お正月から7日正月まで、お休みの間はどうしてこんなに早く過ぎて行くのでしょう?
おめでとうさん、て言うたらすぐに七草を買いに行かんとあきません。

さて、前回までお正月のお飾りやおせちなどの説明をさせてもらいましたが、今回は七日正月についてのお話をいたします。「京都人度チェック」としてご紹介していますが、古代から現代まで、日本人すべてが抱く「無病息災」への思いを込めて出題しております。

 

京都人度チェック① 七草がゆ、食べます?

これは問題を出題しているというより、確認のようなものですね。

①七草がゆを毎年食べますか?

正解があるというわけではなく、京都の人やったら食べててほしいなぁと思っています。京都人だけでなく、日本人すべてに意識してほしい行事ですね。

1月7日は新年から初めての五節句の日、「人日(じんじつ)」です。中国の6世紀ごろの本「荊楚(けいそ)歳時記(注1)」には、この日が「人の日」であると書かれていて、この日だけは刑罰を行わないのだそうです。また、日本には奈良時代からお正月に若菜摘みをする風習があり、この2つが習合し、春の七草を食べて健康を願う日になりました。おせちやお雑煮で疲れた胃にはとってもやさしい七草がゆ、美味しくて嬉しいですよね。

さて、春の七草、言えますか?学生さんとか若い人たちに聞いてみたら、ほとんど言えないんですよねぇ。もちろん七草がゆも食べてない。こんな素敵な文化を知らんとはもったいない話です。これをお読みの方はきっと京都好きの方なので、ご存じですよね~!

「せりなずな ごぎょうはこべらほとけのざ すずなすずしろ これぞ七草」(注2)

私はこの歌で覚えましたよ。まずは名前だけでも覚えて行ってほしいなと思います。

今年ははこべら(左)がやたら多かった!

今年ははこべら(左)がやたら多かった!

京都人度チェック② 七草がゆの囃し歌

さて次のチェックも歌の問題。

②七草を刻むときの歌を歌ってください。

「え、七草がゆ作るのに歌を歌うの?」と思った方には、まず七草がゆの作り方を説明しながらご紹介しましょうね。

1.前日夜、七草を塩ゆでします。塩もみだけするお家もあります。

2.7日の朝、七草を「囃(はや)し」ます。「囃す」とは、歌や踊りの調子を取ることですが、御所ことばでは「切る・刻む」意味もあり、ここでは、七草を包丁で刻み、まな板をトントン叩いて拍子をとりながらこの歌を歌います。
  
 「とんとの鳥が 日本の土地へ 渡らぬ先に 七草なずなを 祝いましょう♪」

3.囃し終わったら七草を軽く絞り、お粥さんの中に混ぜて、まずは仏さんへのお供え用が完成。

4.仏さんへお供えしたら残りのお粥さんにお餅を入れ、卵を引いてできあがり!
卵入れんと家族が食べてくれへんのです~

仏さんへのお供えには生臭ものである卵は入れたらあかんので、卵を足すのは必ず後に!


 

「とんとの鳥」は恐ろしい鳥だった!

さて歌に戻りましょう。
最初の文句の「とんとの鳥が」の「とんと」とは何のことやと思いますか?

これを漢字で書くと「唐土」となります。ということは、つまり、中国(大陸)のこと。
すると歌の意味はこうなりますね。

「大陸から(疫病を運ぶ)鳥が渡って来る前に、七草がゆを食べて厄払いしましょう」

「唐土の鳥」という言葉は、700年ほど前、14世紀中ごろの「桐火桶」という歌論書の中に初めて出てくるそうで、そこにも

「唐土の鳥と、日本の鳥と、渡らぬ先に、七草なづな、手につみいれて、亢觜斗張(こうしとちょう)(注3)」

と歌って七草をたたくと書かれています。この「唐土の鳥」は、初めにご紹介した中国の書「荊楚歳時記」には「鬼車鳥」として出てくるのですが、七日正月の夜に飛んで来て人の魂を奪うという恐ろしい怪鳥なのです。それを七草をたたく音で追い払おうとしたのがこの歌やということでした。

昔の人にとって、大陸から疫病を持ち込んで来る渡り鳥というのは、「唐土の鳥=鬼車鳥」のように命を奪う鳥だったのでしょう。今のような医療技術も無く、人々はおまじないと祈りしか方法がなかったのです。いや、現代でもまだ鬼車鳥を追い払えていないかもしれません。祈りはいつの世にも必要なものだと信じています。

 

さまざまな囃し歌

この歌は京都以外の地方にもさまざまな形で残り、長く歌われてきたようです。「京都」は「日本人の文化のルーツ」、この習わしも京都から日本各地に広まったのでしょうか。

たとえば茨城では
「七草なずな、唐土(とうど)の鳥が、日本の国に、渡らぬ先に、ストトントントン」(注4)

という歌が。リズミカルな包丁の音が聞こえてきそうですね!

鳥取では
「唐土の鳥が 日本の土地に渡らぬさきにせりやなずなや 七草そろえて繁盛 ホーイホイ」(注5)

となります。「追っ払う」うちに「ゲン担ぎ」のほうに行ってめでたい歌に。

山梨では
「唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬ先に、あわせてこわせてバッタバッタ」(注6)

歌の後半では大きな鳥と戦っている様子が浮かんできそうです!

囃し歌を調べて行くと、伝わっていくうちに各地にたくさんのバージョンが生まれ、それぞれの地域に合ったものに変化して行ったのやなぁというのが見て取れました。でも思いは1つ、「疫病を防ぎ、無事に過ごしたい」ということです。

そして少なくとも、すでに700年前には七草の上でトントンしてた日本人が、今ほど感染症に勝ちたい気持ちが強い時はありません。鬼車鳥を退散させるべく、私も今年は心を込めて、より強くたたいて歌いましたよ!

「とんとの鳥が 日本の土地へ 渡らぬ先に 七草なずなを 祝いましょう!!」

疫病退散!!

注1:6世紀に中国の揚子江中流域地方を中心とした年中行事記。梁の宗懍著
注2:「年中故事要言」元禄10年(1697年)刊に見える
注3:天球を分けた二十八宿の区分のうちの4つ
注4:茨城県鹿島郡鉾田町の歌。 WEB本の雑誌「私の好きなわらべ歌」
注5:鳥取県西伯郡大山町国信の歌。
鳥取県立博物館サイト 注6:山梨県立図書館レファレンス回答
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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
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