本能寺の変には黒幕がいた? 信長の野望編
「本能寺の変黒幕説」連載のトリを飾るのはなんと織田信長その人です。あり得ない話だと思われるのはごモットモ。でも、そこが歴史の摩訶不思議なところ。天才・信長の打ち手が回りまわって己の命を奪うという皮肉な結果を招いたのです。
※本稿は黒幕説の真偽を問うものではなく、その説に至った背景や人間の姿を通して見える歴史の奥深さを伝えるべく執筆しました。
秀吉が天下をとるためには、この3人よりも上位に立たねばなりませんよね。そこで、まずは三男信孝に難クセをつけ切腹に追い込み、ついでにその母つまり主君信長の妻(側室)も死刑に処します。信孝は無念のあまり、割腹の際に自らの臓物を壁にたたきつけて秀吉への呪いの言葉を発したそうです。次に二男信雄を挑発し戦をけしかけます。このとき信雄と同盟を結んだのが徳川家康であり、これが秀吉vs家康の一戦となった「小牧長久手の戦い」です。秀吉は苦戦するものの言葉巧みに信雄を篭絡し和睦。しかし、後に信雄が秀吉の意に従わなかったため、所領をすべて没収してしまうのです。さらに本来であれば主として仰ぐべき、織田家の当主となった三法師が成長した後も、結局13万石程度の中級大名にするだけでウヤムヤにしてしまうのです。これにて秀吉による織田家の乗っとりが完了します。
いかがでしょうか、秀吉は主君の妻、息子、孫を殺し、あるいは冷遇することで織田家を骨抜きにしました。秀吉といえば底抜けの明るいキャラクターのイメージが強いですが、陰ではこれだけのエグいことをしていたわけです。でも逆にこれだけのことをしながらも、後世に悪名を残さなかったことが秀吉の一番スゴイところだと思います。「人たらしの秀吉」といわれる所以です。
ここまでを整理すると、信長は自らが取り立てた光秀によって命を奪われ、同じく秀吉によって織田家を乗っとられたことになります。何事もゆき過ぎるとシッペ返しを食らうものですね。そして、これらをつぶさに見ていた家康が「過ぎたるは及ばざるがごとし」を信条に徳川260年の時代を築いたというのも皮肉なことです。
歴史が与えた信長のミッションとは?
以上見てきましたように「予は予自ら死を招いたな」のセリフには、いろいろな解釈が成りたつことが、おわかりいただけたかと思います。信長を死に至らしめたのは信長自身であった。本能寺の変を引き起こしたのは結局、信長その人であったといえるのではないでしょうか。
本能寺の変について私はこう考えます。歴史には何人たりとも逆らえない「流れ」というものがあり、多くの出来ごとは何らかの必然性があって起こっているのではないかと思います。たとえてみれば「神の見えざる手」とでもいいましょうか、そんな不思議な力が働いているかのようでもあります。その視点で見れば、戦国という混迷混乱のカオスな状況にあって、織田信長という男は時代の要請によって現れた英雄といえます。彼に与えられた使命は、カオスそのものを破壊しリセットすることまででした。その信長にお役御免とばかりに引導を渡す役を光秀に、そして新しい秩序を作ることは秀吉に、さらにその秩序を安定させることは家康に、とそれぞれに命題が与えられたのではないでしょうか。だから戦国時代を終わらせる大仕事は信長、光秀、秀吉、家康の4人がかりでようやく成しとげることができたのだといえます。
そう考えると、信長の「是非に及ばず」の言葉には、「俺の使命は果たした。だから悔いはない」そんな想いが込められているのではないかと思えます。本能寺の変、それは信長が天下統一を志したとき、すなわち「信長の野望」とともに最初から用意されていたシナリオであったのかもしれません。
夢幻の如くなり
永禄10(1567)年、尾張・美濃の両国を支配した織田信長は、自身の書状に刻む印判を「天下布武」とした。中世の弊習を廃した新しい社会の樹立、すなわち天下統一を宣言したのだ。この天下布武の4文字が「信長の野望劇場」の幕開けとなった。信長の独創極まる政策と戦術、そして彼の揺るぎのない意志力によって瞬く間に中央を制圧。100年続いた戦国の時代は、わずか10年で信長の手によって終焉を迎えようとしていた。しかし、神が描いた脚本は残酷なものだった。最も困難な破壊者の役割をまっとうし、自らの理想に向かって突き進んだ男に最後の果実は与えず、主役の交代を迫った。信長の野望劇場、終幕の舞台は京都本能寺であった。
(編集部/吉川哲史)
明智光秀と本能寺の変/小和田哲男 清須会議の謎/小和田哲男
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歴史捜査 明智光秀と織田信長/明智憲三郎
戦国エンターテイメントマガジン歴史人「信長と光秀 本能寺の変の謎」
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祇園祭と西陣の街をこよなく愛する生粋の京都人。
日本語検定一級、漢検(日本漢字能力検定)準一級を
取得した目的は、難解な都市・京都を
わかりやすく伝えるためだとか。
地元広告代理店での勤務経験を活かし、
JR東海ツアーの観光ガイドや同志社大学イベント講座、
企業向けの広告講座や「ひみつの京都案内」
などのゲスト講師に招かれることも。
得意ジャンルは歴史(特に戦国時代)と西陣エリア。
自称・元敏腕宅配ドライバーとして、
上京区の大路小路を知り尽くす。
夏になると祇園祭に想いを馳せるとともに、
祭の深奥さに迷宮をさまようのが恒例。
著書
「西陣がわかれば日本がわかる」
「戦国時代がわかれば京都がわかる」
サンケイデザイン㈱専務取締役
|八坂神社中御座 三若神輿会 幹事 / (一社)日本ペンクラブ会員|戦国/西陣/祇園祭/紅葉/パン/スタバ
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