文化都市施設の第2弾は、西京極総合運動公園から南東約8.5㎞のところにある『伏見桃山城運動公園』をご案内します。
公園名称のとおり園内のシンボルは天守です。
この派手な建物は、東京オリンピックで浮かれた高度経済成長のたまものといえますが、今となってはもう作れない代物でもあります。
さて、伏見桃山城はどのようなお城なのでしょうか。

 

ご案内

現在国内にある天守には3つのタイプがあることをご存じだろうか。
1つは『現存天守』。
築城当時から天守が残っているものである。
次に『復原天守』又は『復興天守』。
外観をそのまま復原するものと、規模・意匠を推定するものとで使い分けているようだ。
最後に『模擬天守』。
戦後の高度経済成長期に多く建てられたという。

伏見桃山城

伏見桃山城

京都にある伏見桃山城は、『模擬天守』である。
東京オリンピックの年に桃山観光開発(株)が建てた豪華な天守で、近鉄グループが運営した遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の目玉施設であった。
今でいうならTDRのシンデレラ城である。
近鉄電車で京都に向かうと宇治川の鉄橋が見えるあたりからこの城が見えはじめ、近鉄を日常使う人にとっては、京都タワーに等しいかもしれない。

伏見桃山城 天守

伏見桃山城 天守

伏見桃山城の建設には大変な苦労があった。
1959(昭和34)年10月に起工、翌年4月上棟と、当初は順調に進んだが、1960(同35)年12月に寒冷のため工事を一時中止し、翌年9月には第二室戸台風による甚大な被害を被った。
幸い10月には被害修理が終わったが、復元工事再開は1963(同38)年7月まで待たねばならなかった。
翌年3月20日にようやく竣工し、22日から営業を開始した。
1959年の会社設立から5年を費やして開城に至った、念願の城であったわけだ。

館内に残る“伏見桃山城の生い立ち”には次のように記されていた。

「昭和の名城として、伏見桃山城は、構想から5年かけて、昭和39年(1964)3月に完成しました。
この城は、岡山林原美術館にある洛中洛外図に描かれている伏見城を参考にして、野地修左先生(当時神戸大学工学部建築学科教授)設計のもと、当時の金額で約6億円という大変なお金をかけて建築されました。
大天守閣、小天守閣ともに鉄筋・鉄骨コンクリート製です。
細部は桃山形式で統一し、豊臣秀吉の伏見築城当時を再現しています。
大天守閣は五層七重からなり、高さ50メートル、建坪約4,100平方メートルの大きさです。
そのサイズは、大坂城、姫路城に次ぐ、当時全国で3番目の大きさの天守閣で、名古屋城とほぼ同じサイズです。
また、小天守閣は、三層五重からなり、高さ30メートル、建坪約600平方メートルの大きさとなり、彦根城の天守閣とほぼ同じサイズとなります。
この両天守閣は、約400年前秀吉が建てた伏見城のお花畑山荘の位置になります。
当時の天守閣は、現在の明治天皇伏見桃山陵の位置に建っていました。 
この伏見桃山城の特徴は、色彩で、朱塗りの勾欄、金の軒瓦、黄金の鯱、ぶどう色の城壁など華やかなものです。」

伏見桃山城 城内

伏見桃山城 城内

伏見桃山城キャッスルランドは、2003(平成15)年に惜しまれつつ閉園した。
遊具が撤去され、跡地を京都市が引き取って野球場や多目的グラウンドなどを備える運動公園として整備した。
シンボルとなる天守は地元の要望で残されたが、耐震性や老朽化などの問題で今は公開されていない。

野球場

野球場

館内に残る案内版で紹介されていた城たちは、姫路城が世界遺産、彦根城が国宝、昭和6年竣工の大阪城は『復興天守』とはいえ国の登録文化財、名古屋城は現在復元工事が進んでいる。
昭和の名残を色濃く残す名城『伏見桃山城』を市民はどのように活かしていくだろうか。

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この記事を書いたKLKライター

京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
松田 彰

 
京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
京都大学工学部建築学科卒、同大学院修了
一級建築士

1957年生まれ
1982年4月から京都市勤務
2018年3月に京都市都市計画局建築技術・景観担当局長で退職
2018年4月から現職

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松田 彰

 
京都市文化財保存活用・施設整備アドバイザー
京都大学工学部建築学科卒、同大学院修了
一級建築士

1957年生まれ
1982年4月から京都市勤務
2018年3月に京都市都市計画局建築技術・景観担当局長で退職
2018年4月から現職

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