この図は、江戸時代の七夕を描いたものです。子どもらが飾りのついた笹持って、わ~言うて走ってますね。大人が見たら「これこれ、笹持って走らんときよし(走ったらだめ)!」て言いたなる情景です。よそ見してるし、そのうちこけまっせ。

さて、この笹をよう見ると、提灯と梶の葉を挟んだ紙が吊るしてあります。提灯おっきいですね。これ重たいですわ。そうそう、今の折り紙の飾りにも提灯がありました。また1つ、今の飾りとの共通点が見つかりました。

梶の葉を挟んだ紙には、歌や願い事が描かれていて、どうやら短冊代わりに使わはったようですねぇ。短冊もぶら下がってるけど紙が高いし併用してるのか、短冊へ変わっていく過渡期やったのか?どちらにしても今の短冊は梶の葉の代わりというてもええのかもしれません。また、この梶の葉には「二星」て書いた短冊も下げられています。これの意味はもちろん織姫と彦星のこと。今の笹飾りでいうたらキラキラお星さまです。なお、この笹は飾り終わったら鴨川に流しに行ったようで、これは今では絶対にできませんね。


冷泉家の乞巧奠でも梶の葉を用いるお供え物があります。五色の布にはそれぞれに梶の葉が飾られ、お星さまを映して見るために水を張ったたらいの中にも梶の葉が浮かべられています。形は変わっても、民間にも風習として伝わり、そして今の七夕へも受け継がれてきたんやな、ていうことがわかりますね。

梶の葉は、今はお茶のお稽古や料亭でお料理の下にひ(敷)いてあるのを見るくらいですが、私もこの笹飾りをちょっとやってみたなったので、探してみることにしました。
そしたらあった!
京都文化博物館(注9)で見つけました!

が、残念ながら葉っぱはほんまもんとちゃいました。しかし昔の絵にあったみたいに、こよりで吊り下げられるようになってます。文字は、挟んでいる紙ではなく葉っぱ自体に書いている絵を見たことがあるので、内緒のお願いごとは葉の裏に書いてみましょかね。

 

「七夕さん」とは?

そしてさらに時代は下り、幕末から明治中期の飾り物のお話です。着物の形をした「紙衣(かみこ)」という飾り。紙で作ったミニチュア着物「七夕さん」です。この時代の京都では、女の子が紙を使って小さい着物を縫うて、裁縫上達を願い笹の葉に吊るしたんやそうです。まるで、着物を虫干しするかのように。そして、飾りが済んだら「着物が増える」ていうて箪笥に仕舞いました。私は梶の葉に字を書いたことはないけれど、この古い「七夕さん」は見た記憶があります。「いつから生きてたんや?」とか言わんといてくださいね。そやけどこれ、皆さんも見覚えがあるのとちゃいますか?折り紙で作った着物の笹飾りを、提灯やスイカと一緒に見やはったことあると思いますよ。笹がどんどん歴史で重うなっていきます。

ところで、先ほどの梶の葉も売ってたことやし、これもあるのとちゃうやろか?と思って探してみましたよ。するとはい、おんなじお店でありました!自分で着物を作る用の紙と完成品の両方がありましたが、ちょっと自信がないのと、「だいぶ」めんどくさいのとで、出来上がった方を買うてしまいました。ほんまは自分で紙を裁って、自分で針持って縫わなあかんのですよ。これではお針の上達もせんし、着物も増えませんわねぇ。

▲本格的な造りの「七夕さん」

▲本格的な造りの「七夕さん」

昔に作られた「七夕さん」は、かなり本格的な「着物」でした。振袖もあれば羽織もある。男物の着物までありました。そして衿元や袖口には豪華な飾り房が付けられていました。千代紙というには豪華すぎる模様が刷られ、一枚一枚しっかりとした着物に仕上げられていました。なんというても京都は、最高級の織物が織られている「西陣」がある町です。着物に関してはどこにもひけをとらん、というプライドが「七夕さん」から見えるような気がしたのでした。

着物の袖に付ける水引の飾りはお店で販売されてたのですが、実はうちの仕事は組紐と飾り結び。これは自分で作らなあかんと思い、飾りを付けてみましたよ。袖の房頭は菊結びと几帳結び、その下には古式に則った5色の房を付けてみました。きっと昔の「七夕さん」も女の子が自分で工夫を凝らして、自分だけのきれいな紙衣を作ったのでしょう。

オホホ、縫い上がった紙衣を買うた引け目がちょこっと収まりましたわ。


 

京都人が七夕にすることは…?

で、結局、「京都人は七夕に何をしますか?」というチェックには、なかなか答えにくいところですが、ちょっとずつまとめてみましょう。まずはここまで京都の七夕の歴史をたどりながら、どこでも行う笹飾との共通点を見てきました。現代の笹飾りであるスイカ・提灯・短冊・吹き流しにお星さまは、昔の京都のお供えや笹飾りの瓜・提灯・梶の葉・糸や布・「二星」が形を変えた物でした。

しかしそれだけでは「京都人は何をする」の答えになっていません。そこで京都特有と言えばということで、短冊代わりの梶の葉と豪華な「紙衣」の「七夕さん」を紹介しました。この「梶の葉」と「七夕さん」の形は、昔とは少し変わったけれど今も吊るすことができる笹飾りです。どちらも大変京都らしいもなので、笹飾りで京都らしさを味わいたい方は是非やっていただきたいです。

そしてもう1つ、昔から変わっていない、とても京都らしいものを見つけました。それはお供えのお菓子、「索餅(さくべい)」。「索餅」は、中国から伝わった唐菓子を原型としたお菓子で、七夕の夜に宮中で供えられました。生地は米粉メインのういろで、2本のひも状のものを撚り合わせた形にしたものです。

索餅が七夕に供えられるようになったのは、実はあんまり織姫とは関係ありません。簡単に言うと、「昔の中国の神話に出てくる王様の子どもが7月7日に亡くなり、鬼になって病気をまきちらすので、大好きやった索餅をお供えしたら病気が収まった(注10)」ていう話から来ているということでした。また、七夕には付き物のお素麺の祖とも言われていますが、私には全くの別物に見えますね。お素麺は食事、索餅は美味しいお菓子やないですか。「しんこ」て知ったはりますか?上新粉で作ったお菓子で、関東でいうたら「すあま」に似ています。索餅はこのしんこの親戚みたいなもの。ほんのりとした甘さで、もちもちとした口当たりがクセになるのです。

▲塩芳軒製「索餅」

▲塩芳軒製「索餅」

実は、平安時代からお供えされていたこの索餅が、今も西陣の京菓子屋(注11)さんで予約販売されています。これを食べることやったら今でもできますね!是非是非平安時代の七夕祭を思いながら、真の京都の七夕を経験していただきたいです!

結局食べる話かいな、て思った人、正解です。京都の行事は京菓子がつきもんなので、これでええのですわ。由緒ある笹飾りをつけたらお菓子を食べる。七夕の食べ物はお素麺だけとちゃいますよ。京都以外の京都通の方は索餅を「そんなこと知らん!」て言う京都人に教えてあげてくださいね!

注:
(1)日本にもともとあった「棚機津女」と中国の行事が混ざり合ってできたという説もありますが、ここでは乞巧奠のみをもとにしてお話しています。
(2)青木博彦「大文字古記録の研究」p.122参照。
(3)祭神は栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)。織姫に機織りを教えた神ですが、今はものづくり全般の上達を叶えるといいます。なおこの織姫社七夕祭は、崇敬者だけのお祭で一般公開されていません。
(4)「江家次第」平安時代の宮廷の儀式を記述したもの。
(5)平安時代後期に描かれた儀式書(古事類苑歳時部p.1231)
(6)「延喜式(平安時代の儀式書)」より
(7)応仁の乱後、西陣に住み着き大舎人座を作り、西陣織を作り出した人たちです。
(8)「今宮神社由緒略記」には織姫社の昔の所在地は記されていませんが、「白雲村・村雲村があり、そこで絹などが織られていたころから織物の祖神として祀られて」の記述があります。
(9)京都文化博物館内店舗「楽紙館」にて販売
(10)「古事類苑歳時部」の「公事根源」・「年中行事秘抄」などに収録
(11)西陣の塩芳軒さんでは7月7日ごろ~旧暦の七夕の時期、3日前までに予約をすれば購入できます(写真の索餅は予約注文品とは違います)。他店では揚げた索餅が販売されているところもあります。
*後半部の歴史に関する解説は「季節を祝う京の五節句」中の石沢誠司著「七夕」を参考にいたしました。
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鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
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