昨年の3月は緊急事態宣言で、4、5月とほぼ社会生活が止まってしまった。1年後の今も昨年と同じような状況が続いている。いつもなら、歓送迎会で宴たけなわであるはずなのに、自粛が続いている。今年の3月など勤め先の親睦会費はほぼ全額が戻ってきた。社会生活が回っていないのだなとつくづく感じられた。

ひとりよがり?ひとりあがり?

さて、今は行われていない宴席でのことである。最初は隣同士で、身の回りのちょっとした話題で話していた者が席を立ち出し、気の合った者同士で酒を酌み交わしていると、時として思わぬ方向に話が進み、社会や国家を論じ合い、得意満面に話し出す人が出てくる。するとどこからか、「ひとりあがりして」という声が聞かれた。ひとりよがりではなく、「ひとりあがり」なのである。

ひとりよがりを漢字で表せば、「独り善がり」と書く。見ての通りの「独善」である。自分が良いと思っていることを押し通そうとする態度や行動のことである。つまり、そこには思い上がりやうぬぼれという要素が入っている。それに対して「ひとりあがり」は、大きな話を得意げに話すという事実を表すことばと捉えればよい。また単にそんな話をする人への皮肉と捉えてもよい。ゆえに、その場では最大に厳しい態度を表すことばであるが、いったん過ぎてしまえば、批評ではないので、その場限りとなってしまう。それが京ことばの特徴の一つと言っていい。

 

客が愛想を尽かすことから「おあいそ」

次の場合は、京ことばではないが、こうした京都的ことばの使われ方を覗いてみよう。
今度は、宴会ではないちょっとした仲間内の飲み会である。ぼちぼちお開きが近づいてくると、その日の幹事は「おあいそ」と言い出す。この「おあいそ」、京ことばも含めた関西圏でよく聞かれることばである。関東などでは、「お勘定」だろう。

もともと店側のことばであり、今日の勘定書きを見た客が愛想をつかすことからのことばであった。それがいまでは客側のことばとしても使われるようになった。

話は脱線するが、この「おあいそ」ということば、京都では、こうした使い方とともに、客へのサービスとしての意味にも使われる。例えば、「おあいそに、一つ舞ってんか」のようにも使う。また、お使いにきた人に対して、受け取った風呂敷にちょっとしたお菓子などを入れて労をねぎらう時に、「ちょっとおあいそ渡しといて」とか、そのお菓子などがない時などは、「おあいそものうて、すんまへん」などと言う。

 

割り勘ではなく「あたまわり」と言う京都人の心

話は横道にそれたが、その勘定書きを受け取った幹事は、席に戻って、「あたまわりにしようか」という。若い人なら、「わりかんでいくと……」などと言って、お金を集めて回る。この「あたまわり」と「わりかん」、どちらのことばを使うかによって、京都の人かどうかがわかるのである。どちらも標準語として、一般の辞書に載っている。いわゆる京ことばではない。

手元にある小学館の「新国語例解辞典」で「あたまわり」を引いてみると、「収入や支出などを、関係した人全員の人数で平等に分けること」とある。
同じように「わりかん」を引いてみると、「[『割前勘定』の略]かかった勘定をめいめいが等分に支払うこと」とある。意味としては同じであるが、決定的な違いが、この二語にはある。

「わりかん」を漢字で表すと「割り勘」であり、「あたまわり」を漢字で表すと「頭割り」となる。「割り勘」は「割り」も「勘」もお金に関することばであるのに対して、「頭割り」は「割り」だけがお金に関することばであり、しかも「頭」の後に付いていることが大事なのである。先に出してがんがん意味合いを強めるのではなく、後に引っ付けて、目立たぬような言い方を好む、つまり京都的ことばの使い方であると言えるのである。

 

てんやもん、けんずい、むしやしない…食事に関する言葉

さて、最後になるが、このコロナ禍で、飲食店もいろいろなテイクアウトを提供しているのだが、それを表す京ことばといえば、「てんやもん」ということばを思い出す。飲食店から買った食べ物で、もともと店頭販売用として作ってあり、注文で作るものではなかった。子どもの頃の記憶では、出前を頼んで丼とかうどんとかを家に持ってきてもらうものも「てんやもん」と言った。「今日はちょっと仕事忙しいから、てんやもんでも取ろか」といって頼んでいた。「てんや」は「店屋」と表す。

他に間食のことを「てんやもん」とも言った。この間食ということば、「けんずい」ということばのほうがよく知られている。

朝夕二食のころ、今の昼食のことを「けんずい」と言った。三食の時代になると、昼食と夕食の間の軽食を「けんずい」というようになった。大工さんに出す昼食と夕食のちょっとした休憩の軽食も「けんずい」といった。ただ、空腹を一時的にしのぐ軽食のことは、「むしやしない」と言う。腹の中の虫を養うという意味からである。「まだ夕飯までにはちょっと時間もおすし、むしやしないに甘いもんでも食べとくりゃす」などと言った。

コロナ禍で忘れかけていた京ことばをちょっと思い出してみると、お家時間も楽しいものである。

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京ことば研究家
西村 弘滋

 
京ことば研究家
京都市教育委員会 総合教育センター 総括首席指導主事

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