初めて記事を書かせていただく、京都旅屋の吉村です。まずは自己紹介から。出身は岐阜県。学生時代の4年間を京都で過ごしました。考古学を学びに来ましたが、1年で私には合わないと悟り、残りの時間で興味があった気象予報士の資格を取得し、運良く関東の気象会社に就職。その後、京都にハマり2006年に再び京都に引っ越してきました。2011年からはプロの観光ガイド「京都旅屋」の屋号で活動しています。

京都検定(京都・観光文化検定試験)では、最高峰の1級に2017年から4年連続の最高得点で合格。というと、詳しい話を知っていると思われがちですが、京都検定1級は「広い基礎知識を正確に」知っていることが問われるため、私の知識はそれなりに広くはあっても、研究者やその分野のプロのようにトップクラスに深いものではありません。ですので、KLKさんが見出しに出しておられる「京都人」ではない“よそもん“、「京都通」というよりは”京都オタク“。「歴史の裏側」を語れる研究者でもなく、何かに精通した「目利き」でもない人間です。ただただ観光客の延長として京都に棲みついた人間で、まだまだ私自身も京都について日夜学びを続けています。

それでも私が観光ガイドをしている(したいと思った)のは、やはり純粋に京都が好きで、京都の魅力を発信したい、京都ファンが増えてくれたら嬉しいと思っているからです。膨大な歴史があり、無数の人々が生き抜いてきた京都には、語り尽くせない物語がそこかしこに存在し、心を癒やす美しい風景、洗練された文化、伝統を受け継ぐ行事など、無限とも思える見所が存在しています。私が京都についてお話しできるのは、深遠なる京都の魅力のほんの一端であり基礎でしかありません。しかしながら観光ガイドは、そうして時を越えて心を動かす“感動“を、初めて京都を知る方にもわかりやすく伝えることが仕事だと私は捉えています。そして私の案内を入り口として、さらに京都に興味を持つ方が現れ、より深く京都を学び、現地へと足を運んでもらえるようになれば、何より嬉しいと思っています。

起業してからこの10年、私がこだわってきたのは「現地へ足を運ぶこと」です。現地を訪れるのは労力を要しますが、いにしえの人々と同じ場所に立てた時の感慨は、その場に行かねば感じられません。ならば私は、現地へ行こう。そしてそこで見聞きした経験を語ろう。見ていないガイドより「見ているガイド」の話を聞きたいはずだと思って動いてきました。おかげさまで最近は仕事が増え、なかなか以前のようには動けませんが、今でも暇さえあれば自転車やレンタカーで京都中を巡っており、恐らく普通の京都ファンの一生分は、京都のあちこちを見てきたであろうとは思っています。

前置きが長くなりましたが、私がKLKさんで何か書けるとするならば、他の方があまり触れていないエリアである「丹後」ではなかろうか、内容も京都オタクの私がどのように丹後を楽しみ、何を面白いと捉えているかを書くことであろうと考えました。知識的には深いものではありませんが、この記事を読んでいただいた方が丹後に興味を持ち、丹後に行ってみたいと思っていただければ何よりも幸いです。

 

自然豊かな丹後王国

さて、現在の「丹後」は、京都府北部の丹後半島を中心とし、京丹後市・伊根町・与謝野町・宮津市・舞鶴市にまたがるエリア(おおよそ旧丹後国)です。丹後地域は国定公園に指定されているように自然が豊かで、天橋立に代表される海沿いの景勝地や間人(たいざ)ガニなどの海産物が「海の京都」としてPRされる一方で、山地が多く、丹後エリアは豪雪地帯でもあります。日本海側を代表する巨大古墳や丹後七姫の伝説、軍港で有名な舞鶴など、その歴史は深く、特に弥生時代から古墳時代には「丹後王国」とも称されるほど、当時の国内では有数に栄えた地域でした。

日本三景碑

日本三景碑

丹後の観光地でまず思い浮かぶのが「天橋立」。天橋立は、京都府宮津市にある全長約3.2km(大天橋+小天橋)の細長く伸びた砂嘴(さし)で、宮津湾と阿蘇海を約20m~170mの砂浜で隔てています。その形が天に架かる橋(または梯子)のように見えることから「天橋立」と称され、日本三景のひとつとしても知られます。丹後国風土記逸文に載り、足利義満も眺めを楽しみ、雪舟の天橋立図に描かれるなど、古くから人々を引きつけてきた場所です。現在、天橋立駅のある南側には智恩寺、北側には丹後国一宮の籠(この)神社や、西国三十三所観音霊場の成相寺が位置し、天橋立は散策路やサイクリングで親しまれ、夏場は海水浴客でも賑わっています。

天橋立の成り立ちや歴史的な変遷、訪れた人々や周辺社寺の歴史・伝承なども大変興味深いのですが、今回はオタクの私が萌えた『天橋立十景』の眺めをご紹介します。天橋立が面白いのは、眺める場所によってその形や印象が異なることです。有名なのは『四大観』と呼ばれる眺め。さらに1986年に宮津商工会議所が中心となって公募を行い選定されたのが『天橋立十景』です。そもそも四大観もどこからの眺めを数えるかは人や時代によって違いがあるものの、1986年時点で明確に10カ所が定められました。選定から35年の時を経て、現在地元でどれほど認知されているかは存じ上げませんが、『天橋立十景』なるものを知ったオタクな私は、全てを見たいと思いました。橋立の周辺で歩いて見られる場所もあれば、車が必要な場所、登山が必要な場所もあります。

 

特にメジャーな『四大観』

まずはメジャーな場所から。『天橋立十景』の中に、現在一般的に『四大観』と呼ばれる東西南北からの眺めも含まれています。天橋立駅の近く、天橋立ビューランドからの眺めが「飛龍観」と呼ばれます。天橋立ビューランドの開園は1970年のため、歴史的には古いものではありませんが、現在ポスター、ガイドブックではここからの眺めが使用されることが多く、天橋立の定番と言える迫力ある眺めを楽しめます。また、飛龍観回廊という、高さ最大約8.5mの龍をイメージした回廊からの眺めも最高です。股のぞきをすると天に昇る龍にも見えるといいますのでお試し下さい。(私にはタツノオトシゴに見えます)。

飛龍観

飛龍観

飛龍観

飛龍観

天橋立の北にある傘松公園からの眺めは「昇龍観」あるいは「斜め一文字観」、または「股のぞき観」と呼ばれます。斜めに真っ直ぐ続く橋立は、丹後国風土記逸文にある天からの梯子(椅:古代の梯子は一本の丸太に足を置く場所を刻んだもの)が倒れたとの伝承を思わせる光景です。股のぞき発祥の地ともされ、海に映る空が天地逆転したかのような印象を与え、橋立がまさに天に架かる橋のように感じられたり、龍が昇るように見えるといいます。

昇龍観

昇龍観

一字観

一字観

四大観では、西からの眺めが大内峠からの「一字観」。文字通り漢字の「一」のように真横に伸びた姿を目に出来ます。

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この記事を書いたKLKライター

観光ガイド「京都旅屋」代表
吉村 晋弥

 
観光ガイド「京都旅屋」代表
京都検定1級に4年連続の最高得点で合格
気象予報士

1982年生、岐阜県出身、同志社大学文学部卒業
学生時代を京都で過ごし、気象予報士の資格を取得。
民間気象会社に勤務後、2006年に京都に戻り、2011年に観光ガイド「京都旅屋」を起業。

京都についての座学や現地案内に加え、毎日更新のブログでも京都の情報を発信中。

『京ごよみ手帳(宮帯出版社)』監修。

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吉村 晋弥

 
観光ガイド「京都旅屋」代表
京都検定1級に4年連続の最高得点で合格
気象予報士

1982年生、岐阜県出身、同志社大学文学部卒業
学生時代を京都で過ごし、気象予報士の資格を取得。
民間気象会社に勤務後、2006年に京都に戻り、2011年に観光ガイド「京都旅屋」を起業。

京都についての座学や現地案内に加え、毎日更新のブログでも京都の情報を発信中。

『京ごよみ手帳(宮帯出版社)』監修。

|観光ガイド「京都旅屋」代表|観光/丹後/天橋立

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