▲カササギ

▲カササギ

(撮影:MabelAmber)

そしたら、昔の人はどんなふうにして鵲鉾を作らはったんでしょうか?どんな鉾か見てみたいですよね。江戸時代の「年中行事大成(注7)」には、昔あった鉾として鵲鉾の絵が描かれています。想像だけやなくて室町時代の絵(注8)をもとにしているので、まぁ信じてもええかなという図ですね。

▲鷺の頭についている「笠」に注目!

▲鷺の頭についている「笠」に注目!

(年中行事大成より)

唐傘の上には橋が架かっています。鵲が作った橋をイメージしてるみたいですね。そこには鳥がとまっていて、鳥の上には笠がついています。そしてその横には鳥のコスチュームを着けた人が2人、踊ってますね。あら、その鳥の頭にも笠があります。なんで?

まずこの鳥ですが、どう見ても鵲ではありません。白いですし、どうやら「かささぎ」やなくて「さぎ」のようです。さぁこのあたりでわかった方おられますか?

「さぎ」のような鳥の上に「笠」がついてます。はい、上から読んだら変身しますよ…

「かさ…さぎ……かささぎ!」

なんと、ダジャレ?!昔の人もシャレが好きやったんですかねぇ。「鵲鉾」は文献には「笠鷺鉾」と書かれていることもあるので、まさに文字通りの姿です。唐傘の上にも「笠」のついた「かささぎ」がいるので、この唐傘の鳥も「かささぎ」。また、この唐傘は当時の山鉾リストには「かさほこ」と書かれていました。つまりこの唐傘と鷺舞を並べても、「傘(かさ)鉾」+「鷺(さぎ)舞」で「かささぎ」になりますね。(注9)なんとようできてること!昔の人たちの洒落心に脱帽です。

 

今に残る鵲鉾の名残

応仁の乱のために寺社や多くの住居が焼かれて、それまでの社会秩序や制度までもが壊され、新しくリセットされたことが多かったんでしょうか、応仁の乱以降、鵲鉾も姿を消したということです。鵲鉾を構成してた傘鉾と鷺舞のうち、傘鉾の方は消えてしまいましたが、鷺舞はごく最近子どもの鷺踊りとして復活しました。

▲八坂神社鷺踊り奉納

▲八坂神社鷺踊り奉納

(撮影:中野貴広)

▲室町時代の鷺舞

▲室町時代の鷺舞

鷺踊りの子ども達、とっても可愛らしいですね。しかし実は、この写真はものすご大事なことを教えてくれてるのですよ。鷺の頭の上を見てください。笠が付いてますね!これがあの応仁の乱で消えた「笠鷺鉾」の片割れやったという証拠です。こんなところにも室町時代の痕跡が残っている祇園祭。ホンマに歴史の深さに圧倒されるばかりです。

さて、この鷺踊りの復活に苦労しやはったところは、数百年も途絶えていたお囃子などをどう再現するかということでした。そこでどうしたのかというと、室町時代の京都から伝わった島根県津和野町の鷺舞をお手本にしたのやそうです。(注10)その鷺舞は2019年に、祇園祭1150年の記念として八坂神社で里帰り奉納をされました。津和野に400年伝えられてきた鷺舞は昔の風流が大変趣深いものやったので、数百年前の祇園祭が再現されて神さまも喜ばはったと思います。

▲八坂神社で奉納された津和野鷺舞

▲八坂神社で奉納された津和野鷺舞

(撮影:中野貴広)

ただ、津和野の鷺舞の鷺の頭を見てみると「笠」が付いてませんね。これは完全に「鷺」舞(注11)です。いっぽう、祇園祭の鷺踊りは「鷺」といいながら笠付きの「かささぎ」踊り。鷺舞から何百年も伝えられてきた歌を受け継ぎながらも、祇園祭ではこの「かささぎ」の風流を後世に伝えて行くことになるのでしょう。


 

「祭縁」で支えられる祇園祭

山鉾復活のあと、あの有名な言葉「神事無之共、山ホコ渡シ度シ(神事が無くても山鉾を巡行したいです)」が象徴するように、祇園祭は権力者に翻弄されつつも、氏子区域に住む人たちのより強い結束で運営されるものになりました。そやけど、祇園祭は昔からいろいろな意味でさまざまな地域の人たちが関わってきたお祭であったことは間違いありません。祇園祭を調べていて、祭に関わって結ばれるという「祭縁」(注12)という言葉を知りました。まさに祇園祭は地縁を越えた「祭縁」で支えられて来たお祭と言えますね。

ちなみに、私も主人と一緒に山鉾に必要な房と紐をいくつか作らせてもろてます。房紐は消耗品ですが、山鉾に使われる道具はみんな大事に保存されているので、これもきっと数十年は使ってもらえるやろと思うと力が入りました。どんな形でもよろしやん、お祭に関われるて嬉しいことです。

そやけどね、あんなに怒ってた母も、大みそかには祇園さんへ行って「をけら火」をもろてきてたそうです!母も祇園さんで一年の無事を祈ってたんですよ。あ、でも私…いまだにちまきを玄関に飾るのを躊躇してるんですよねぇ…トラウマ?氏子愛?なんでしょか。

▲玄関内に飾りました。

▲玄関内に飾りました。

今年も普段の祇園祭ではありませんが、変わらず氏子さんは氏神様である祇園さんに家内安全を祈らはるでしょう。そして祭縁をいただいた私らも、あの賑わいをもう一度取り戻せるよう祈りましょう。疫病退散!

注:
(1)「氏子制度~試される京都人の意地~」の記事中に貼っております。
(2)「平安神宮」は京都市全体が氏子区域です。各氏神さまの中に小さな氏子区域を持っている神社が他にもあるのですが、他区域の詳細が把握しきれず、今宮さん区域のみ記載しております。
(3)手伝い方・大工方・車方に分かれていますが、最近は全部同じ工務店に頼むことも多くなってきているそうです。(樋口博美「伝統的都市の祭礼にみる共同性の維持と創造~山鉾祭礼の「祭縁」を事例として~」)
(4)「祇園会山ほくの次第・応仁乱前分」より
(5)伝一条兼良「尺素往来」(室町時代後期)・伏見宮貞成親王「看聞日記」(室町時代前期)より
(6)「鵲のわたせる橋に置く霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける」大伴家持
(7)速水春暁斎著・画 文化3年(1806年)刊行
(8)室町時代中期の「月次祭礼図屛風(伝土佐光信)」を参考にしたもの。同時代にこの屏風を写した摸本が描かれています。
(9)河内将芳「室町時代の祇園祭」p.82
(10)(11)室町時代の京都から山口経由で津和野に伝わりました。津和野の鷺舞は一度途絶えたので、江戸時代にもう一度京都で習い直しをしたそうです。(河内将芳「室町時代の祇園祭」p.199)
(12)樋口博美(前出p.130)
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この記事を書いたKLKライター

鳴橋庵 店主・京都上京KOTO-継の会 会長
鳴橋 明美

 
上京の、形になりにくい文化(お祭・京都のおかず・伝統工芸・京ことば)の継承のお手伝いをする「京都上京KOTO-継の会」会長。
「鳴橋庵」店主。
「能舞台フェスタ in 今宮御旅所」実行委員会会長。

組紐とお抹茶体験を鳴橋庵店舗にて行っております。
合間合間に京都のお話を挟みつつ、楽しく体験していただけます。
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