再発見された牛一の信長公記

牛一と甫庵。その立場は、明治時代に入って逆転しました。
東京日日新聞(今の毎日新聞)の記者だった甫喜山景雄(ほきやま かげお)は、太田牛一を高く評価。
はじめて、信長公記の活字版を発行します。

彼は、いいます。
「(信長公記は)目撃した事を筆記したものだ。これを甫庵が潤色したものが後世に伝わった。甫庵が言うには、牛一は見聞きしたことに偏執する人物だと。しかし、歴史のことを、見聞きしたものに拘ることは、文飾に流れるよりも、良い」

こうして、実証的な態度で書かれた信長公記が、「再発見」され、脚光を浴び、甫庵の信長記は資料としての価値を否定されていくのです。
その失墜ぶりは極端なほどで、甫庵信長記を擁護する論調はほとんど聞かれなくなります。
文明開化により、近代「歴史学」の考え方がもたらされた事も影響しているのでしょう。

時代の波に揉まれ、浮かんだり、沈んだりした、二人の記録者たちの、不思議な因縁。
現在、織田信長研究の底本として用いられているのは、牛一の信長公記です。

明治2年。京都の船岡山に、織田信長を祭神として建勲神社が創建されました。
ここに、信長公記が納められています。
実は、公記には、自筆本や写本など幾つかの種類があり、少しずつ内容が違うのですが、神社にあるのは、牛一の自筆本のひとつ。
建勲神社本と呼ばれ、重要文化財になっています。

(秋の建勲神社)

(秋の建勲神社)

もし、信長公記がなかったら、戦国史研究はどうなっていたか。

牛一の著作は、2百年以上の眠りを経て、評価され、ついに敬愛する主君の元にたどり着いたのです。
信長は、泉下で「大儀!」と褒めているでしょうか。

(船岡大祭より。仕舞 敦盛の奉納場面)

(船岡大祭より。仕舞 敦盛の奉納場面)

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この記事を書いたKLKライター

写真家
三宅 徹

 
写真家。
京都の風景と祭事を中心に、その伝統と文化を捉えるべく撮影している。
やすらい祭の学区に生まれ、葵祭の学区に育つ。
いちど京都を出たことで地元の魅力に目覚め、友人に各地の名所やそれにまつわる歴史、逸話を紹介しているうち、必要にかられて写真の撮影を始める。
SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
京都観光Navi(京都市観光協会公式HP) 「京都四大行事」コーナー ほか
しかけにときめく「京都名庭園」(著者 烏賀陽百合 誠文堂新光社)
しかけに感動する「京都名庭園」(同上)
いちどは行ってみたい京都「絶景庭園」(著者 烏賀陽百合 光文社知恵の森文庫)
阪急電鉄 車内紙「TOKK」2018年11月15日号 表紙 他
京都の中のドイツ 青地伯水編 春風社
ほか、雑誌、書籍、ホームページへの写真提供多数。

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SNSなどで公開していた作品が出版社などの目に止まり、書籍や観光誌の写真担当に起用されることになる。
最近は写真撮影に加えて、撮影技法や京都の歴史などに関する講演会やコラム提供も行っている。

主な実績
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