2.ちゃんと満年齢の数があるのを確認して、おひねりにします。

父は93才まで生きたので、晩年はなんと半紙1枚では包めなくて、2枚ずらして重ねたものを使いました。ビックリするほどのかさでしたが、よう考えたらありがたい事やったなぁと。

3.おひねりができたらそれを手に持って恵方を向きます。そして頭から順番に、身体の
各部分をそのおひねりでさすりながら、こんなふうに願掛けします。

「頭が痛うなりませんように、目がずっと良う見えますように、花粉症がひどくなりませんように…」

途中で顔さすって

「シワがいっぱいできませんように…」

とか健康と関係ないことも挟みながら、足のつま先まで進んでいきます。
そしてもちろん最後には

「感染症にかかりませんように。」

これ一番大事ですね!

若い頃、両親がいつまで経っても終わらへんので「遅いなぁ」と思ってましたが、最近私も長うなってきました。そら年いったらいくほどしんどいこと増えてきますしね。

4.全部さすり終わったら、そのおひねりを恵方のほうへ向いたまま、ポーンと頭越しに後ろへ投げます。そして、できるだけ後ろを向かんようにして豆を回収。他の人がいたら、代わりに拾ってもらいます。全員終わったら、豆を四角に包みなおして、名前と生年月日、年齢を書いておきます。丁寧な方は住所まで書かはるようです。

名前まで書いたところ。

名前まで書いたところ。

後ろを向いたらあかん、てところは、豆を四辻に置いてくる習わしの動作と似てますね。払った厄をまた拾わんようにするのが大事なんです。

5.包んで書き終わったら、氏神さんのところへ行きますよ。
私が行く北野天満宮さんには豆入れがあるのです。

そちらに納めてお詣りをして終了!


 

とうとう謎が解けてきた!

長いこと、これをやったことある方を見つけられへんかったのですが、ある日ついに見つけました!なんと、西陣和装学院学長の毛利ゆき子先生!毛利先生の著作「京都西陣 きもの町」の中で見つけたのでした。(注2)

…おばあちゃんは「足が痛うならんように」、お母ちゃんは「家中が仲良く、元気で暮らせますように」と、家族みんなが思い思いの願いを託しながら「西の海へさらり」と言いながら頭の上を越してポイと後ろに放ります。…

「うわぁ、やったはる人がやはった!」

うちだけの行事やと思ってたので、見つけたときはホンマに嬉しかったですね。後になって、お茶を習っていた先生や西陣の織元さんもやったはると聞いて、やっぱりこれは京都の習わしなんや、と確信したのでした。これはよその地方ではほとんど聞きませんし、調べても出てきません。しかも、やったはるお家は京都でもほぼ上京区の方でした。

ちなみに、この文中に出てくる「西の海へさらり」という言葉、私の家では言わないので調べてみたのですが、江戸後期にあった厄払い行事にこの言葉が出てきました。

江戸時代、京都や大阪、江戸でも「厄払い」というような言葉で呼ばれる門付け芸人が、節分の日にはこんな呼び声をかけて、それぞれのお家で厄払いしたお豆さんを小銭とともに回収していたそうです。(注3)

「あぁらめでたいなめでたいな… いかなる悪魔が来るとも此厄はらひがひつとらへ
 西の海とはおもへどもちりらが沖へさらり」

「西の海」も「さらり」も出てきます。言葉一つにしても歴史があってとても興味深いですね。

古くから京都にやはるお家がこの行事をやったはるのですが、こういった習わしは、よく御所の行事を真似していることが多いです。例えば以前書いた「根引松」(注4)も平安時代・貴族のお正月の行事を真似たものでした。そんな記録が残ってへんかなと思って探してたら、ありましたよ。

久邇邦明さんが書かはった「少年皇族の見た戦争」のなかにあった一文。

…半紙のような紙に年齢に一つ足した数を包み、それで体を擦る。きっと「鬼は外」で、身体の悪いものを摂るというおまじないなのだろう。擦った後、その豆が入った紙包みを後ろに放る。…(注5)

久邇邦明さんは、戦前は皇族だったので、これは皇室の習わしだったのでしょうか。これも昔、京都の御所から漏れ出た習わしを町衆が真似をしたのではないかな、と思っています。

ところで、最初2つ目のところで「豆を食べる」と書きましたが、この豆の数は「満年齢」ではなく「数え年」の分だけ食べます。次の日、立春に「年をとる」という考え方です。母はいつも、豆を投げたあと、「さぁ、はよ年取ろ!」って言うて豆を食べ始めました。

ということで、今年まだお誕生日が来てなくて節分の時点で20才の人は、満年齢が21才なので数え年が22才となります。一気に年がいった気分になるので、数を数えるときビックリ、私くらいになるとガックリくることになります。また、もう30代40代以上になってくると、年の数だけ食べるって大変になってくるので、ここは省略した食べ方をします。

例えば数え年50才なら、5+0=5個、5個食べたら終わり。70才でも7個。これなら食べられますね!そやけど、私はもっと年がいって入れ歯になったらしんどいかなと思うので、そのときにはきな粉でも食べとこかなって思ってます!

あ、そうそう、今は恵方巻をまるごと食べるっていうのもありますが、あれは京都の習わしではありませんので、うちでは全部「切って」いただいてますよ!

節分に美味しい巻きずしが買えて晩御飯作らんでも良いので、一家の主婦としては、これはこれで有難いです!


例年は各神社へのお詣りや、千本ゑんま堂や千本釈迦堂、壬生寺の狂言を見て楽しんでいる方たちも、今年はお家でも厄払い・鬼払いをしっかり、そして楽しんでやりましょうね!

注1:仁和3年8月17日深夜10時ごろ、平安京大内裏内の「宴の松原」で若い女性が 襲われ手足のみが残っていたという事件が起こり、これは鬼の仕業であろうということになった、と平安時代の歴史書「日本三大実録」に記述されている。
注2:「京都西陣 きもの町」毛利ゆき子著 p.16「豆まき」
注3:「近世風俗志」喜多川森貞著(天保8=1837年~)
注4:KYOTO LOVE KYOTO「歳神様へのご挨拶 ~お正月の習わし~」鳴橋明美
注5:「少年皇族の見た戦争」久邇邦明著 p.54
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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
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