『春日権現験記絵』は、京都の伝統文化により復元された
令和三年七月二十日から、国立九州博物館で「皇室の名宝展」が開催されます。この名宝展は宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵されている名品を未来へ継承していくために詳細な調査研究を経て、我が国に今でも伝えられている伝統的な技を入念に検討し、その結果得られた素材によって修理が進められたそうです。今回展示される名品の中には、たとえば鎌倉時代の絵巻物の名品が修理を終えて展示されるとありました。その絵巻物とは『春日権現験記絵』で、鎌倉時代に制作されて約七百年もの長い年月を経ていたこともあり痛み方がひどくなっていました。そこで平成十六年から修理を施す事となりましたが、その修理方法とはこれまでの部分的な修理と異なり、今回は本格的な復元・修理を施すことゝなり、慎重に検討されたこともあって十三年の歳月をかけて甦ったとありました。註①。
『春日権現験記絵』を復元・修理するにあたっては、上皇さまがお育てになられた蚕の「古石丸(こいしまる)」を用いて織られた絹織物が、表紙の復元に使用されているとありました。「古石丸」とは、我が国の在来種の一つで、その特徴は蚕がはく糸が非常に細くて艶があり、張力が強くて上質の絹糸を産するそうです。しかしながら、繭が小さくて生産性が低いこと。また機械を用いて糸を紡ぐことができないなどの理由から、一時は姿を消してしまったとのこと。ところが上皇様は京都御所では昔から「古石丸」を飼ってきたことをお知りになられ、上皇さまの強い願いもあって、現在の皇居で「古石丸」を飼うことができるようになったのだそうです。そのことが、今回の『春日権現験記絵』の復元修理におおきく役に立ったとありました。昔ながらの良い伝統が脈々と今に受け継がれてきたことが、今回の『春日権現験記絵』の表紙の復元修理に繋がったのです。
上皇さまは、昔からの宮中の伝統にしたがい、蚕をお育てになってきました。その様子を時折テレビのニュースで拝見してきました。ただ、どのような種類の蚕を飼われていたのかは知りませんでしたが、今回の「皇室の名宝展」に出品されている『春日権現験記絵』の内容を解説しているニュース番組で、私は、そのことを知りました。
現在の養蚕は、蚕が吐く糸の量が多い繭を中心に育てられているそうです。ところが上皇さまは、昔から伝えられてきた飼育法にて、我が国に伝えられてきた在来種を飼われてきたのです。そのことが、『春日権現験記絵』の復元修理に役に立ったことを知り、とても嬉しく思いました。
宮内庁三の丸尚蔵館に収蔵されている名品は、今は東京の皇居にあります。が、その昔は京都御所にあったもので、歴代天皇がお住まいになられていた京都御所内にて守り伝えられてきたものです。ということは、歴代の天皇を含む公家たちによって守り伝えられてきた宝物であったと云ってよいでしょう。その宝物も、長い年月を経ることで痛みが激しくなっていたのです。そこで復元修理をするため、現代の最先端の科学技術をもって調査をしてみると、上皇さまがお育てになられた蚕の「古石丸」が用いられていたことが判明したそうです。つまり、現代の先端科学と、古くから守り伝えられてきた伝統技術が融合することで、今回の本格的な修理ができたといってよいでしょう。そこには、京都の町を中心として深められ伝えられてきた伝統文化があったからです。京都を中心とした良き風習が『春日権現験記絵』を、六百年前に制作された姿をそのまゝに、現代に蘇らせることができたといっても言い過ぎではないと思います。
『春日権現験記絵』 奈良の春日神社の創建の由来と霊験とを、二十巻・全九十一 場面を描いた豊かで麗しい絵巻物。西園寺公衛(きみひら)の初願により、宮廷画家の高階隆兼(たかしな・たかかね)が描き、一三〇九年に同社に奉納された。鎌倉時代末期の代表的な絵巻物として知られている。原本は宮内庁三の丸尚蔵館が所蔵し、十八世紀の写本が、春日大社、東京博物館、その他に所蔵されている。