という儀式を行うのですが「神霊が遷った後の神輿は重く感じる」という人もいます。物理的にはありえないのですが、神様を背負っているんだという、彼らの心意気がそう感じさせるのでしょうね。

青稲

神輿のテッペンには青い草が供えられます。よくネギと間違う方がいますが、あれはお稲です。丹波にある八坂神社の御神田で育てられた稲を渡御前日の16日に抜きとって神輿に取りつけます。五穀豊穣の願いが込められたこの稲を煎じて飲むと熱冷ましに効くと言われています。

神輿の上に飾られた鳳凰に供えられているのがお稲です。ネギではありません(念のため)。

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