越前屋俵太が大学でスタコラスイッチ?
皆さん!あけましておめでとうございます。
コロナ禍の世ではありますが、今年1年も皆様にとって良い年でありますように!
越前屋俵太も大学教員という肩書きを持たせて頂いて、今年でなんと13年目に突入いたしました。
今から38年前、関西大学在学中に、道端で街行く人を出会い頭にシャンプーをするという破天荒なパフォーマンスをしていた私が、まさか大学で学生達を相手に教鞭をとるとは思いもしませんでした。
学生時代、将来テレビ制作に携わろうとADのバイトを始めたのですが、当時の有名芸人を使った番組作りに疑問を感じ、スタジオを飛び出し街行く素人さん相手にいたずらをしかける企画を提案し、自ら演じました。
それが若い世代に受け、その後、東京に拠点を移して本格的にテレビ制作を手掛けましたが、視聴率を取りたいが為の虚偽演出に嫌気がさし、18年前にテレビ業界から一旦身を引き、一切の仕事を辞めて、山に籠もりました。
その後色んなご縁があって、母校である関西大学の客員教授をかわきりに、現在では高知大学、和歌山大学、兵庫県立大学、京都芸術大学、京都外国語大学と気が付けば13年もの間、大学教育に携わっています。
それまでは、職業欄には「自営業」とか「企画プラニング業」としか書けなく、風貌も相まって怪しまれていたのですが、これが大学の客員教授とか書くようになると、一変して「大学の教授ですか!」と信用して貰えるようになりました。
やはり大学の先生の社会的信地位というのは、僕の給料は別として、本当に高いんですね!(笑)。
非常識講師がスタコラスイッチ?
ちょっとここで、そもそも越前屋俵太が、大学でいったい何を教えてるんだ?と言う疑問に少しだけお答えしたいと思います。
関西大学総合情報学部に客員教授として招かれた当初はプロフェッショナル映像論なんていう、なんだかよく分からない授業をしていました。これが実にひどかった(笑)。
大学の中にある立派なスタジオが、あまり使われていなかったらしく、もったいないのでそこを使って番組の作り方を学生に教えて下さい!と頼まれたのですが、僕は元々スタジオが嫌いだったので悩みました。
ただ、客員教授という肩書きを貰った直後だったので、嬉しさのあまり調子に乗って、学生達に向かって、こう叫んでしまったのです。
「使ってないのはスタジオじゃなくて、君たちの脳だ!君たちの脳を使わないことの方が、スタジオを使わないことより遥かにもったいない!」
結局、スタジオを使うには使いましたが、映像などまったく教えずに、みんなでピタゴラスイッチらしきものを作ってました。
ピタゴラスイッチの本家は「バザールでござーる」とか「だんご三兄弟」を作った慶応義塾大学(現東京芸大)の佐藤雅彦さんです。佐藤さんは、NHKと組んで、完璧に作動する装置を学生と時間とお金をかけてキチンと作っておられました。
ところが、こっちは予算はないし、ましてや越前屋俵太だし、完璧なんて無理に決まっています。だったら、なんとなくスタコラとやっていこうよ!ってことで、「ピタゴラスイッチ」に対抗して「スタコラスイッチ」と呼ぶ装置を作ることにしました。
ダンボールとか、洗濯バサミとか、その辺に転がっている要らない物とかだけで、ユルユルでやり出したんですが、これが意外におもしろくて、みんなはまってました。
最初はビー玉一個を転がすところから始めて、なんらかの方法で運動が伝達されていって最後はデジカメのスイッチを押して、それにチーム全員が映れば合格。ただそれだけの授業でした。
僕は何も教えないし、彼等も何も聞かない。みんな好き勝手にやって単位も貰えるわけですから、まさしく日本一テキトーな授業でした。
手で考える授業
この一見遊びのように見える授業の中に、実は僕が伝えたいメッセージが隠れています。
それは、「他人からやらされるのではなく、自分でやろうと思わない限り、人は成長しない!」やらされるんじゃなくて、自分でやって欲しい!ただそれだけのメッセージです。
彼らは小・中・高とやらされ続けてきています。今の人達は教育という名のもとに若い芽を摘まれてる。まあ、芽をつまれてるぶん、残った花芽に栄養がいくので、いずれ立派に咲くんでしょうが、可能性という花はどんどん咲かなくなる。実際にやるのは彼ら自身なので、あれやこれやと構うのではなく、本来は放っておくべきです。咲くも枯れるも彼らの自由です。
もし手伝えることがあるとすれば、可能性を示唆して、そっと背中を押してやることしかありません。どちらにしても、まず本人がやる気にならないと、話にならない。
「スタコラスイッチ」はアイデアの動かし方を学びます。最初、学生達はどうしても頭の中だけで装置を考えてしまって、手を動かそうとはしません。「取りあえず、喋ってないで実際になんか作ったら?」その一言で彼らはやっと動き出します。あとは切ったり貼ったりしてると、勝手に楽しくなってくる。
考えて作るのではなくて、作りながら考える。すなわち頭で考えるのではなく「手で考える」授業でした。そのうちここをこうしたいと拘り出す。うまく出来ないから悩む。また手が止まる。「こだわってもいいけど、囚われないように!」とかいうと「じゃあこれはやめて、こうしよう!」とまた別のことを考え始める。装置は、ダンボールとかガムテープで作ってあるから、すぐに壊れるし、倒れるし、はがれる、でも関係ない。壊しては作り、壊しては作る。スタジオ中がゴミだらけになる。
完璧な「ピタゴイスイッチ」にくらべれば「スタコラスイッチ」は精度も低いし、見た目も汚い。しかし、クリエイティビティは凄く高い。本当に学生達の素晴らしいアイデアや偶然がたくさん詰まった作品が一杯出来気あがる。みんなぐちゃぐちゃの装置なのに、ちゃんと動いてました。
この授業の最後に必ず伝えてた言葉です。
京大変人講座
まあ、越前屋俵太はこんな授業を大学でやっているわけですが、長い間大学にいると、それなりに色んなことがわかってきます。
大学教授って頭がいいんだ!と、一方的に思ってらっしゃる一般の方々に限って、何がどう凄いかなんて詳しくはわからず、取り敢えず大学の先生だから凄いんだ!とばかりに、いとも簡単に学問を神棚にあげてしまいます。
そのくせ、大学教員が一般人とかけ離れた言動なんかが少しでも見て取れると、「大学の先生は頭はいいけど、世間を知らないからダメよね!」と、今度は、これまたいとも簡単に神棚から引きずりおろして、小馬鹿にしてしまう。
どうも世間と言うのは身勝手です。最近の大学が一般の人向けに開催する市民講座などは、中高年の方々に大人気で結構の人が受講される傾向にあるようです。これは大変良いことだと思うのですが、ちょっと疑問に思うのは皆さん本当に、先生が喋られていることを理解されているのかな?ということです。難しい話をいかにもわかった振りをしながら聞いている方もらっしゃるのではないでしょうか。質疑応答では、一部の方が、質問ではなく、道場破りのように自分の知識をひけらかしながら、延々と自分の知っている事を先生にぶつけたりされる場合がほとんどです。確かに知識は大切だとは思いますが、自分のしらない事を教えて貰えるから嬉しいとか、偉い先生の話だからいい話だ!というのはやはりおかしな話です。
知っているということがそんなに凄いことなんでしょうか?
知らないと思っている人達は、やはり知っている人が偉いと思ってしまう。本当は知ろうとする探究心が大切なのであって、知っていることが凄いわけではない。本当は知らないという事を知っている事が大事であって、知ったかぶりは良くない。ソクラテスのいう「無知の知」ですね。
すなわち、知識を知っている喜びではなくて、知ろうとする行為の楽しさや、知る方法、追究の仕方を学ぶことが大切だと思うようになりました。
僕は知識ではなく、先生方が面白がっている世界観を世間に伝えたいと思いました。そういう私の気持ちに賛同してくれる教授が京都大学にらっしゃいました。「京大的アホがなぜ必要か」の著者 酒井敏教授です。その先生と京大変人講座を立ち上げました。僕は京大の変人先生の世界観を伝えるディレクター兼ナビゲーターをさせて頂いています。
京大変人講座という名前の本も出版されているので良かったら読んで下さい!京大が誇る変人教授の面白い考え方を沢山紹介しています。
ここではタイトルだけを少し。
1 毒ガスに満ちた「奇妙な惑星」へようこそ―学校では教えてくれない!恐怖の「地球46億年史」
2 なぜ鮨屋のおやじは怒っているのか―「お客さまは神さま」ではない!
3 人間は“おおざっぱ”がちょうどいい―安心、安全が人類を滅ぼす
4 なぜ、遠足のおやつは“300円以内”なのか―人は「不便」じゃないと萌えない
5 ズルい生き物、ヘンな生き物―“単細胞生物”から、進化の極みが見えてくる
6 「ぼちぼち」という最強の生存戦略―未来はわからないけど、なるようになっている
僕が生まれ育った京都には、京大の変人教授に負けないぐらい、あらゆる業種の変人がいます。曲がった事が嫌い、我が道をゆく頑固者 表現はどうであれ みんな間違いなく皆さん「変人精神」の持ち主です。
そんな「変人」を紹介していく企画がいよいよ始まります!
名付けて「京の変人烈伝」乞うご期待!