本稿は2020年7月に掲載された記事「今さら聞けない鉾と神輿の関係って? 」を大幅に加筆修正したものです。※本稿のすべてに「諸説ありますが…」という注釈がつきますことをご了承くださいませ。
申し遅れました、私儀、八坂神社中御座三若神輿会の役員を務めております吉川哲史と申します。たまたまではあるのですが先祖代々、祇園祭にご奉仕する家系に生まれたご縁で神輿渡御に長年お仕えしております。
私は主に裏方役として神輿に携わっており、ときには観光ツアーの方に神輿のガイド役を仰せつかるともありました。そのとき観光客の方から「へえ~そうなんだ」と興味をもっていただいたお話をいくつかご披露してみたいと思います。
そもそも祇園祭とは何か
やっぱり、まずはここからです。祇園祭は超メジャーではありますが、絢爛豪華な山鉾巡行を見て「ハイおしまい」みたいな感じに思っておられる方、けっこう多いです。この「そもそも祇園祭って何のお祭り?」については、京都市民でも意外とご存知ないようなので、ぜひ「おうち祇園祭」の今年にしっかりとインプットしていただきたいですね。
時は平安の昔、西暦869年にさかのぼります。この年の日本は東北で大震災が起こり、平安京では疫病が大流行します。当時の人々はこれを怨霊の仕業と信じ、この怨霊を鎮めるには神様のお力に頼るしかないと考えます。
日本にはたくさんの神様がいらっしゃいますが、悪霊を鎮めるには強い神様が必要だと、ヤマタノオロチを退治したことで有名な素戔嗚尊(スサノオミコト)にお出まし願うことになります。神輿にお乗りになった素戔嗚尊は、天皇家の庭園であった神泉苑までの道をお渡りになり、病気平癒と開運除災を祈ります。
これが祇園祭の始まりです。このとき、神様がお通りになる道に66本の矛を立てました。これが山鉾巡行の起源とされます。なぜ66本かというと、当時の日本の国(山城とか近江とか尾張とかです)の数が66だったから、だそうです。
神輿と山鉾の関係って?
7/17当日は、先に山鉾が巡行したその後に神輿が市中を渡ります。神輿と山鉾の関係には2つの解釈があります。1つは神様が通られる道を山鉾によりお清めするというもの。もう1つは山鉾が巡行することで厄神たちを集め、そこに神輿に乗った神様がやってきて悪霊の怒りを鎮め町の外へ送り出すというものです。
おっと、言い忘れていました、本稿のすべてにおける注釈として「諸説ありますが…」という枕詞がありますことをご了承くださいませ。それを突き詰めようとすると学術論文のようになってしまい、私の脳みそがオーバーヒートを起こしてしまうのでご容赦ください。ここではあまり肩肘はらずに気軽に読んでいただければ幸いです。
いずれにしても、神輿に乗った神様がお出ましになることで、厄災を払うことができるわけです。この祇園祭本来の意味においては神輿が主で、山鉾が従の関係といえます。いっぽうで祇園祭が世界に誇れるお祭りであるのは、山鉾があってのこと。そのお蔭で多くの人の耳目を集めるなか勇壮な神輿ぶりを披露できるのです。神輿あっての山鉾であり、山鉾あっての神輿。祇園祭はこの両輪があってはじめて成り立つものだと思います。
八坂の神様たち
ところで、前述のヤマタノオロチを退治した時、いけにえにされそうになっていた姫君を救出したといわれています。この姫君の名を「櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)」といい、素戔嗚尊のお妃となられました。ロールプレイングゲームの王道、「悪者を退治した勇者が、さらわれた姫を助け2人は結ばれる」この原型は神話の世界にあったのですね。
さて、この2人はタイヘン仲睦まじく5人の男の子と3人の女の子をもうけます。この8人の子どもたちを八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)といいます。
以上ご紹介したスサノオミコト、クシイナダヒメノミコト、ヤハシラノミコガミの神様ファミリーが神輿に乗って渡御されるのが祇園祭です。そして、これらの神様をお乗せした神輿を担いでいるのが三若神輿会、四若神輿会、錦神輿会の3つの神輿会です。こちらについては、Kyoto Love.Kyoto編集長の記事「三若、四若、錦って?」に詳しいのでご覧くださいませ。
神輿を支える担ぎ手たち
神輿の担ぎ手を輿丁(よちょう)といいます。神輿の「輿」+男を意味する「丁」の2文字から成りました。彼らはイナセな法被姿で神輿を担ぎます。法被の色は地方や祭によって様々ですが、祇園祭では白と決まっています。白装束は死装束ともいわれますが、これは命を懸けて神輿を担ぐ彼らの心意気を表しているともいえます。
輿丁たちは信心深い者が多く、また心から神輿を愛してくれているので、祇園祭だけでなく京都の他のお祭の神輿はいうにおよばず、全国を遠征するツワモノも少なくありません。そのため肩や首が神輿のコブで完全に固まっている人もいます。街を歩いていて、もし首の後ろがボコッと盛りあがっている人がいれば「あ、神輿を担いだんやな」と思って間違いありません。
そうしてアチコチの神輿を担いでいる彼らですが、なかでもこの祇園祭にご奉仕することには大変な誇りを持っていて、「祇園祭のために1年を過ごしている」という人もいます。彼らのそんなプライドが祭を支えているのです。
神輿エトセトラ
ここからは神輿にまつわるエトセトラをご紹介します。
神霊を遷すと神輿が重くなる?
神輿とは神様の乗りもの。神輿に乗る際は「神霊遷し」という儀式を行うのですが「神霊が遷った後の神輿は重く感じる」という人もいます。物理的にはありえないのですが、神様を背負っているんだという、彼らの心意気がそう感じさせるのでしょうね。
青稲
神輿のテッペンには青い草が供えられます。よくネギと間違う方がいますが、あれはお稲です。丹波にある八坂神社の御神田で育てられた稲を渡御前日の16日に抜きとって神輿に取りつけます。五穀豊穣の願いが込められたこの稲を煎じて飲むと熱冷ましに効くと言われています。
おひねり
頭にキリリと巻かれた手ぬぐいにかざす「おひねり」。法被姿がいちだんとイナセに見えますね。このおひねりをタンスに入れておくと、着物が1枚増えるという言いつたえがあり、花街の人にお渡しすると喜ばれます。
手ぬぐい安産
先ほどの手ぬぐいを洗わずに、そのまま妊婦の腹帯に入れると安産になるといわれています。ウソかホントか、逆子で帝王切開を覚悟していた臨月の妊婦さんに手ぬぐいを差しあげたところ、逆子がなおり安産で元気な赤ちゃんが生まれたとか。
祇園祭は疫病に負けたのか?
さて、祇園祭は疫病退散がその起源であったのはご存知の通りです。なのに、今年はコロナという疫病のために山鉾巡行も神輿渡御も中止となりました。「これってどうなの?」とギモンに思われた方も多いでしょう。私自身も最初は「3密を考えたら仕方ないけれど、でもなあ…」という気持ちでした。でも今は、このように考えています。神様が次の3つを考えるための機会を与えられたのだと。
一、祇園祭は確かに「お祭り」として多くの方を魅了します。でもやはり「祇園祭は何のためにやっているの?」という本質は大事。この本義をしっかりと見つめ直すこと。
一、神輿に携わる者は祇園祭にご奉仕することを誇りに思っています。でもご奉仕できるのも、日々の生活があってのこと。平和な社会、仕事や家庭が順調であること…人それぞれの毎日がきちんと成り立っていてこその祇園祭。今回のコロナ禍で何気ない日常のありがたみを身にしみて感じました。社会、そして自分を支えてくれている色いろな人たちのありがたみも。その感謝の気持ちを今一度しっかりと心に刻むこと。
一、自分を省みることの大切さ。スサノオミコトは荒ぶる神様であり、もともとは厄神であったともいわれています。つまり良い神様と悪い神様の両面を持っておられるワケです。私たちが善い行いをしていれば良い神様であられるし、悪いことをしていると災いの神様となられる。人間、誰しもいつも善行ばかり積めるものではありません。ときには気がゆるみ邪な心を持つこともあるでしょう。軽々しく言ってはいけないことは承知のうえで書きますが、コロナ禍とはそんな私たちを戒めるための神様の思し召しなのかもしれません。
「祇園祭は疫病に負けたのか?」という問いへの答えには、なっていないかもしれませんが、私はこのように考えようとしています。そして感謝の心と祇園祭の本義をしっかりと携えて明年、絢爛豪華な山鉾と賑々しい神輿ぶりを魅せてくれる祇園祭にご奉仕できることを心待ちにしています。
(編集部/吉川哲史)